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きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


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介護をするひと  [2021年02月20日(Sat)]

過日、ある特集記事を 目にしました。

「 男の子は9歳から介護を始めた  
       〜幼き介護の現実〜 」
  ( 2021年2月5日:NHKWEB特集 )

その男の子は、
3歳の時に交通事故で父親を亡くしてから
母親と祖母との3人暮らしになり、
家計は 少しの貯金と祖母の年金が頼りでした。

祖母の介護を始めたのは 9歳の頃で、
心臓が悪く家の外に出ることがほとんどなかった
母親の代わりに、
毎日の買い物や洗濯もしていました。

高校進学の際には母親と祖母のために時間を割こうと
定時制の学校を 選びました。

母親の体調が悪化し、男の子の生活はこれまで以上に
介護中心の生活に なっていきます。

食事の準備や買い物、洗濯、掃除はもちろん、
祖母と母親のトイレ介助に体拭き。

「 遊びたい」「 誰かとつながりたい」、
年相応の子たちの生活からかけ離れた日々の中で
そう思うこともありましたが、
本当の気持ちは 誰にも打ち明けられず、
目の前のこと、その日のことだけを考えて
毎日を過ごすしか ありませんでした。

高校卒業後、祖母に
訪問看護師やヘルパーが家に来てくれるようになり、
アルバイトを始めます。

週2回、1日3時間ほどでしたが、
アルバイト先では
何気ない会話に笑い合える友だちもできました。

しかし、6年ほど経った頃、
母親が寝たきりになり、アルバイトを辞めることに。

男の子が付きっきりで介護をする日が続き、
家族以外とは
誰ともつながれない生活に戻りました。

間もなく 祖母が亡くなり、そこから
約10年の間、母親と2人きりで過ごす時間が
ほとんどの毎日が続きます。

ヘルパーをお願いしようとしても
母親が嫌がったため、
家事と介護のすべてを 男の子が担いました。

働きにも出れないので、金銭面では
親族などから支援を受けて
やりくりをする生活が続きました。

そして4年前、母親は67歳で亡くなりました。

約30年続いた介護の生活が終わった時、
男の子は 38歳になっていました。

家族の世話をするのは自分の役目で、
子どもの頃から介護をすることは
普通のことだと思っていた、と 言う彼。

誰かに相談して
助けを求めようと
考えたことすらなかった、と。

「 周囲のひとや 行政のひとたちから
ちょっとした声かけのようなやさしさがあったら
ずいぶん 救われると思います 」。

そう話す彼には
友だちも彼女もいない、
社会とのつながりもありませんでしたが、
彼は「 人並みの幸せを感じたい」と
その後、スーパーで パートを始めました。




まずは、この38歳の男性のこれからが、
自身の思いを叶える日々になることを
願ってやみません。

家族間の介護について、
「 仕方がない」で済ませる日本の縮図を見たようで
もしかしたら、稀ではないことでは、と。

「 男の子」だから 問題提起されたのであって、
「 女の子」だったら 表に出ただろうか、と。

そして 思いました、
「 親が子を介護する」ことだったなら
取り上げられていたでしょうか。



「 子が 親や祖父母を介護する」ことと
「 親が 子を介護する」ことの
どこにちがいがあるというのでしょうか。

子が親を、親が子を、介護をする。

その どちらにおいても、
誰かが 誰かの犠牲に なり続けてはならない。

介護をするひとに “ ちがい ” は ありません。

男性も女性も、親も子も。















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