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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。



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そばに居るだけで [2017年01月27日(Fri)]

今日は、
ほぼ日刊イトイ新聞の
ある日の『 今日のダーリン 』を読んでの
ひとりごとです。


―― 神戸で生まれ育った友人が、毎年、この日に、
なにをするという目的があるわけでなく、
神戸に行くということを知って、5年くらいになる。
もっとも、その友人と知りあったのが5年前くらいだ。
知っているひとりの人間が、年に一度、
欠かさず神戸に行っているということだけで、
ぼくにとっての「阪神淡路大震災」は、
ずいぶんと近いものになったような気がする。 
思えば、あの年のあの日を、ぼくは、
「そこから遠い人」として感じていたということを思う。
友人が毎年そこに行く、ということを知るだけで、
ちょっとこころが助かるんだよなぁ。
なんだか、すみません、ありがとう。

年が明けて少し経って、寒さが厳しくなると、
受験生たちのことが話題に上る。
その親の立場の人たちは、気が気でないようなようすだ。
ぼくも、たいへんだね、と思うのだけれど、
かなり距離の遠い「たいへんだね」である。
ぼくは受験勉強をまじめにやった学生ではなかったが、
受かるだの落ちるだので、
泣きそうになった経験もある。しかし、
同じような局面にいる若い人たちに向かって、
平気の笑顔で「がんばれよ」とか言ったりしてる。
時間が遠ざかると、思いも遠くなる。
ごめんね、そういうものらしいよ。

「早い話が、おれが芋を食ったら、おまえが屁をするか」
というようなことを、「フーテンの寅さん」が言った。
このセリフを、まだこどもだった時代に耳にして、
つくづく感心してしまった。
しかし、それでも、こころのどこかのところで、
「おれが芋を食って、おまえに屁をさせよう」だとか、
「おまえが芋を食ったから、おれが屁をしたじゃないか」
なんてことを考えそうになってしまう。
 
じぶんと他人とは、しょっちゅう混乱しているのだ。
たぶん、同じ歌を歌ってよろこぶことだとか、
なかまといっしょになにかするたのしみだとかも、
じぶんを、じぶんとして切り離せない現象のひとつだ。
遠くでも近くでもなく、
ぼくはここにいるだけなのに。 ――




「 ここにいるよ、ここで暮らしているよ 」。
 
互いの存在を
傍らに 感じるだけで、
変えられることが あります。

「 自分のそばにも、障がいのあるひとが居る 」。

障がいのあるひとが 傍らにいることで、
障がいのあるひとのことを
特別に伝えることは
ほとんど要らなくなる と思うのです。



障がいのあるひとは、まちへ 出ましょう。
小さい頃から、保育園で幼稚園で
小学校で中学校で
一緒に 肩を並べて 過ごしましょう。

「 自分のそばにも、障がいのあるひとが居る 」。

そこからはじまる思いがあります。
その思いは、
取り繕われたものではなく、
大人のこれまでの主観が混じったものではなく、
そこに一緒に居る
一人ひとりが感じる純粋なものです。

糸井さんが言う
「 じぶんと他人とは、しょっちゅう混乱して、
同じ歌を歌ってよろこぶことだとか、
なかまといっしょになにかするたのしみだとかも、
じぶんを、じぶんとして
切り離せない現象のひとつ 」なら、
遠くでも近くでもなく
ここにいるだけで
障がいのあるひとたちは
じぶんの特別な存在でなくなる、と
あらためて思った ひとときでした。












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