ハハヨ、コロスナ 3
[2015年07月29日(Wed)]
今年2月、
和歌山県で起きた事件。
81歳の父が、
41歳の娘を 殺害しました。
その裁判員裁判を書いた記事を読んでの
今日は、ひとりごとです。
長年 精神疾患を患っていた長女。
事件当日、
ベッドで横になっていた妻を
布団の上からたたく 長女の姿をみて、
父は
不満が爆発し、殺害を決意した とありました。
長女は、日常から暴れ
父や母に 暴力をふるっており、
その様子を見る父は
精神的にも体力的にも限界に達していたとありました。
裁判では、
父は娘に強い殺意をもち
犯行態様は軽くないとされ、極刑を求刑。
一方で、「 被告人に
同情の余地は 一定程度あるが、
長女と距離を置くなど、殺害以外にも方法があった 」
と指摘される場面が。
そして、「 重い精神疾患のある娘の面倒を
長年見るにあたり、肉体的にも精神的にも
限界に達していた 」と。
「 同情の余地は 一定程度ある 」。
同情する状況を生み出している社会に
ひと言も触れず、
「 同情 」としか言えない司法。
社会へ物申すべく
踏み込んだ発言のない内容に、
怒りを覚えました。
そして、裁判の最後に 父が言った言葉。
「 私のようなひとが出ないように 強く 希望する 」。
この一文に込められた意味を、
深く深く 考えさせられました。
誰に向けての言葉なのか、を。
何十年もの間 繰り返される、親が子を殺害する事件。
ハハヨ、コロスナ 、
ハハヨ、コロスナ2 のようなことが
ずっと 繰り返される現状に
どうすれば ピリオドが打てるのでしょうか。
近道をしても 終わらないと思います。
でも 急がないと、
同じようなことが繰り返され、繰り返されて。
「ハハヨコロスナ、チチヨコロスナ」。
社会に、社会福祉に、
何が大きく欠けているのでしょうか。