分けない教育
[2013年06月18日(Tue)]
「障がいのあるひとの雇用 は、
もはや 企業だけの問題 ではありません。
問われることは、さまざまな個性や 生き方を
受け入れる社会であるかどうか。
そのためには、『分けない教育』についての議論を
もっと 深めることが大切であり、
急務かと思います」と
昨年、障がい者雇用から見えたもの で 書きました。
社会基盤のバリアフリー や、
障害者週間 でも
『 分けない教育 』の必要性について、
今の世の中で 子育てをしている実感から
ブログに 書いてきました。
今日は「障害児教育、分離教育から転換しよう」
( 2013年6月15日付け:朝日新聞 )
を 読んでの、ひとりごとです。
記事には、東京都の 小笠直人さんが、
ダウン症や 自閉症、学習障害や 脳性マヒなどで
学ぶことが困難にある人たちが
算数や数学を勉強する “ 遠山真学塾 ” で、
15年間勤めて 感じたことが 書かれていました。
現在の教育制度は、障がいの有無によって
普通教育か 特別支援教育か に 分けられる
『 分離教育 』 です。
障がいのある子の 大多数は、
健常者の通う学校や学級ではなく、
特別支援学校・学級で、
自立訓練や職業訓練を主とした教育を受けている
現状は ご存知のとおりです。
普通教育では、障がいのない 子どもたちが
集団で 学校生活を送るので、
異なる立場で 生きる人たちを
時間をかけて 理解する機会が ほとんどありません。
多様な経験を積み、あらゆる面で大きく発達し、
思考に柔軟性がある「 学齢期 」 に、
障がいのある子と一緒に学び
相互理解を深めることで 初めて
偏見がなくなっていくと、明確に書かれていました。
今ある 普通教育を受ける子たちは、
障がいのある子たちを 理解できないままで
大人になる ので、
障がいのあるひとを「 近寄りがたい存在 」に
思ってしまいます。
『 分離教育 』が 続く限り、
この構図は 変わらないのです。
その結果が、障がいのあるひとたちを
切り捨てる流れに つながっていないだろうか
と、言及されていました。
子育ての経験のあるひとは、
より わかってもらえると思いますが、
ほんとうに そのとおりだと思いました。
そして、今の『 分離教育 』は、
特別支援教育を受ける 子どもにとっても、
劣等感に 直結する教育だ、とも。
塾に通う 障がいある子たちは、
「(特別支援)学校(学級)では、
簡単な 勉強か 校外活動 ばかり。
私が 障がい者だから、
勉強しても無駄 と思われているんだろう」と
話していると ありました。
小笠さんは これを聞くたびに、
どう答えていいのか窮し、
「年端も行かぬ 子どもたちに
こんな 劣等感を抱かせる 特別支援教育は、
『 子どもを健やかに育てる 』 という
教育本来の機能を 果たしていないと感じている」と。
そして、昨年より 問題となっている
新型出生前診断は、
この『分離教育』が生み出す 弊害の表れの一つ
にも思える と続きます。
「親になる ひとが、
障がいのあるひとと 接する機会が ほとんどない。
育児、学び、就労、親が亡くなった後 という
すべてのライフステージで、
どうすればいいか わからない。
それが
産むことへの不安に つながっているのではないか」
ほんとうに そう思います。
今、世界では すでに
障がいのある子の 教育の潮流は、
誰もが 地域の普通学校で学び、
相互理解を深める
包括的(インクルーシブ)な教育です。
この点でも 日本は
大きく遅れをとっています。
教育について 後進国だと、
この記事を 読んであらためて思いました。
分けない教育を推し進めるために できること。
それは、その必要性を その時々に
一人ひとりが 声にすること。
小さな 地道な ことですが、
これなら
誰にでもできること ではないでしょうか。