• もっと見る

きょうの福祉

「障がい者というコトバを
    使わなくて済む社会になればいいなぁ」
 障がいのあるひとが、
 地域で役割を担い、ふつうに生きる。。。
 この願いに向かう kyokyo の日々をつづります。


    canpan.info ドメイン常時SSL化対応に伴い、
    2019年11月以前にいただいた
    「いいね!」は消えています


「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ
日本財団ROADプロジェクト
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
タグクラウド
!-style FSトモニ― NPO法人さまさま YOUYOU館 NPO法人つくし つくしハウス NPO法人ゆいまある NPO法人アクセプションズ NPO法人ウブドベ NPO法人サリュ NPO法人スウィング NPO法人ハイテンション NPO法人プラッツ おーぷんせさみ NPO法人リべルテ poRiff あおい苑 あしたーる工房 あやべ作業所 あらぐさ福祉会 いきいき・いわくら かしの木学園 かめおか作業所 がんばカンパニー きょうだい ぐらん・ぶるー さくさく工房 しょうぶ学園 たんぽぽの家 ともの家 どうほうの家 なづな学園 なづな展 はじまりの美術館 みずなぎ学園 みずのき美術館 みつみ福祉会 みやこ缶入パン製造センター みやこ西院作業所 やまなみ工房 やまびこ やよい工房久貝事業所 よさのうみ福祉会 アイアイハウス アイアイハウス とうふ屋あい愛 アトリエインカーブ アトリエコーナス アトリエパッチワーク アトリエ・エレマン・プレザン アンプティサッカー アートピクニック アール・ブリュット エイブル・アート・ジャパン オリーブホットハウス ケアラー コトノネ コラボレーション効果 ジョイント・ほっと テミルプロジェクト テンダーハウス トライアングル ハハヨ、コロスナ バスハウス パラリンピック ブラインドサッカー ヘラルボニー マイナンバー マジェルカ ワークショップ北山 ワークショップ野の花 ワークスおーい 七彩の風 丹波桜梅園 乙訓ひまわり園 京きよみず工房ソラ 京都いたはし学園 京都のぞみ学園 京都フレンドリーハウス 京都ワークハウス 京都太陽の園 京都市うずまさ学園 京都市だいご学園 京都市ふしみ学園 京都市やましな学園 京都市立北総合支援学校 京都市立東総合支援学校 京都府立与謝の海支援学校 京都府立中丹支援学校 京都府立丹波支援学校 京都府立八幡支援学校 京都府立城陽支援学校 京都府立宇治支援学校 京都府立舞鶴支援学校 伝福連携 修光学園 働く 兵庫県 分けない教育 勇気工房ほほえみ 協働ホーム 命の選択 和歌山県 土と色展 埼玉県 塔本シスコさん 大阪府 奈良県 子ども食堂 学ぶ作業所・専攻科 宮城県 寄付 富山型デイサービス 居川晶子さん 山形県 山科工房 岐阜県 岡山県 岩手県 工房しゅしゅ 徳島県 支援 新倉壮朗さん 日本ダウン症協会 映画 東京都 板東の丘 洛南共同作業所 渡辺あふるさん 滋賀県 災害医療 申請主義 白百合会 リ・ブラン西京 白百合会 衣笠授産所 知ってもらう 神奈川県 福岡県 福島県 福祉避難所 第三かめおか作業所 累犯障がい者 舞台 花水木 西寺育成苑 農福連携 選挙 金澤翔子さん 長野県 障害者差別解消法 障害者週間 青空工房 青谷学園 静岡県 鳥取県 FSトモニー
きらいちがいけいい  [2021年01月21日(Thu)]


過日、ほぼ日刊イトイ新聞の
『 今日のダーリン 』というコラムで
次のような文章を 目にしました。


――世の中、じぶんの好きな人ばっかりだったら
 なんの問題もないわけで。
 好きな人ばっかりいるわけじゃないのが、
 「世の中」というゲームボードなんですね。

 ちょっとこらえ気味に言えば、
 だからおもしろいんでね、
 毎日晴天じゃなくて、
 雨風雪嵐もあるから変化もあるし、
 ゲームのなかに
 「嫌いだなぁ」という人だっているから、
 変化もスリルもあるということでしょうか。
 ま、それも、
 がまんして考えればということです。
 どんなにご陽氣な人にだって、
 嫌なものはありますさ。

 ぼくも、
 じぶんがなにを嫌だと思っているのだろうと、
 考え続けてはきましたよ、
 こらえ気味に、おちついてね。
 考えのちがい、趣味のちがい、生き方のちがい、
 望みのちがい、国籍や人種のちがい、
 性別のちがい、よくよく考えてみると、実は、
 そういうことでは
「嫌いだなあ」とは思えないんです。
 かつて、吉本隆明さんが語っていた話で、
 鶴見俊輔さんが数寄屋橋公園で座り込んで、
 ハンガーストライキをやっていたとき、
 道を隔てた向こう側では
 赤尾敏が街宣車で演説している。
 この景色がだんだん馴染んできたら、鶴見さん、
 向こう側にいる赤尾敏さんに
 親近感をおぼえてきた、
 吉本さんも「そういうことはありますよね」と。
 右と左で絶対相容れないように見えて、
 正反対に思える相手のなかに「じぶん」を見る。
 ぼくも、ほんとうに、
 そういうことはあると思えます。

 じゃ、「嫌だ」って、なんなんだ?と考えてきて、
 このごろ「これかもしれない」と思うのは
 「敬意」というものの有る無しなのではないか、と
 そんな結論に達しつつあるんですよね。
 敵であれ味方であれ、
 低いものであれ、異なものであれ、
 その相手への「敬う気持ち」がほしいんです。
 犬や猫に対してでも、赤ん坊に対してでも、
 悪人や罪人に対してでも、
 最低限の「敬意」は必要で
 それを蔑ろにしている人を、
 ぼくは嫌っているようです。
 ま、ほんとは「敬意」のない人に対しても、
 こちらからは「敬意」を失わないことが
 大切ですけどね。 ――




コロナ禍の社会で
さまざまな報道、情報が流れる中、
心無い言葉を
ボソリと言ったり
ドリャーと投げかけたりする場面が、
目の前というより
SNS上で見られることが増えています。

それらを
あたかも直接見聞きしたかのように
メディアは 拾って、流す。

それを見たひと、とくに
ニュースをはじめの一行しか見ない
見出しの一行で
わかったと思っている若いひとが
勘違いしたり思い込んだ情報を拡散したり、と
ちがったとらえ方をした報道内容が
散在する社会になったのではないかと
思われてなりません。


どのような意見を持っているひとにも
まずは「 最低限の敬意 」があって、初めて
自分の意見が 発言できるのであって。

どのような状況下においても
敬意を失わないことが
どれだけ 大切なことかを
今、だからこそ気付き、考えてほしい。

敬意を捨てたひと が
新型コロナウイルス と同じように
蔓延する社会に
なってほしくありません。















コメント
プロフィール

kyokyoさんの画像
<< 2022年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
月別アーカイブ
https://blog.canpan.info/kyofukushi/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/kyofukushi/index2_0.xml