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2015年07月24日

国際化の国づくりに意識転換を

国際化の国づくりに意識転換を
(怪しくなってきた国の針路、泥船か)

 アベノミックスの三本の矢も的から外れ怪しくなってきた。国民に委ねる消費税のアップだけが優先していることは、経験不足の素人政策軍団の最たるもので、それより素人の村井でも国の財政危機をを危惧する限りである。

 「木を見て森を見ない」という言葉が最近よく使われるが、使うとしたら国政担当の政策マンにこそ似合うだろう。

 国際化の中で、TPP交渉も含め予断を許せない。このような情勢の中で、TPPは、ますます国力の衰退を招き、合わせてその体力・気力をも失ってしまう国内産業構造となること間違いない。勿論国防も、外交も暗闇の世界となろう。

 こんな判断や意見は私一人かもしれないが、私の生涯の中に農家経済が立ち行かなかった苦しい経験がある。我が家の「信頼・経営者の力と信用」を失った時、社会から信用されないことが如何に苦痛だったことか。

 政治とは人間です。経験・体験の希薄な人間がどんな発想をしても、経験豊富な人間より劣ると申し上げたい。
 社会貢献意識の希薄な人間がどんな対案を示しても、それは単なる想像と夢物語で、実現性に劣ると言わざるを得ない。

 政治の世界に必要なことは、国民の意思が如何に反映されるかであり、党利党略の世界の論議は必要なし。勿論、選挙用のパフォーマンスや守ることの出来ない公約・約束は、やる気があれば実現可能である。しかし、選挙のたびにむなしさを感ずるのは私だけか。
 繰り返し行われる選挙で政変も在れど、国政自体に何の変遷も変革も見えない。旧態依然の国会運営に、国民の国会に対する信頼も期待も生まれません。
 投票率の低迷の洗礼を受けた者の一人として、虚しさだけを感じる次第。

 厳しくなるが、売名と名誉とお金のために立起する候補では、国民の信頼は得られない。地域社会や経済活動や実務実践活動の経験を経た立候補であれば、国民は健全に選択するであろう。

 私は、83年間の生涯に、農民運動45年、行政業務24年、地域活動60年、教育・農業・消防組織活動、集落・集団活動、青少年や青年団、農業クラブ・農業組織活動、構造改革、近代化事業などなど、14haの農業経営の傍ら実践してきた、
 手柄を語ることではなく、その貴重な体験・経験を人生の宝物として、自分で評価しながら語っている。

 言い過ぎかもしれないが、今の政治にまず必要なのは、国民生活の基本である健康にかかわる国民運動としての政策の立案である。現状は対応政策が乏しい。いや、むしろ放置していると言っていい状態だ。
 国家予算を苦しめている医療関係への国費の40%負担。元利償還を含めると70%を要する予算配分は、予算常識を超えたものだ。「健康てんでこ」を主張したい。

 第二必要はことは、国民の希望の政治であり、安全安心な政治である。これらが欠けると、意欲も活力も育たない。もちろん愛情も色気も失えば、政治に犯罪が生まれ、日本が危険な国と化すること間違いない。

 ささやかな、論理を統括させていただく。

 捕り物でも捜査でも、頭と理屈だけでは解決しない、必要なのは、数限りない経験と体験であり、それらが真相を解明する。また、モノづくりの世界も、実践者の技能と技術がモノの完成に導く。経験不足の技術からは、優れたモノづくりは、期待できない。

 国づくりも軽々な発想では完成しないし続かない。今までの原子力発電所の設置は、技能と技術の未熟さを明確に露呈した結果であると思う。今までの事故は、危険極まる活断層の真上に設置した結果の大事故である。核の平和利用を唱えた国の責任は重い。結果として、国民に嘘をつき、危害を与えた。謝罪の一言も言えない責任者に国民として鉄拳を与えたい心境だ。

 国政に演技は不要だ。物真似も聞きたくない。政治家には、仕事を通じ、行動を通じ、貴重な体験と豊かな経験だけが問われていることを学んでほしい。論議も討論も必要だが、失敗は許されず、間違いも侵してはならない。

 国づくりの基本は、国民の愛情豊かな、そして経験豊富な国会議員を選ぶことから始めよう。偉い人と、優れた人とは違う。国会に出たい人を選ぶのか、出れない人を選ぶかも選択肢の一つである。極論かもしれないが、これまで政党政治への期待で選択してきて、失敗したことを反省しよう。

国会議員一人一人の責任と、行動をチェックしよう。
国民の審判が国づくりを選択することを強調したい。

村井 宣夫

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