ひとつしかないもの
[2016年07月27日(Wed)]
ほぼ毎日更新されている
ほぼ日刊イトイ新聞 の「 今日のダーリン 」。
ある日のそれを 読み返しながら。
――(略)
初対面の次に会ったら、それはもう初対面じゃない。
でも、そのことについてよくよく考えると、
二回目も、二度とないとも言えるということに気づいた。
あらゆるものごとには、同じものなんか何ひとつない。
知ってたようなつもりになっていたけれど、
ほんとうは、まだわかってないくらいなのだ。
ないんだよ、
えらい価値の高そうなものだけじゃなく、
ささやかなもの、くだらないもの、とるにたらないもの、
なにもかもが、実は「ひとつしかないもの」、
つまり「ふたつとないもの」で、二度ないことなのだ。
複製があるじゃないか、とか、
同じものをいくつもつくれるよとか、それはわかる。
たとえば、デジタルな記号としては、
つまり数字の1は数字の1として同じものではある。
でも、リアルな世界にまったく同じものは、ない。
ちょいと ぼーっとした小学生よ、教えてやりたい。
キミは、高級だとか利口だとかとは関係ないだろうが、
「たったひとりのもの」であることだけはまちがいない。
だからどうだっつーことを言いたいのじゃないけれどね、
時も、人も、場も、モノも、関係も、
それはすべて「たったひとつのもの」なんだよね。――
「ひと」は、どの「ひと」も「ひと」で
ひとつしかないもので、
その価値に ちがいはありません。
26日未明に 神奈川県内の福祉施設で起こった事件。
その一報を耳にしたときは
身も心も凍り付き、
しばらく動けないほどの衝撃がありました。
「 障がい者なんて いなくなればいい 」
容疑者が発したとされる言葉が、胸に突き刺さりました。
容疑者について
軽々しいことは言えませんが、
その動機が 明らかになるにつれて
メディアの報道は、
今までのそれと同じように
真実を追求し 奥深くに抱える社会の根本にふれることなく
消えていくのではないか と危惧しています。
その動機から見えることを
正面から捉え、
社会全体で考えるまでにつなげないと
これ以上 避けて通ってはいけない と思います。
そして、今回の事件から
障がいのあるひとの
福祉施設の現状を 知ってほしいし、
「障がいのあるひとが 生きること・暮らすこと」を
考えるまで至ってほしい。
「福祉の現場」の現状を知りたい、
福祉職に従事するひとについて 知りたい。
知ってほしい と。
福祉事業所、福祉施設の現状を
包み隠さず 広く社会に知ってもらい、
その弱いところ
足らないところ
否ずんだところを
強くしたり 補うところまで 行きつくには、
何を どうしていけば よいのでしょうか。
とくに
部外者・第三者と位置付けされているひと、
そして
福祉にたずさわる さまざまなひと に
長期間にわたり考えてほしい と切望します。
最後に、
この事件で亡くなられたひとびとの
ご冥福を お祈りするとともに
負傷されたひとびとの
一日も早い回復を お祈りいたします。