ハハヨ、コロスナ 4
[2016年08月27日(Sat)]
神奈川県の入所施設で
19人のひとが殺害された事件から
1か月が 経ちました。
事件のあと、紙面やSNS上では
さまざまな意見が 渾渾と流れています。
少し時間が経って、こう思いました。
この事件は、
元施設職員が
障がいのあるひとを手にかけた事件です。が、
親が
障がいのあるわが子を手にかけた事件が
今もなお 絶えず続いているのは
なぜだろう、と。
なぜ、障がいのあるわが子を手にかける事件が
繰り返し起こるのか。
言い表せない怒りとともに、
こちらの記事を 目にしました。
「 弟「なぜ…」自答の日々、
障害の兄、母が殺害し自殺か 」
( 2016年6月7日付け:朝日新聞 )
今年5月、新潟県三条市の自宅で、
知的に障がいのある50歳の男性が 殺害されました。
そして、翌日、
同居していた 70歳代の母親が
自宅から約2キロ離れた用水路で、
遺体で見つかりました。
二人と同居し、
家族で一人残された 40歳代の弟は、
なぜ止められなかったのかと、
とても心を痛めている とありました。
近所のひとの話によると、
亡くなった男性は 仕事がなく自宅にこもりがちで、
そのことを 家族は
限られた親戚にしか 話していなかったそうでした。
小学校では、
特殊学級(今の特別支援学級)を勧められたが
入らなかったと聞いている とありました。
そして、経済的にも
弟が 一家の生活を支え、
決して 楽ではなかった、と。
障害基礎年金のことを 知らぬままに過ごし、
兄の入院を 気に
病院に相談したことから知り、
申請したのが 殺害する前月の4月。
事件後、家を整理すると、
役所からの申請受理書類が 出てきたのですが、
書類の日付は、殺害の6日前。
「なぜ今なのか。考えれば考えるほどわからない」と
事件を防げなかった訳を
弟は 自問自答している、とありました。
「 自分も 親も、兄のことを 他人に話せなかった。
もっと早くに 相談していれば、
こんなことには ならなかったかも 」と
弟の自責の念は絶えない、とありました。
ああ、なぜ、
このようなことが、繰り返し起こるのでしょうか。
昔よりも 少なからず、
社会の理解も 進み、
支援する制度も 整ってきている というのに。
でも、思いました。
養護学校制度もない時代に
幼少期を過ごした 障がいのあるひとに、
今ある 支援制度の仕組みが
漏れなく 伝わっているのか、と。
きっぱりと言えます。伝わっていない、と。
だって、今ある
「 申請主義 」の世の中が 続く限り、
「 自分から 申し出ない限り、誰も 助けてくれない 」
のですから。
「 勇気をもって SОSを 」と言われても
言えないひとがいることに
社会も 気付いているのに、
それ以上、何もやらない社会。それが 今の日本。
この状況が続く限り、変わりません。
「 ひとは生きる。障がいがあってもなくても」
この当たり前のことが、なぜ 叶わないのでしょうか。
障がいのあるひとがいなくなればいいと言うひとたちの
心を変えるには、
何が 必要なのでしょうか。
その根底には、
義務教育の段階での「 分ける教育 」が
関係しているのではないか、と思うのです。
小さい時から
自分のまわりに、そばに、
障がいのある子がいたら、
普段から 障がいのあるひとと 一緒にいることが
「 あたりまえ 」の日常 になります。
小さい時から
自分のまわりに、そばに、
障がいのある子がいたら、
その子が困っているときの対応も、
小さい時からまわりで、そばで、見ているので
少なからず「 自分にできること 」が
わかるようになっている と思うのです。
「分けない教育」。
それは 時間がかかることに思えますが、
「 分けない教育 」こそが、
このような事件を
生み出さないことにつながる道だ と思います。