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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ
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ケアラートラック  [2022年06月17日(Fri)]

先日、初めて耳にしたことばがあります。

「 ケアラートラック 」。

介護や看病、療育、日常生活上の世話などの援助を
無償で提供するひとを「ケアラー」と呼ぶことは
知られてきましたが、
そのあとに付く「トラック」が何か、
すぐに わかりませんでした。

調べてみると、「トラック」とは
貨物自動車を意味する
“ Truck ”ではなく、
足跡、経路、進路、溝などを意味する
“ Track ”でした。

「 終わりのない介護 (育児) 」。

そう意訳できる
このことばが意味することは
何なのでしょうか。


皆さんは「 終わりのない育児 」を想像できますか。

育児と仕事が
両立できる支援制度は整ってきた、と
言われていますが
それらは 健常と呼ばれる子たちを想定したもの。

障がいのある子は
一定の年齢になったからといって
ケアが不要になるわけではない子が
たくさんいます。

「 “働く” ことをあきらめざるを得ない
親が、母親が、たくさんいることを知ってほしい」と
声を上げても、声を上げ続けても、
変わらない現実を
知ってもらうために生まれた
それが「 ケアラートラック 」だと。


障がいのある子をもつ母親も
自分の時間を持ち、
障がいのある子の母親以外の肩書きを持ちましょう
などと 耳にすることがありますが、
それは 容易にできることではないし、
容易にできる社会でないことは
周知の事実です。

「 障がいのある子をもつ母親が
そうしたくても、社会が そうはさせてくれない 」。

これは 大げさでも 逃げでもなく、
現実を知るひとには
大きくうなづけることであり、
え、何なの、と思ったひとには
ぜひ知ってほしい。

障がいのある子は
年齢を重ねても
一人で外出することや留守番ができない場合も多く、
学校卒業後の
18歳を過ぎてから利用できる支援制度には
フルタイム勤務を支援できるものはない、と
言って等しい状況です。

障がいのある子をもつ親に対して
「その子の親の役割を固定する」
強い社会的な役割があって当然の日本社会。

障がいのある子をもっても
母親が 何の躊躇もなく
仕事を続けられる社会になるには。

それには、
成人した障がいのあるひとが
家庭外で過ごす、過ごせる制度が拡充されること、
そして、
社会的な親の役割に対する強い固定観念を
払しょくすることが大切です。

「入所施設に入所すればいい」とひと言で済ますひとが
役所や福祉現場で 見受けられますが、
そのひとたちの 意識や知識を 変えることも急務です。


最後に、
福祉現場で働くひとたちと
福祉施策にたずさわるひとたちへ。

日中支援後や
施設休所日の支援について、
障がいのあるひとや家族が望むことが
可能になる制度は
どのようにすればできるか を真剣に考え、
可能にしてほしい。

それが、それこそが
障がいのある子をもつ母親が
今、望んでいることだと思えてなりません。














ひとりの時間 [2021年09月27日(Mon)]

過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
目にした文章があります。

―― わたしには、
 わたしがわかっていることと、
 わたしがわかってないことがあります。
 
 わたしがわかっていることは、
 わたしが見ていること、
 わたしが聞いていること、
 わたしが触っていること、
 わたしが嗅いでいること、
 わたしがなめたり噛んだりしていること、
 などなどがあります。
 
 そういうふうに考えてみると、
 わたしは、わたしをあんまり見たり、聞いたり、
 触ったり嗅いだりなめたり噛んだりしていません。
 
 さらに、
 わたしはわたしと話してなかったりもする。
 語りかけることも、
 語りかけられることも、
 あんまりたくさんはないような気がします。
 
 だから、わたしは、
 わたしのことをよく知らない。
 知らないから、
 よくわからないということになります。
 
 わたしが、
 わたしをわかってないのに、
 みんなが、
 わたしをわかっているのかもしれません。
 みんなも、
 わたしのことをそれほど知らないから、
 あんまりわかってないかもしれませんけどね。
 
 これほどいつもここにいるのだから、
 わたしは、もっと、
 わたしに話しかけたほうがいい。
 わたしを見てやったり、聞いてやったりもして、
 わたしのことを、知ってあげたらどうだろう。
 ほんとは、なにが好きなの?
 どういうことがしてみたいの?
 どんなふうに生きたいの。
 あれについてはこれについてはどう思う?
 問いかけたり答えたりをして、
 わたしとつきあう。
 ひとりの時間は、それができる時間です。
 
 ひとりのわたしが、
 つよくなれるとしたら、
 そのわたしを、よく知ることからはじめる。
 知らないわたしは、
 弱くさえないままなのだから。
 それは、あなたについてもおなじことです。――


わたしを知る。

これを読んだ時、思い浮かんだことがあります。

障がいのあるひとたちにとって
「 わたしを知る 」機会は
十分に取れる環境にあるだろうか、
「 わたしを知る 」時間を
幼い頃から児童生徒として過ごす時期に
取れる環境であるだろうか、と。

成人した障がいのあるひとの悩みで
よく 耳にすることがあります。

「 ひとりの時間を過ごせない 」。

幼い頃、子たちは
日常でさまざまことを遊びにし、
場合によって
それが大人にとって不都合だったりすると
止めさせたり 取り上げたりと
その遊びを妨げることがあります。

障がいのある子についても 同じです。

幼い頃、ひとりで何かごそごそしてると
それを 親や支援者が
取り上げることが よくあります。

これは、その遊びが障がいのある子にとって
親や支援者は よくないことだと思いこみ、
余暇活動だと認めることもなく
止めさせることで、その子は
「ひとりで遊んではダメなんだ」と
学ぶことに つながります。

そして、小中学校生活で
“ 余暇 ”のようにあることは
“ 課題 ”と呼ばれる学校が設定したものをやる
ということであって、卒業後に
“ 課題 ”が無くなれば 何をするのか、
“ 余暇 ”は何をすればよいか、ということに
卒業後に気づくひとが 多く。


もしも、幼い頃から
積み上げる
引っ張る
穴に入れる
紙を破る
いつも同じモノやカタチをかく など
好きな「 ひとりあそび 」があれば、
それを「ひとりあそび」と理解できる環境であれば
“ 余暇活動 ”に困ることはないのです。

そして、こう思います。

小中学校の9年間を過ごす学校生活において、
「 みんなと一緒に、集団で、何かをする 」ことに
重きを置くことにこだわらず、在学時から
「 卒業後の“ 余暇 ”について意識する」ことに
教員、親、支援者が意識をもつことの
大切さを知ってほしい。


学校生活で そのようなことを求めると、
理解どころか
違和感をぶつけてくる教員も多いと思います。

障がいのある子たちの学校卒業後を
知らない
想像できない教員には、
「 ひとりあそび 」の時間の
意味や意義を説明して
学校生活の中でつくる提案をすることから
はじめましょう、
心がしんどくなることもあると思いますが。


「 ひとりの時間があっていいんだよ 」。

すべては、
障がいのある子に携わる
保育士や教員、学童の指導員さんなど
すべてのひとに
この意が伝わってほしいから。

「 ひとりの時間があっていいんだよ 」と
障がいのある子たちを見守る
大人が増えることを 願います。












遊び  [2021年04月16日(Fri)]

“ 遊び ” は、
一人ひとりの子によってちがいます。

それは、障がいのある子にとっても同じです。

身体に障がいのある子と
知的や発達に障がいのある子にも
“ 遊び ” はちがい、
遊び方にも ちがいがあります。

昨年12月、
拙ブログ “みんな” を付けなくてもいい街へ で、
東京都内に「みんなのひろば」という公園が
その年の3月にオープンした経緯を 紹介しました。

「みんなのひろば」がオープンして1年が経った先日、
同じこの公園について書かれた記事を 目にしました。


「 障害のある子が遊べる公園
広がるインクルーシブ公園 」
( 2021年4月7日付け:読売新聞 )


「 障がいがある子どもも安心して遊べる
インクルーシブな公園が増えている。
親と一緒に滑ることができる滑り台や、
車いすに乗ったまま遊べる砂場などが設置されている。
障がいのある子どもとない子どもが
交流する場所としての役割も大きい 」と始まり、
遊具メーカーが車いすのまま触って遊べるパネルを
本格的に開発している、と
身体的な配慮がされた遊具を紹介されていました。

最後まで、
知的や発達に障がいのある子については、
ひと言も触れられていませんでした。

ああ、またか、という思いで
がっかりしました。


インクルーシブって、何なのでしょうか。

直訳すると
包み込むような、包摂的な。

インクルーシブ教育 のことを
ともに生きる教育 と言われることがありますが、
何と何がともになるのか、と
思ったことがあります。

目の前にある“ 課題 ”を
“ みんなの課題 ”として解決すれば、
インクルーシブなどと言わなくても済むのに。

そう考えたとき、これは
インクルーシブな公園ではなく、
イクスクルーシブな公園に見えてきました。

イクスクルーシブは
直訳すると、
排除的な、排他的な、
一部のひとを外へ追い出す。


多様性を尊重する
時代の流れはありますが、
どのような障がいがある子にとっても
尊厳を損なわれることなく
一緒に遊べる場が
インクルーシブな公園と呼ばれるのであって。

「みんなのひろば」は
“ だれ” のためのひろば なのでしょうか。


「 公園 」という
子が遊べる安全な場が
まちのあちこちにあれば、
遊びの輪は 自然に 生まれます。

子は 遊びの天才です、
障がいのあるなしにかかわらず。

A公園には ○○遊びをしたい子が集まり、
B公園には △△遊びをしたい子が集まり。

元来、遊びを介した場において
障がいのあるなしは
それほど関係がないものです。

大人の勝手な想像だけが先走りして、
大人が知らないだけで。

大人がやるべきことは、
これら A、B、そして DやE公園を
見守り、安全面でサポートする。

“ インクルーシブな公園 ”を
“ イクスクルーシブ ”にしているのは、大人です。

自分が子どもだったころの経験を
思い出してみてください。

何が楽しくて、何がウザかってですか。

そこに、障がいは 関係ありましたか。

















“みんな” を付けなくてもいい街へ [2020年12月21日(Mon)]

過日、目にした こちらの記事。

「 6割超、障害者と関わる機会ない
 関連団体など 誰もが楽しめる公園で調査 」
 ( 2020年11月29日付け:東京新聞 )


障がいのあるなしにかかわらず楽しめる
“ インクルーシブな遊具 ”がある公園で、
一般社団法人 TOKYO PLAY さんが
公益財団法人 東京都公園協会さんと連携し、
今年3月にオープンした
障がいのあるなしにかかわらず楽しめる公園
「 みんなのひろば 」(東京・都立砧公園内)で、
8月31日(月)から9月13日(日)までの間に
そこへ遊びに来ていた
大人と子ども 計200人
(内、障がいのあるひと27人)に
聞き取り調査をした、という記事でした。

調査では、身内や家族に障がいのあるひとがいない
大人140人のうち、子どものころを含めて
障がいのあるひとと関わる機会が
「よくある」「たまにある」は47人
「ない」は93人 と答えた、とありました。

その中には、子どもからは
「 障がいって何?」
「 障がいのある子と会ったことがない」という声や、
大人からは
「 障がいは自分に関係ない」という声もあった、と。

障がいのある子をもつ家族からは
「 子が大声を出して、イヤな目で見られないか」
「 障がいのない大人が 自分の子にケガをさせないか」
などの声が。

公園へ行く自体に
ハードルを感じている
障がいのあるひととその家族がいたり、
身内に障がいのあるひとがいない
大人の利用者の6割以上が、
普段から
障がいのあるひとと関わる機会がないことも
わかりました。

そして、「みんなのひろば」を利用しない
障がいのある子や家族の声も聞こうと、
世田谷区内の子育て支援拠点やPTAなどでも
約130人に 聞き取りを行い、
「 迷惑をかけないよう、ひとがいる場所にはいかない」
「 障がい者理解が無く、心の負担が大きすぎる」
といった声があった、とありました。


これらを調査した団体さんは
「 障がいのあるなしに関係なく
相手が分からずに不安を覚えていた。
それにより、関わろうとしなくなってしまう 」、
「 インクルーシブな遊具を置くだけでは
一緒に楽しむことにつながらない、
環境を育てる必要がある 」と指摘。

みんなのひろばなら
障がいのある子とも遊べると思って来た
という声も あったそうですが、
理解がなければ
障がいのある子は公園にすら たどり着けない
という現実が 浮き彫りなった調査でした。



「 みんなのひろば 」の存在を知り、
この調査結果を知り、思うことがあります。

「 障がいのある子に会ったことがない 」
という声がなくなるために必要なこと、
それは、分けない教育 だと。

小さい時から
ふつうに
隣に
障がいのある子がいたら、
それは 特別ではなく 日常。

これが
保育園、幼稚園、小学校、中学校の場面で
存在するならば、
障がいのあるひとのことを知らない
保護者や 地域の大人たちも
日頃の登下校や 地域の学校行事などで
障がいのある児童のことを 知ることができ、
理解を得られる ことに
つながるのではないでしょうか。

障がいのあるひとへの接し方 を学ぶという
奇妙な取り組みをすることより、
分けない教育を 全国に浸透させることの方が、
自然にかかわる術を
知ることができるのではないでしょうか。


“ 分けない教育 ” から 生まれた社会には
みんなの、と言わなくても
まちに、地域に、“ みんな ” が自然に集います。


でも、なぜ、
分けない教育は 進まないのでしょうか。

誰が、誰かが
進まないように しているのでしょうか。





*一般社団法人 TOKYO PLAY
https://tokyoplay.jp/

*公益財団法人 東京都公園協会
https://www.tokyo-park.or.jp/profile/















放課後の過ごし方 2 [2018年12月08日(Sat)]

今年7月に
障がいのある子たちの
放課後の過ごし方 について 記しました。

障がいのある子が
健常と呼ばれる子たちと一緒に
放課後に過ごす場としてある 学童保育。

そこでは、
勉強を教え合ったりということ以上に、
さまざまな子同士の “ ちがい ” を認め
互いに 補いながら生きる という、
障がいのある子にとっても
健常を呼ばれる子にとっても
何物にも代えがたい経験が
たくさん詰まった場 でもあります。

とくに、障がいのある子たちが
社会へ出る前に身につけたいことが、
“ 学童保育で 過ごす日常 ” に
たくさん詰まっている と、
実体験者のひとりとして 言えます。


障がいのある子が
学童保育へ通いたいのであれば、
その子に必要な “ 支援を付ける(加配)”ことで
地域の学童保育を
利用することは可能ですが、
さまざまな理由・事情から
放課後デイサービスを利用する
障がいのある子が
年々 増加の一途をたどっています。

中には、家族の就業形態などによって
学童保育は利用しづらく、
やむなく 放課後デイサービスを利用している
というひとも いらっしゃると思います。

学齢期は、それでいいかもしれません。
でも、その子たちが 大人になったときの
家族の在りよう
その子の暮らしを考えてみて、
放課後デイサービスが
利用できなくなった後の生活を
想像してほしいのです。 


放課後デイサービスを利用していた時間を
学齢期を終えたその子は、
どのように 過ごすのでしょうか。

福祉の財政も人材も、
これからの時代は
必ずしも 潤沢ではないことは
目に見えています。

学校を卒業後、
その子は 何をして過ごすのでしょうか。

そのような時に思うのが、
障がいのある子も
楽しめるコトを見つける ということです。

友人を見つけることと同じくらい
大切なことで、これは
障がいのあるなしにかかわらず
言えることだと思うのです。

その “ 楽しめるコト ” は、
趣味と呼ばれるそれと
同じようなこと かもしれないし、
趣味と呼ばれるそれとは
ちがったこと かもしれません。

“ 楽しめるコト ” は
絵を描くことや 書をたしなむこと
で、なくてもいいのです。
ひとりで
音楽に合わせて踊ることだったり、
ひとりで
ソファに横たわりながら
テレビを観ることだったり でも。

では、その “ 楽しめるコト ” というのは
どのようにして
見つけるのでしょうか。
どれくらいの
年月があれば 見つけられるのでしょうか。

障がいのある学齢期の子たちは
学校生活と放課後生活が
“ 楽しめるコト ” を
見つける時間の大半だと思いますが、
そこは “ 楽しめるコト ” が
見つかる・見つけられる環境でしょうか。


学齢期を終えてからでも
“ 楽しめるコト ” は 見つかるかもしれません。

でも、スポンジが水を吸収するような年齢期に
さまざまな同年代の子と
遊びの経験が積めたら、
そこから 必然的に
“ 楽しめるコト ” が 見えてくると思うのです。

それに気付いてあげられるのは、
誰でしょう。

親や家族だけでなく、
学校では 先生であったり
学童保育では 指導員さんであったり
放課後デイサービスでは 職員さんであったり
その子のまわりにいるひとたちの
誰かであってほしい。


そこは、
その子の “ 楽しめるコト ” に
気付いてあげられるひとがまわりにいる
環境ですか。

この問いについて
考えてあげられるのは、
親や家族です。














支援2  [2018年11月13日(Tue)]

今年5月に発売された
『 たのしい、わかりやすい 料理の本 』
という、料理本が あります。


DSC_2991 (2).JPG


知的に障がいのあるひとが
料理に 挑戦できるよう、
工夫された内容となっている
料理本です。

 
知的に障がいのあるひとたちが
自立生活を選べる環境が
整ってきたことから、
生活に必要な「 料理 」を身につけたいと
思うひとが 増えています。

しかし、市販の料理本で学ぼうとしても、
一定の知識は
あることが前提に
書かれているものばかりで、
知的に障がいのあるひとにとっては
理解が難しいものばかりです。

そこで、
本に書かれている
漢字にふりがなをつけ、
イラストや写真を多用し、
野菜の切り方や 米の研ぎ方なども
細かな手順ごとに示すなど、
さまざまな工夫のある料理本が
出来上がりました。


料理本の中身を 紹介すると…

冒頭の
“ 料理のきほん ” では、
野菜の切り方などを
料理の途中でも確認しやすいように
まとめられており、
砂糖、塩、油や
うまみ調味料などの説明もあります。

そして、
“ やっぱりご飯 ” では、
ご飯の炊き方にはじまり
炊き込みご飯やみそ汁を、

“ キャベツが1個あったなら ” では、
ポリ袋でつくる簡単メニューから
せん切りキャベツのつくり方や重ね煮が、

“ 大根1本、どうやって食べよう ” では、
ピーラーを使った料理など6つのメニューが、

“ じゃがいもは いつもある ” では、
ポテトサラダ、コロッケなどの
王道メニューが、

“ やっぱり 肉が好き ” では、
豚肉の生姜焼き、ハンバーグ、
鶏のから揚げなどが、

“ お楽しみはパン・麺・おやつ ” では、
サンドイッチやフレンチトーストに
電子レンジを使った焼きうどん、
カップレアチーズケーキ、と

全部で、
約30のメニューを 紹介しています。
つくってみたくなるものばかりですね。



この本を見ながら、
ひとりで 楽しくつくってみたり、
ひとりで料理することが難しいひとは
家族や支援者と一緒に つくってみたり。

「 自立 」というだけでなく、
「 楽しむ 」ことの ひとつとして
「 料理 」があるよ、と
障がいのあるひとたちに伝えたい。

「 自分が食べたいものを 自分でつくって食べる」。

あたりまえのように思えますが、
障がいのあるひとたちには
あたりまえではないことの方が
多いのが 現状です。


日々の暮らしに 活力と明るさを与える
「 食べること 」にも 支援を。

この料理本を、
福祉事業所の休憩室に置き
料理に興味をもつキッカケを つくったり、
グループホームで購入し
皆さんで クッキングしたり、と
「 共有する 」ことから
料理を始めてみるのも よいかもしれません。

この料理本が、
必要なひとのもとへ 届きますように。








*『 たのしい、わかりやすい 料理の本』
発行 / 全国手をつなぐ育成会連合会
著 / 枝元なほみ
版型 / A4版変形
ページ数 / 48頁・オールカラー
定価 / 本体1,000円(税別)

→ 購入は、下記
公益社団法人 日本発達障害連盟さんの
HPから、E-mail もしくは
FAXからの申し込みのみ になります。


*公益社団法人 日本発達障害連盟
http://www.jldd.jp/
E-mail : jlidmf@dream.com
FAX 03-5814-0393












LLブック [2017年07月27日(Thu)]


拙ブログを読んでくださるひとの中にも
「趣味は 読書です」というひとが
いらっしゃると思います。

本を 読む。

そこから得られるものは、
計り知れないものが ありますね。
人生を変えることも ありますね。

先日、
知的に障がいのあるひとを
読者の対象にした本があることを 知りました。

それらは
「 LLブック 」と呼ばれ、
北欧を中心に 普及しており、
「LL」の 語源は
スウェーデン語で「 Lattlast 」の略で
「 やさしく 読みやすい 」という意味だそうです。

とくに スウェーデンでは、
1960年代から
知的に障がいのあるひとの「 読書権 」を
平等に保障する という目的に、
国が 資金を出し、出版されています。

日本では、まだまだ
その本の冊数も
認知度も 低いですが、
昨年、障害者差別解消法が 施行され、
国や 自治体には
差別を解消するための
合理的配慮が 義務付けられ、
社会状況は大きく変わっても尚
変わらない現状が あります。

考えてみれば、
出版物の表現は 文字が中心で、
子ども向け以外の本は
内容も 表現も
複雑で 高度なものばかりです。

知的に障がいのあるひとが
読んで理解するには
難しいものばかりです。

そこで、ようやく
文字の読めない
障がいのあるひとたちにとっても
読書を 楽しみ、
情報を得ることができる本が 生まれました。

2015年に 出版された
『 わたしのかぞく なにが起こるかな?』と、
今年4月に 出版された、第2作の
『 はつ恋 』です。

ストーリーの理解が 苦手なひとのために
1編ずつの
ショートストーリー形式にし、
文字は 少ない あるいは無く、
写真を 多用し、
誰もが楽しむことができるように
工夫されています。

『 はつ恋 』では、
だれもが憧れる「 恋 」をテーマに、
写真によって
恋愛ストーリーを楽しむことができる
「 写真版 LLブック 」になっています。

そうですね。
青年から成人の年齢になると
自然に 異性への興味が芽生え、
恋愛や結婚などに 興味をもつことは
障がいのあるなしにかかわらず
あることですもの。



自分の興味を
理解へつなげるきっかけになる
それが「 本 」。

だとしたら、
知的に障がいのあるひとにも
その機会は なくてはならないものです。

LLブックを 日本にも取り入れ、
発行に尽力された
企画・編集・製作に携わるひとびとに、
そして、出版社さんに
感謝の気持ちが こみ上げてきました。


「 小さい頃に読んだ絵本を 今もよく読む」こと
それも 読書ですが、
成長すると 理解できる本が極端に少なくなると
感じているひとたちにとっては、朗報ですね。


必要としているひとへ、この本が届きますように。








*樹村房(じゅそんぼう)
http://www.jusonbo.co.jp/



*『 わたしのかぞく なにが起こるかな?』
LLブック制作グループ /編
藤澤和子・川ア千加・多賀谷津也子 /著
(2015 年4月30日 刊行)B5判・112頁

―― 小学生の少女「わたし」と
 その両親、おじいさん、兄、姉の
 それぞれのエピソード9編を
 写真だけで4コママンガ風に表現。
 マンガ「サザエさん」のような、
 家族による身近な笑いがいっぱいです。

 目次
 1 はみがき
 2 あさごはん
 3 てつぼう
 4 おしゅうじ
 5 いす
 6 ばどみんとん
 7 ケーキ
 8 デート
 9 ランニング


*『 はつ恋 』
藤澤和子・川ア千加・多賀谷津也子/企画・編集・制作
(2017年4月27日 刊行) B5判・90頁

 目次
 1 海でであう
 2 女の子を見つめる
 3 うんていをがんばる
 4 ロールケーキはおいしい
 5 花をわたしたい
 6 こわい人がくる
 7 ふたりのクリスマス 













卒業式 [2012年03月10日(Sat)]

春まだ浅い、3月吉日。
なおの、特別支援学校高等部卒業式がありました。

DSC_0928-1.jpg


昨日までの日常の延長で 会場に入り、
開会の時間を待ちます。
「卒業生入場」。拍手のなか、23名の卒業生が入場。

式は厳かに 進みました。
学校長の祝辞、卒業証書授与と
ほんとうに厳かに 進みました。

「送辞」では、高等部2年生の生徒が、
自分たちの言葉で気持ちをストレートに発し、
清々しい風を吹かし、贈ってくれました。

そして「答辞」。
卒業生代表の男子生徒がマイクの前に立つなり、
感極まり、涙声で振り絞るような第一声
「と・う・じ」。

肩を震わせながら 一生懸命読みはじめた姿に、
それまで我慢できていた涙が どっとあふれてきました。
(と、書いている今も 思いだして目がうるうる)

気を持ち直して続ける 言葉。
卒業生の代表として、そのままの気持ちを
純に 伝えてくれました。

式典に臨席して、あらためて感じた「言葉のチカラ」。

そして 式典の間ずっと、
会場を包み込んでくれていた ピアノの生演奏。
「音楽のチカラ」の素晴らしさもあらためて感じました。

DSC_0930.JPG

「学校生活に別れを告げる」と親子で実感できた卒業式。

とてもとても心に残る、明日からの希望を抱けた 卒業式。

DSC_0933.JPG

先生、ありがとうございました。
卒業生のみなさん、
身体に気をつけて、社会でがんばりましょうね。
そして、
なおが生まれてから今まで接してくださった
すべてのみなさんに、感謝いたします。


*このコサージュは、学校でなおがつくったものです。
胸に付けて式に出ました。記念にします。



小さな巨匠展&京都府学校文化・芸術祭 [2012年01月27日(Fri)]
今日はご案内をふたつ。

まずは 昨日から開催されている、
京都市立の小・中学校育成学級、総合支援学校が
合同で開催する 作品展
「 第34回 小さな巨匠展 」のご案内です。

児童・生徒が、個人・共同で製作した 絵画や工芸、書道などの
作品が 約3000点、展示されています。
なおは 今春卒業のため、最後の出品となります。

学校関係者や 児童・生徒の家族 のほか、
障がいのあるひとと 日々ともに過ごしたり、
携わる 仕事をされているひとにも、ぜひ 見ていただきたいです。

6才から18才までの 障がいのある子たちが、
どんなことを 感じ、どんなことを 表現し、
どんなことを 伝えようとしているのか。
ご自身の身体で、ぜひ 確かめて見てください。


        『 弟34回 小さな巨匠展 』

日 時 : 2012年1月26日(木)〜29日(日)
        9時 〜 17時 (入場は16時30分迄) 《 入場無料 》

場 所 : 京都市美術館 別館
       京都市左京区岡崎最勝寺町13番地
        (京都市営地下鉄 東山駅下車 徒歩約5分)

主 催 : 京都市小学校長会育成学級委員会、
       京都市立中学校長会総合育成支援委員会、
       京都市立総合支援学校長会、京都市教育委員会



そして もうひとつ。
同時期に 京都市美術館(本館)で開催される こちらです。


        『 平成23年度 京都府学校文化・芸術祭、
             弟43回 教育美術展覧会 』

日 時 : 2012年1月28日(土)、29日(日)
              9時 〜17時  《 入場無料 》

場 所 : 京都市美術館
       京都市左京区岡崎最勝寺町13番地
        (京都市営地下鉄 東山駅下車 徒歩約5分)

主 催 : 京都府教育委員会、京都市教育委員会、
      京都府学校文化・芸術祭-教育美術展覧会実行委員会

後 援 : 京都府、京都市


この展覧会は、京都府内の 幼稚園・小学校・中学校・高等学校、
特別支援学校の 出品の中から、
豊かな個性と 創造性に満ち溢れた 意欲的な優秀な作品を
展示しています、と 案内にありました。

こちらに今回、なおの作品が 展示されることになりました。

この週末は、家族で 美術館を ハシゴ。
本人にとっても 家族にとっても、励みになる 出来事です。





ゲストアシスタンスカード [2011年08月18日(Thu)]

先日、東京ディズニーリゾート に行ってきました。
今回で 5回目。
また行きたくなる不思議な空間 だと
いつも感じています。

初めて行った時のこと。
あるアトラクションに並んでいました。
ひとの多さ、列に並ぶ ひとの熱気 に、
おもわず 「いやや〜」 と声を発し泣き出した なお。
そそくさと並んでいた列から離れ、
はぁー とため息。

その時、スタッフがやさしく声をかけてくれ、
ゲストアシスタンスカードの存在を
教えてくれました。
(以前から 風のウワサに聞いたことはありました)




2000年4月からある このカード。
当初は、
身体的な障がいがあるひと向けでした。

自己申告でカードが取得できるため、
不正利用者が増え、
一旦 廃止した 時期がありましたが、
2002年5月から 一部利用内容を変更し、
現在に至っています。

今は 身体障害者手帳保有者 だけでなく、
療育手帳 などを持つひと、
そして 母子手帳をもつひと(妊婦)、
高齢のひと も
自己申告で利用できます。



このカードを持つことで 受けられるサービス は、
あくまで アトラクションの待ち時間を
列に並ばなくていい ということで、
並ばずにすぐ入れる ということではありません。

「 待ち時間を列から離れて待つ」 ということです。

それに、ひとつのアトラクションでカードを使い
待機している時は、
他のアトラクションでのカード利用はできない、
という決まりもあります。
場合によっては
連れのひとは列に並んでいただきます と、
カードに明記されています。


さまざまな施設 において、
障がいのあるひとの利用料金が
割引になったり、
本人と介助者が無料 になったり
するところがありますが、
私はそれがよいことだとは思っていません。

「 利用料は 区別なくしっかり取る。
そのお金で、
利用する全てひとが気持ちよく楽しめる施設 になるよう、
改良に努めてほしい 」 と。

ディズニーリゾートには
障がいのあるひとの料金割引はありません。
しかし
「 訪れる全てのひとが楽しめるように 」 と
随所に 工夫や物心両面のサポート体制を
取っていると感じます。

本来,あるべき姿に近い
公共施設といっても過言ではないと 思っています。


障がいのあるひと は 「特権」 を求めるのではなく、
「 健常者と同じサービスを 受けられるために
必要なサポート がどんなことかを
社会に伝える 必要がある 」 のではないでしょうか。



*ゲストアシスタンスカード について、
東京ディズニーリゾートのHP には
記載がありません。
利用者からの申し出 により対応してくれます。
初めてのひとは、
インフォメーションセンターに事前連絡してからの
来訪をおすすめします。







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