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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
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 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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つながり  [2022年07月11日(Mon)]

過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
こちらの文章を 目にしました。


――「つながり」をつくっては、
 「つながり」に「つなげる」。
 人が生きるということは、
 そういうことなのかもしれない。

 父と母の「つながり」があって、わたしが生まれる。
 つまり、もともとわたしは「つながり」からはじまった。
 生まれても、たったひとりで生きるわけではない。
 母というもうひとりから乳をもらって「つながる」。
 母なのか父なのか、別の人なのかはともかく、
 だれかと「つながる」ことで、今日をまず生きられる。
 生まれたばかりのわたしは、
 なにもできない弱いものであるがゆえに、
 だれかと「つながる」ことになる。
 この「つながり」を「あい」と呼ぶこともある。 

 わたしは、うまれたとたんに、人と「つながる」。
 「つながる」ことができないと生きることはなかった。
 そこから、わたしは、「つながり」続ける。
 ずっとだれかと「つながり」ながら生きてく。
 そのだれかは、他のだれかたちと「つながっている」。

 「つながり」と「つながり」がつながって、
 さらにまた「つながり」になっていく。
 おもしろい「つながり」もあるし、
 むりやりつくられた「つながり」もあるし、
 どうしてできたのか忘れちゃった「つながり」もあるし、
 「つながり」たい「つながり」もあれば、
 「つながり」たくない「つながり」だってある。
 偶然にできた「つながり」もたくさんある。
 そういう大きな「つながり」の網の目があって、
 そのどこかにいるのが、わたしというものなのだ。

 「朱に交われば赤くなる」だとか、
 「類は友を呼ぶ」だとかも「つながり」のはなしだ。
 「つながり」からは離れることもできるし、
 「つながり」をゆるめることもできる。
 あんまりつよくて張りつめた「つながり」があると、
 他の「つながり」とつながりにくくなってしまう。
 後ろを振り返ったら「つながり」が見えるし、
 広さを見渡したら「つながり」が見えてくる。
 未来も、
 まだ新しい「つながり」ができてくるはずだ。――



近年、「つながり」という言葉を
耳にする機会が 増えました。

その度に、わたしは少し
もやもやする気持ちが同居していました。

あまりに つよく
張りつめたような「つながり」が、
気がつかないうちに
自身のまわりにじわじわと貼り付いていくような
そんな社会に
なっていないか、と感じていました。

そうです、
「つながり」は ゆるめることもできます。

ある「つながり」とばかり つながっていると、
ほかの「つながり」が 見えなくなったり
ほかの「つながり」と つながりにくくなってしまう。

そこを 見落としてほしくありません。

後ろを振り返ったり、
少し広いところに出て まわりを見渡したり。

今だけではなく
これからを広く考えるためには
「つながり」という言葉は
ひとつの「障がい」かもしれません、
ひとつの「障がい」と なっているのかもしれません。












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