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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ
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大事にされる  [2021年11月27日(Sat)]

過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
目にした文章があります。


――いばっている人って、いますよね。
 この人、ずいぶん自慢するなぁ、
 という人も見ますよね。
 なんでも知ったかぶりをする人もいます。
 なんか、すぐ泣こうとする人もいる。
 すっとんきょうなことをして
 注意をひく人もいます。
 こういうの、もちろん他人のことじゃなく、
 じぶんがやっていることも
 考えにいれてですね、
 そういうことをする人の、
 「望み」がわかったんです。

 すべて、「じぶんが大事にされるために」
 やってるんじゃないかと、思ったんですよ。

 「わたしをもっと大事にしろ」という「望み」、
 「わたしを大事にしてください!」という「願い」。
 それは、裏返しに見たら
 「わたしが大事にされてない」という「怒り」であり、
 「わたしこそが大事にされるべきだ」という「抗議」。
 なんだか駅で怒っている老人だとか、
 学校や会社でなにかと自慢している上司だとか、
 家で知ったかぶりしている夫だとか、
 思うままにならないと泣くこどもだとか、
 マンガに出てくるような人たちのやっていることは、
 だいたい「じぶんが大事にされるために」やってる。

 この「望み」が、いいほうに作用すると、
 芸人さんたちがおもしろさを磨くことになったり、
 スポーツ選手がいいプレイをすることに結びつきます。
 いいパフォーマンスをする人は大事にされていくもの。
 きれいに化粧をしたり髪をさらさらにしたりするのも、
 「じぶんが大事にされるため」という
 「望み」があるからだとも言えないでしょうか。
 おなじことの裏返しだけれど、
 絶望のようなものに長くつきあっているうちに、
 「じぶんが大事にされるために」
 やることを諦めたりね。

 他の人も、
 そういう「望み」を持っているんだと知って、
 ちょっとでも大事にしてあげられると、
 「大事は他人(ひと)の為ならず」で、
 じぶんも少し大事にされるかもしれません。
 「人を大事にする人は大事にされる」のも
 世の常ですよね。――



自分の望みを、願いを、
知ってほしいひとに伝えられているひとは
どれくらいいるでしょうか。

自分の望みを願いを
うまく伝えられないひとの
望みを、願いを、
知ろうと
聴こうと
しているだろうか、と
自問自答しながら考える。

そして 思います、
障がいのあるひとや高齢のひとの
問題行動とされるものは、
「 自分が大事にされるため 」の
抗議にも似た アピールなのだ、と。


「わたしをもっと大事にしろ」という「望み」、
「わたしを大事にしてください!」という「願い」。
それは、裏返しに見たら
「わたしが大事にされてない」という「怒り」であり、
「わたしこそが大事にされるべきだ」という「抗議」。


障がいのあるひとや高齢のひとの周りにいるひと、
家族や支援者が
「 見て見ぬふり 」をしているから、
「 くみ取り方がわからない 」から、
「 どう対応したらよいかわからない 」から、
と 言われても 困るだけですよ、という声が
聴こえてくるように思えて。

「 そのままにしておいて良いはずがない 」と
心には 留まっていても、どうなの。


「 ひとを大事にするひとは大事にされる 」。

今の自分が
大事にされているか否かを
振り返ることでわかることが
まず 有って。

「 そのひとには 障がいも年齢も関係ない 」。

望みも、願いも、
誰しも あるもの。

そのひとを大事に思えるならば、
「 分け隔てなく、ひとを大事にする社会 」が
広がっていくはずです。

望みを、願いを、
安心して伝えられる社会になるためには、
「 ひと 」を大事にする。

あたりまえでしょ、と
即答するひとに 伝えたい。














果てない空  [2021年11月15日(Mon)]

暦で 立冬と聞くと
急に気忙しくなるのは 毎年のことですが、
今年は なぜか とくに ざわざわして。

“ 昭和 ” の頃より
格段に変わった
さまざまな福祉制度ですが、
変わっても
変わっても
良くなるには遠い と思えることも
多々あって。

小中学校の義務教育を
障がいのある子も学べるようになってからも、
そこからはじまる
新たな たくさんの思いが あって。

各方面からの “ 必要 ” という
思いからはじまった
放課後デイサービスについても、
学校の代わり
適応指導教室の代わり
学童保育の代わり
習い事教室や学習塾の代わり
と、言われる場所に揶揄されて。

「 代わりが 必要な義務教育は要らない 」
と、思ったり。


日雇いでも 常勤でも
ちゃんと 貯金できる収入があり、
銭湯でひとっぷろ浴びたあと
好きな飲みものを腰に手を当てて飲んで、
家に帰って
晩ご飯を食べて、と
“ 昭和 ” の景色には
最低限の文化的な生活が
どの家の窓にも 映っていて。

一昨年に紹介した
映画『 ひいくんのあるく町 』

ひと通りの少なくなった商店街を
毎日歩き回る
知的に障がいのあるひいくんの暮らし。

そこに暮らすひとびとの温かさを
思い起こしながら、
見上げれば「 果てない空 」。

今、日々の暮らしの中で、
隣にいるひとも
最低限の文化的な生活を送っていると
実感できていますか。














ちがい  [2021年10月28日(Thu)]


ひとは それぞれ
個性や特性といった
「 違い 」を持っています。

ひとは 時にして
その「 ちがい 」をマイナスにとらえ、
「 相手を否定する 」行為をとることがあります。

ひとは 生まれて
成長する過程で、
自分で見て感じたことから
「 ちがい 」を 知ることがありますが、
暮らす生きる環境から
「 ちがい 」を 刷り込まれることが
往々にしてあり。

3、4歳頃から集団生活に入り、
自宅以外の場所で
一日のほとんどを過ごすようになった時、
そこを統率する大人の影響が
親の知らない間に
「 ちがい 」の意識を変えていることも
往々にしてあり。

学校という場では、
正解を求めることに重きを置き
その正解も1つで
わずかでも違えば誤答だと言われることも
往々にしてあり。

そこから「 ちがい 」を
マイナスとして捉えかねない状況が生まれ、
認知され、
それが 人間関係にも 反映されて。

「 ちがい 」を 否定する教育が常となり、
「 ちがい 」を よくないものとする考え方を
つくり出している場がどこか、と考えてみると。

子どもたちの周りに
ちがいのある子がいても、そこが
「 ちがい 」を 肯定的に捉える環境ならば
「 ちがい 」を マイナスに捉えない環境ならば、
「 違う 」という認識は 生まれません。

そして
学校という場が、
一人ひとりの「 ちがい 」を
「 ちがいのよさ 」を発見できる場であるなら、
学校現場で起こっている
さまざまなトラブルと呼ばれているモノは
解消できるはずです。


たとえば、「 ちがい 」が
「 左利き 」だったらどうでしょう。

左利きのひとが
利き腕では扱えない道具を使う仕事を任されたら
うまくいかないのは 当然のことです。

でも、そのことが理由で
叱責されたり
解雇を告げられたら、
そのひとにとって
「 左利き 」は「 障がい 」です。

しかし、利き手に関係なく
作業ができる職場に配置されたとしたら、
「 左利き 」は「 障がい 」ではないのです。

知的や精神や身体や発達に障がいのあることについても
同じこと ではないでしょうか。


不足している部分や
できないところだけに注目して、
「 ちがい 」という
マイナスのレッテルを貼ってしまう。

その場を
そのような環境を
変えたい。

日々のあらゆる場面で、
ささいなことでも「 ありがとう 」と言えて、
互いの「 ちがい 」を知り
尊重し合える環境が
広がることを願っています。

「 ちがい 」は、互いを認め合うために
あるのではないでしょうか。














感動 [2021年09月02日(Thu)]


「 感動をありがとう 」と口にする
見ず知らずのコメンテイターたちが
メディアを賑わせている 昨今。

感動、というものが
与えたりもらったりするものになってしまっていて
わたしは ちょっと 違和感をもっています。

「 感動で ひとつになる 」と謳う広告をみると、
いい気持ちがするどころか
いやな気持ちになるひとがいることを
企業は 想像できないらしい。

そもそも “ ひとつ ” に ならなくても
それぞれが
それぞれの
望む生き方のできる世界 である方が
きっといい、と思うのですが。


同じ映画を観ても そうであるように
感動って、ひとそれぞれです。

なのに、とってつけたように
「 感動 」を羅列する意味は 何なのでしょう。

感動をあおる、所業を繰り返すことから
生まれることは 何なのでしょう。


仮に パラリンピックを見たとしても、
今回の東京大会がはじめてで
知り合いが出場しているわけでもないのに
そんなに
感情移入できますか。

一人ひとりの胸にひびくそれらを
「 感動をありがとう 」と
集団のスローガンにすることに
恐ろしさすら覚えます。

感動、を
ただ 安売りしているだけに終わるようで。

そのあとに 何が残るでしょうか。

「 何を残そう 」という思いが
少しでもあるなら、
このような状況は 起こっていないでしょう。


「 支えることは “ 知ること ” から はじまる 」
けれど、
「 感動 」が邪魔をしていると
はっきりと そう 言えます。

その「 感動 」は 邪魔物です。

















リテラシー  [2021年08月09日(Mon)]

「 ゆとり教育 」がきっかけで消えていた
精神疾患に関する教育が、
学習指導要領の改訂により
来年度から 
高等学校の保健体育の授業で
行われることになった、と 知りました。

精神疾患は 近年、
がん・脳卒中・急性心筋梗塞・糖尿病に並ぶ
5大疾病の1つです。

厚生労働省の調査では、
精神疾患で医療機関にかかるひとは増えており、
2017年には 400万人を超えています。


授業では、
うつ病、統合失調症、不安症、摂食障害を取り上げ、
精神疾患は誰もがかかりうることや
若年で発症する疾患が多いことなどにふれるほか、
心身の不調の
早期発見・治療・支援の開始によって
回復する可能性が高まることや、
精神疾患は
偏見や差別の対象ではないことなどを
理解できるよう指導する、とありました。

ただ、教える側の
教員への教育が重要 という声が多く、
児童生徒から助けを求められたら
相談を受け入れて
医療を含む適切な対応につなげられるように
教員の意識改革が不可欠だ、と言われています。

そして 保健体育の教員だけでなく、
担任や養護教諭、校長や管理職の教員など
学校全体で
これらの問題に対応できるようにしないことには、
これらの教育は生きたものにはならない、とも。


こうした「 精神疾患についての教育 」が
行われるようになった背景には、
脳や心に起因する疾患(障がい)や
メンタルヘルスの理解促進を目的とした活動を行う
シルバーリボンの会さんが、今年3月
「義務教育で精神疾患を教え、偏見を無くしてほしい」
と 文部科学省に5万5千人の署名と
要望書を提出されたり、これまでの
さまざまな呼びかけや活動があったことも
要因のひとつと言われています。

しかし、精神疾患についての教育が
高等学校で教えられることに、危惧もあります。

精神疾患の中で 統合失調症の発症は
10代後半から20代に多く、
高等学校で教えるには遅いという意見が多いと
シルバーリボンの会さんでは
まとめられています。

精神疾患のある子をもつ親に行ったアンケートで、
前兆の症状が表れたピークは
13〜15歳で、
義務教育期間に前兆症状が表れた子は 54%、
中には 小学生のころに発症した子もいた、と。


これまで 精神疾患の症状が出始めても、
本人や周りのひとに
必要な知識が備わっていないことにより
気付かないままに 苦しむケースが多く、
親も子も「 知らない 」ことによる弊害が
避けられませんでした。


精神疾患は 早期発見・早期治療が大切ですが、
今回の高等学校での
「精神疾患についての教育」が
学校側の体制を変える・変わることに
つながってはじめて
この教育の意味がある と思います。

ただ、教えて終わりではなく、
教員の知識や理解不足による悪影響を
断ちきることができるか。

教員が統合失調症を怖い病気であるかのように
児童生徒に伝えたことで、
教員の誤った認識が
児童生徒やその保護者にまで
どれだけの影響があるかを
偏見を生み出すことになっているかを
知って知らないフリをするのは
終わりにして。

精神疾患教育において
重要なのは
教員リテラシー の向上かもしれません。

ここから変えないと
ここが変わらないと
どのような教育を設定しても
児童生徒には届かない、と
言えるのではないでしょうか。






*シルバーリボンの会
神奈川県横浜市泉区下飯田町1551-44
(就労継続支援B型事業所ゆめが丘DC内)
https://www.silverribbon.jp/



※文部科学省の調査では、
精神疾患で休職した教職員が
2019年度に
5,478人の過去最多 となっています。
教職員自身のためにも
精神疾患についての正しい理解が
より早く深まることを 願います。














社会を知る  [2021年07月28日(Wed)]

「 公務員と聞いて、どんなイメージが浮かぶ?」
という言葉からはじまる
ある記事が 目に留まりました。

「 公務員と聞くと、それは
前例を踏襲しながら お堅いひとたちが
淡々と業務をこなしているというイメージ」に
うなずいて。

そんな印象が ガラリと変わる、
民間の手腕を即戦力として活用する
公務員採用を、積極的に行っている
自治体があることを知りました。

佐賀県では、
今年 入庁した行政職のうち
その3割以上が 社会人採用で、
社会人採用者の割合は 全国トップです。

佐賀県の 職員採用パンフレットには
「 公務員になりたい人は いらない 」
「 公務員という職種はない 」
という文字が 踊っており、
公務員になりたいのではなく
佐賀県職員として 何がしたいのか
明確なビジョンを持った
プロ意識のあるひとを採用したいという思いが
伝わってきます。

佐賀県庁の 社会人採用選考は
一般教養などの筆記試験はなく(論文試験はあり)
「アピールシート」という履歴書と面接。

最も重視されることは、
自分のそれまでのキャリアを
PRする能力だそうです。

その社会人採用者らは、
商社や建設会社勤務をはじめ、
有名アパレルブランドのプロデューサー、
プロ野球球団の営業マン、
雑誌の編集者、
博報堂のCМプロデューサー、と
前職は多彩で
多方面で活躍できる即戦力ばかり。

この背景には、
「 これまでの“お役所仕事”では太刀打ちできない
急激な社会の変化に対する 強い危機感 」と
「 県民が今 求めているサービスを提供するためには
民間などで培われた 柔軟な思考が必要 」という
社会を知った上での決意が
見え隠れしています。

このような社会人採用は、
全国の自治体で 増えています。

兵庫県では
昨年度40人を採用したり、
東京都では
証券アナリストの資格保持者や
企業の財務評価経験者などの施策に必要な
ピンポイントでの採用を行っている、とか。

これらを知ったとき、
頭に浮かんだことがあります。

公務員だけでなく
教員にも このような思考が必要だ と。

教員の中には、
社会通念を持ち合わせていないひとが
いるように見受けられます、
かなり高い割合で。

身近に教員がいる環境で育ったひとの中には
うなずくひとがいると思います、
わたしもそのひとりです。

一般企業で働いたことのあるひとから見ると、
え、そんなことをこの場面で言う?
え、こんなマナーも知らないの?
という経験のひとつやふたつはありますよね
(きょうの福祉 調べ)。

以前より 思っていたことなのですが、
初任校勤務(概ね3年)後に
「一般企業で2年間働く」という
研修を取り入れてみてはいかがでしょうか。

うーん、率直に言うと
取り入れてください(義務化)。

広く社会を知ることによって、
今まで知り得なかった
たくさんのことが 知れたり
(その中には、保護者対応に有効なことも
たくさんあると思います)、
多方面のことが 見えたり。

学校という
狭い社会しか知らないことからくる
歪みを修正する経験が
教員には必要だ と強く感じています。

教員の中にも、きっと
一般企業で働いてみたいと思うひとが
いるのではないでしょうか。


「 公務員 という職種はない」に近しく
「 教員 という職種はない」と言いたいほど、
児童・生徒の前に立っていいのかと思う教員が
変わらぬ散在している状況に
警笛を鳴らしたい。

教員の知る社会が、
机上の空論であってはなりません。














自立ノイミ  [2021年06月22日(Tue)]



自分で 起きて
自分で 着替え
自分で 顔を洗い
朝食を食べて 歯を磨き
支度をして 学校や仕事場へ行き、
帰ってきたら
自分で うがい・手洗いをして
自分で 次の日の準備をする。

これらを「 自立 」と呼ぶことがあります。

小さい頃から
親が繰り返し教えて身につけたことを
自動的にやることを
「 自立 」と呼ぶことがあります。

それが 自立、ん、ちがうなぁ。

「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやれる」
ことが「 自立 」ではないか。


障がいのあるひとにとって、
「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやる 」
ことは、容易なことではありません。

成人したひとが
その時点から自立する、と聞いた際には
今さらそんなことを言われても、と
思うひとが たくさんいると思います。


以前 聞いた
ある児童精神科医の言葉を 思い出しました。

「 “ 選択の機会 ” が “ 自立 ” につながり、
“ 自由を好む気持ち ” が 自立をもたらします 」。

よく考えてみると、
身辺自立をしていないひとでも
“ 自立した生き方 ” をしているひとはいますね。

「 身辺自立 」と「 自立 」は 本質的には別のこと
だとすれば、身辺自立と同時に
「 自立 」に向けたこと、
「 自分がやりたいことをやる」ために必要なことへ
目を向けることのほうが
はるかに必要で、
充実した日々を送れる、と。

障がいのある子たちは もちろん、
成人した障がいのあるひとも
「 自分がやりたいことを、自分で見つけてやれる 」
という視点で、日々の生活を見直してみると
今まで気付かなかったことが 見えてきます。


何歳であっても、何歳になっても、
ひとは変われる、成長できる。

そう 耳にするたびに言いたい、
「 障がいのあるひとも同じですよ 」。

必要な支援を
年齢を加齢を理由に はぐらかすひとへ
この思いが 届きますように。















なめられない受け手  [2021年06月04日(Fri)]


過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
このような文章を 目にしました。


――このところずっと、と言っても
 もう20年以上になるかもしれないが、
 「送り手」以上に「受け手」が大事だと考えている。
 「以上に」とあえて言うのは、ほんとうはちがうのだが
 とにかく「受け手=受信力」が大事だと言いたいのだ。
 どんな表現であれ、どんなことばであれ、
 どんな気持ちであれ、どんな教えであれ、
 どんなサインであれ、どんな情報であれ、
 「受け手(キャッチャー)」がいなかったら、
 なんにもなかったことになって消えてしまう。
 千年にひとつというほどの研ぎ澄まされた発信でも、
 だれにも受けとめられなければ、意味も価値もない。
 なにかのかたちで残っていれば「受け手」が見つかるが
 見つけた者がそれをクズだと思って捨ててしまえば、
 結局は、なににもならなかったことになる。 

 いまの時代、人びとは精一杯に口を達者にして、
 正しそうなことをしゃべろうとしている。
 しかし、口の前に育てるべきは、ほんとうは、
 聴くための耳であり、じっと見るための目なのだ。
 どちらも、「受け手」としての力の元になるからだ。
 なめられない「受け手」がたくさん育つことで、
 そこから「送り手」が生まれ出てくる。
 さらに、「送り手」の「送りもの」が理解されて、
 もっといいものが豊かに増えていくことになる。
 「受け手」のいないところには、なにも育たない。
 土も水のないところで種は芽を出せないように。

 たとえば「教える」は「学ぶ」が育てるものだろう。

 「いい歌だねぇ」とたくさんの人が聴けば、
 つまり「いい歌」をわかる人がたくさんいれば、
 それを「歌ってみたい」と思う人が現れてくるし、
 「いい歌を歌う人」が育っていくことになるだろう。
 すごく深く理解している必要はないのだと思う。
 「受け手」には、資格や試験はたぶんいらないわけで、
 できるだけでいいから「人を敬おうとする」ことと、 
 「うれしくなりたい」気持ちがあればたぶんオッケー。
 「受け手」が、地に満ちますように。 ――




対面で話すことが少なくなった今、
画面を介して
ここにいないひとの話を受けることが
増えました、会社でも学校でも。

一方的に話されても、
聴く側によってその話は
0にも100にもなります。

聴くための耳を育て、
じっと見るための目を育てることによって
送り手と受け手は活きる。

聴く、見る、そして考える。

そんな当たり前に思えることの “ 質 ” が
コロナ禍の社会になって
落ちてきているように思えてなりません。

じゃあ どうすればよいのでしょうか。

思うにそれは
「 聴く力 」を付けること、
「 なめられない受け手 」がたくさん育つこと、かと。

「 受け手 」がいなかったら、
何にもなかったことになって消えてしまうし、
研ぎ澄まされた発信でも
誰にも受けとめられなければ意味も価値もないし、
見つけたひとがいたとしても
そのひとが「 受け手 」として機能しないひとならば
何もないことに なかったことに
なってしまうのだから。

皆さんは 自身が
「 なめられない受け手 」だと思いますか。














THEATRE for ALL [2021年04月28日(Wed)]


今年2月、日本で初めて生まれた
バリアフリー・多言語対応の
オンライン型劇場。

その名は 『 THEATRE for ALL 』。

――だれでも、いつでも、どこからでも。
 ひとりひとりが繋がれる “ 劇場 ”。
 劇場体験に、アクセシビリティを。
 それが『 THEATRE for ALL 』のミッションです。
 子どもから大人、そして、お年寄り。
 聴こえない人、見えない人、車椅子で移動する人。
 使う言葉が異なる人、育児・介護をしている人、
 海の向こうで暮らしている人。
 環境や身体のちがいから劇場を訪れなかった人が、
 別の方法で“ 劇場 ”に
 アクセスできるようになれば、
 ひとりひとりの日常も
 ひとつひとつの作品も、
 もっとおもしろくなるはず。
 『 THEATRE for ALL 』はそんな思いから生まれた
 アクセシビリティに特化した
 オンライン劇場です。――   ( HPより )


緊急事態宣言が発出されたり
まん延防止等重点措置が適応されたり、と
これまで以上に
外出の機会に制限がかかる日が続いています。

そのような中で、開かれた“ 劇場 ”
『 THEATRE for ALL 』が注目されています。


演劇、ダンス、映画・ドキュメンタリー、
ドラマ・芸能、現代美術などを対象に、
日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、
多言語(英、中、韓、西、葡、泰)対応などを
施した動画の配信(一部有料)など
社会参加の回路を生み出す
『 THEATRE for ALL 』を運営しているのは、
THEATRE for ALL LAB さんです。

「 ちがう 」ことを
前提にした対話の中からこそ生まれる
豊かな視点や新しいアイデアを
たくさんのひとと共有し、
社会に実装していくことを目指されている
THEATRE for ALL LAB さん。

そのひとにとってのアクセシビリティを高めた映像を
『 THEATRE for ALL 』で 配信することで、
自分なりの劇場を体感できるサービスを
開発・提供するだけでなく、
動画作品にアーティストや学者による解説を付けたり
ワークショップを通じて
参加者どうしがつながり学ぶ場を
ラーニングプログラムとして提供したり、
障がいのあるひとやアーティストらが
さまざまな立場のひとがチームになって
新しいバリアフリー表現の実験を重ね
それらの結果をレポートし
次なる 議論を 問いを 生み出すという、
今まで 日本にはなかった事業を
展開されています。


さまざまな “ 障がい ” は、
自分だけでは 気づけなかった。

新たな一歩を踏み出す
きっかけとなるような体験が
ここで 得られるかも。


利用方法は、
下記のHPから
新規会員登録(無料)をし、
無料視聴できる作品から入ってみてください。

早速、わたしは
観たい映画が 見つかりました。
ステイホームで 楽しみます。






*THEATRE for ALL
https://theatreforall.net/


*おすすめの映画は
ドキュメンタリー映画『 白い鳥 』。
全盲でありながら、20年以上にわたって
美術鑑賞を続けている白鳥建二さん。
その方法は
目の見えるひとと見えないひとが
一緒に「会話」をしながら鑑賞するというもの。
白鳥さんと友人たちの
活動、旅、日常生活を追いながら
「なぜアートに惹かれるのか?」
「会話だけで何をどこまで伝えられるのか?」
に迫った映画です。










フェーズフリー  [2021年04月22日(Thu)]

フェーズフリー という言葉を
先日、耳にしました。


「 日常時 」と「 非常時 」という
2つのフェーズ(段階、局面)の制約から
自由であることを目指す概念のことを
「 フェーズフリー 」といい、
十分な備えが難しいと認めざるを得ない時代となった今、
地震、天災、ウイルス感染などの
“ 災害 ”に備えるために、
“ 備え ”を
“ 守りたい思い ”を
カタチにするために生まれた
「 フェーズフリー 」は、
「 身のまわりにある モノやサービスを、
日常時はもちろん、
非常時にも 役立てることができる」という
新しい防災の考え方だと知りました。

どのような状況においても利用できる = 常活性、
日常から使える = 日常性、
使い方や利用限界がわかりやすい = 直感性、
気づきや意識、災害に対するイメージを生む = 触発性、
参加でき、広めたりできる = 普及性、
この5原則に基づいた
商品やサービスが
これから求められる、と。


日常生活でも
便利に 活用できて、
もしものときにも 役立つ。

これまで 防災用品と呼ばれるものは
普段は しまってあるもので
非常時のみ 取り出して使う、という
これまでとは、
大きなちがいがあります。

たとえば、
水にぬれても文字が書ける筆記具や、
電気自動車の電気を
非常時に車の外へ給電できたり、
カセットボンベで
電気をつくる非常用電源があったり、
「 災害時でも
すべてのひとの制約が 最小限で済む 」
それが、フェーズフリー商品です。



今、民間企業では
この概念を取り入れた 商品開発が、
行政では
この概念を取り入れた まちづくりが、
急速に 広がりを見せているそうです。

商品やサービスに具現化させることで、
平常時のみならず
災害時においても有効に利用され、
社会的脆弱性を解消しようとする。


この考え方は、
社会の仕組みだけでなく、
障がいについての考え方も
大きく変えるかもしれません。







*一般社団法人 フェーズフリー協会
(Phase Free Association)
東京都文京区湯島4-6-11-A-1607
https://phasefree.or.jp/













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