見えることを伝える
[2018年02月02日(Fri)]
過日、目にした
ほぼ日刊イトイ新聞
「 今日のダーリン 」の
コラムを読んでの ひとりごとです。
―― じぶんにこどもができると、
いかに世の中のあちこちに
たくさんのこどもがいることか、
と感心することになる。
じぶんが犬と暮らすようになると、
世界には、
こんなに犬がいたのかと驚くことになる。
じぶんが、文章を書くようになると、
あちこちに文章というものが
あふれていることに気づく。
おもしろいのや、おもしろくないのや、
どうでもいいのや、くやしいのや、
かっこいいのが。
そういえば、ぼくが釣りをはじめたころには、
どこにもそこにも水たまりや川が流れていて、
すべての水に魚が泳いでいるように思えた。
(中略)
いつも「ゴミ」に埋もれて暮らしている人には、
ひょっとしたら
日本中の「ゴミ」が見えてるのかな。
そういうこともあるかもしれない。
暗い理屈をこねくりまわしながら、
不幸と争いの行方を観察している人には、
次々とそういうものが見えてくるのかもしれない。
ポジティブシンキングとか
ネガティブとか言わなくても、
見たいものを、人は見ているし、
見続けているものは、
探しやすくなるということだ。
好きなものを好きであること。
好きな人を好きであること、
好きな時を好きであること。
好きを愛おしんだり、
好きを大切にしていることが、
さらに好きなものと
出合える機会をつくってくれる。
こんなに簡単なことだったのか。
そういえばいまのぼくは、
老人が目に入ってしょうがない。 ――
ひとそれぞれに、
興味のある物事にちがいがあります。
それは 誰にもある、
あたりまえのことです。
自分の
暮らすまち
生きる社会の中で、
見たいものを
自分は見ているし
見続けている。
自分の周りに存在する
ひとやものは、
少なくとも、すぐに
目に入ることになりますね。
自分が
暮らすまち
生きる社会の身近なところで、
障がいのあるひとが
買い物をし
同じ学校へ通い
放課後も一緒に遊び
公共交通機関を不自由なく利用し
職場では
健常と呼ばれるひとと一緒に仕事をしている。
そんな光景が
日本のあちらこちらに存在すれば、
障がいのあるひとは
今よりも 自分らしく
地域で暮らすことができるのに、と
コラムを読んで 想像しました。
そして、こう 思いました。
「 見えることを 伝える 」。
今、不満に思っていることがあるのなら、
見えることを 伝え続けることから
変わっていくのではないか、と。
どんなに小さいことも、
小さいことだから 伝えないと、と
思えてなりません。
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