福祉がひとをころすとき
[2013年05月31日(Fri)]
「おなかいっぱい 食べされられなくてごめんね」
28歳の母が 3歳の息子を思い 書いたメモ。
ご存知のひとも多いかと思いますが、先日、
大阪市北区のマンションの一室で
母子が 遺体で見つかった事件。
子どもは 餓死により死亡した とありました。
さまざまなことが重なった とは言え、
飽食の時代に 信じがたいことが、
ひとびとが 普通に暮らすまちなかで 起こりました。
当該役所の職員が「住民登録がないと、
居住状況は つかみにくいのが事実」とコメントし、
地域の民生委員が
「マンションに2人が住んでいたことは知らなかった。
存在を知る人は いなかった」と話すなか、
じゃあ どうすれば
このようなことが 二度と起こらないのだろうかと、
考えずには居られない、
身につまされる思いは 深く。
「住民登録の有無が法律上明らかでない」事実を
放置した社会を 今一度 問うとともに、
あらためて、福祉事務所など
行政の担当者と呼ばれるひとたちの
存在意味を 考えてしまいました。
そして そのひとたちの
「養護が必要なひとを見極める、判断能力の欠如」を
叫ばざるを得ない、と。
「ひとりの人間として、表向きのきれいごとではない
コミュケーションをとる力を持ち備え、
養護の必要なひとを 見極める
“ 真のプロの目” を持つ 人材の育成」が必要だと
強く思います。
多くのことを 学んだうえで、
多くの経験を 積み重ねてこそ 機能する専門家のみが
“ 福祉事務所の 担当者 ” になる制度が
必要かもしれません。
しかし、行政に期待を寄せても、
その進捗は きっと遅いでしょう。
そこで、すぐにでも できることはないかと、
考えてみました。
ひとが暮らすために必要な ライフライン
= 電気・水道・ガス。
電気・ガス・水道の料金が 揃って滞納になったら、
福祉事務所などの行政機関に 連絡が入るような
システムづくりができれば、
救える命があるのでは、と。
これに加えて、
福祉事務所などの行政機関が
人員不足を理由に すぐに安否確認ができないのなら、
地域に必ずある 交番に通報し、
すぐに 警察官が安否確認をする
システムをつくれないか と。
福祉事務所などの 行政機関が
「ひとの命を守る、救う」機能を果たしていない現状を
これ以上 そのままにはできない。
「電気・ガス・水道」の民と 警察の連携をもって
あてがうシステムは つくれないでしょうか。
最後に、1988年に発行された
『 福祉が人を殺すとき
ー ルポルタージュ・飽食時代の餓死 ー 』
(手久保光良・著)を ご存知でしょうか。
今から25年前に書かれた本ですが、
25年経った今、
この本にある 同じような事件が
同じように 続いているのです。
それは なぜなのでしょうか。
なぜ なのでしょうか。