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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
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 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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なめられない受け手  [2021年06月04日(Fri)]


過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
このような文章を 目にしました。


――このところずっと、と言っても
 もう20年以上になるかもしれないが、
 「送り手」以上に「受け手」が大事だと考えている。
 「以上に」とあえて言うのは、ほんとうはちがうのだが
 とにかく「受け手=受信力」が大事だと言いたいのだ。
 どんな表現であれ、どんなことばであれ、
 どんな気持ちであれ、どんな教えであれ、
 どんなサインであれ、どんな情報であれ、
 「受け手(キャッチャー)」がいなかったら、
 なんにもなかったことになって消えてしまう。
 千年にひとつというほどの研ぎ澄まされた発信でも、
 だれにも受けとめられなければ、意味も価値もない。
 なにかのかたちで残っていれば「受け手」が見つかるが
 見つけた者がそれをクズだと思って捨ててしまえば、
 結局は、なににもならなかったことになる。 

 いまの時代、人びとは精一杯に口を達者にして、
 正しそうなことをしゃべろうとしている。
 しかし、口の前に育てるべきは、ほんとうは、
 聴くための耳であり、じっと見るための目なのだ。
 どちらも、「受け手」としての力の元になるからだ。
 なめられない「受け手」がたくさん育つことで、
 そこから「送り手」が生まれ出てくる。
 さらに、「送り手」の「送りもの」が理解されて、
 もっといいものが豊かに増えていくことになる。
 「受け手」のいないところには、なにも育たない。
 土も水のないところで種は芽を出せないように。

 たとえば「教える」は「学ぶ」が育てるものだろう。

 「いい歌だねぇ」とたくさんの人が聴けば、
 つまり「いい歌」をわかる人がたくさんいれば、
 それを「歌ってみたい」と思う人が現れてくるし、
 「いい歌を歌う人」が育っていくことになるだろう。
 すごく深く理解している必要はないのだと思う。
 「受け手」には、資格や試験はたぶんいらないわけで、
 できるだけでいいから「人を敬おうとする」ことと、 
 「うれしくなりたい」気持ちがあればたぶんオッケー。
 「受け手」が、地に満ちますように。 ――




対面で話すことが少なくなった今、
画面を介して
ここにいないひとの話を受けることが
増えました、会社でも学校でも。

一方的に話されても、
聴く側によってその話は
0にも100にもなります。

聴くための耳を育て、
じっと見るための目を育てることによって
送り手と受け手は活きる。

聴く、見る、そして考える。

そんな当たり前に思えることの “ 質 ” が
コロナ禍の社会になって
落ちてきているように思えてなりません。

じゃあ どうすればよいのでしょうか。

思うにそれは
「 聴く力 」を付けること、
「 なめられない受け手 」がたくさん育つこと、かと。

「 受け手 」がいなかったら、
何にもなかったことになって消えてしまうし、
研ぎ澄まされた発信でも
誰にも受けとめられなければ意味も価値もないし、
見つけたひとがいたとしても
そのひとが「 受け手 」として機能しないひとならば
何もないことに なかったことに
なってしまうのだから。

皆さんは 自身が
「 なめられない受け手 」だと思いますか。














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