申請
[2018年06月22日(Fri)]
「 この間、支援者からは言ってもらえない
ほとんど知られていない制度の話を、
あるひとから
こっそりと 聞いたのよ… 」
ふとした会話から流れた
知人の言葉に、複雑な思いが 過りました。
「 日本 」という国の
くくりは 同じなのに、なぜ
必要なことが
届くひとと
届かないひとのちがいが
なぜ 大きくあるのか、と。
知ったもの勝ち、ではないでしょう。
知らない、と
命にかかわることもあるのに。
「 相談支援を受けようと思っても、
家族のことを いろいろ話さないと
必要に合った支援が 見えてこないでしょ、
だから、信頼できない支援員には
相談できないと思って、うちは
相談支援を受けずに
セルフプランを 続けているの… 」
必要だから生まれた
支援制度ですが、
相談支援というテーブルの上で
「 サービス 」だけを
パッチワークのようにつなげても、それが
本人とその家族が望むことと
かけ離れているケースが
多くあることを
否めない現状があります。そして、
相談支援員の理解や知識の
「 温度差 」を 感じるひとも
少なくありません。
ひとは、どんなひとも
生まれたときから
切っても切れないコトがあります。
「 申請する 」ということです。
生まれたら、出生届を
引っ越しをしたら、転居届を。
そして、
ひとりで暮らしていけない状態になった時にも
「 届(とどけ)」を出さないと
必要な支援が
はじまりませんし、
受け続けることも できません。
もしも ひとりで暮らしていて、
暮らしていけない
生きていけない状態になった時、
「 何を どうすればよいか 」を
身近で 教えてくれるひとがいなかったら、
さあ、どうすればよいのでしょう。
自らが
役所へ 出向くことからしか 始まらない
日本の、今在る 制度。
「 自らが役所へ出向くことからしか始まらない」
ことが、常識とされている日本。だからこそ、
「 知らないことは 損 」と
思うひとがうまれ、
知り得た情報を
こっそりと話すのか、と思ったり。
「 20歳を過ぎると、
知的に障がいのあるひとも
銀行口座の開設や解約は
家族でも できなくなる。
携帯電話の機種変更すら
家族でも できなくなる。
障がいのあるひと自らが
銀行や携帯電話会社へ 出向くか
障がいのあるひとが書いた
委任状がなければ、
何も できないのです… 」
そうでしょう、今の日本では。
しかし、
形式だけに とらわれず、
障がいのある本人と家族の
大きな負担にならない方法を生み出すことは
本当に
不可能なことなのでしょうか。
銀行や携帯電話会社側の 担当者は、
これらの事案に
遭遇する度に、
客の立場で
これらを考え
何か策はないかと
考えたり 進言したり 改革しよう と
しないのでしょうか。
暮らす、
生きる、ために
さまざまな支援を必要とするひとは、
障がいのあるひとだけでなく
さまざまな
年齢や状況のひとであることは
言うまでもありません。
「 申請しないと 始まらない 」。
日本の仕組みに、
疑問を持つのは わたしだけでしょうか。
暮らすこと、
生きること、の 根源にかかわる
「 申請 」する ということが、
多くの負担や矛盾、そして
必要とするひとが 不利となる状況を
生んでいる ということに
もっと 目を向けてください。
日本の、どこで、いつ、何が、
起こっても
不思議ではない 今。
「 申請 」しないと はじまらない現況が
暮らす、
生きる、ひとに
大きな影を落とし続けないことを
願います。
タグ:申請主義
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