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2006年08月06日

アイメイトと歩む道

昨日の夜、御茶ノ水駅で電車を待っていると
反対側のホームを盲導犬と一緒に歩くひとがやってきました

その盲導犬は少々混みあう人の間を上手にすり抜け
きっといつもそこから乗っているであろう場所まで移動すると
立ち止まりました。

現在では、当たり前のように盲導犬の電車やバスへの
乗車が認められていますが、以前は電車では貨物扱いにされたり、
事前申請が必要でした。

しかし、1977年以降、
国鉄(現JR)乗車の事前申請は解除され、
自由乗車が実現したとともに、
全国のバスも自由乗車が可能になりました。

そして、宿泊施設やレストランの方は
1980年、環境庁より、
「盲導犬使用者の宿泊」に協力するように通達が出され、

1982年には、厚生省環境衛生局から
レストラン・喫茶店・旅館などに対して、
盲導犬使用者への対応の仕方についての
指導が行われました。

しかしこれらは強制力がないため、
まだまだ入場を断られるケースもあるようです。

ところで「盲導犬の定義」を知っていますか?

それは・・・
「国または自治体が認めた公益法人において、
5年以上の経験を持つ歩行指導員により十分訓練された犬が、
使用を希望する盲人とともに法人の定める、
4週間以上の歩行指導を終了した後、
ハーネスをつけ、使用者証を所持した使用者本人と
歩行する場合のみ盲導犬という。 」

と読むだけでも大変ですが
つまり、想像を絶するハードな訓練を
すべてクリアしてはじめて盲導犬と名乗れるわけです。

盲導犬はたとえ他の犬に襲いかかられ
噛付かれようとも、絶対に吠えたり反撃しません。

盲導犬と比較にもならない
愚かな行為を電車等の公衆の面前で
繰り返す人間がどれだけいることか・・・

人間にこそもっと「訓練」が必要だと感じます。

私が、今回このようなブログを書いたのは、
1957年、現アイメイト協会理事長の
塩屋賢一氏が育てた『チャンピィ』が、
日本初の盲導犬となったいきさつが
マンガになったのを偶然読み、
涙ってここまで溢れ出るモノなのか
というほどに感動し、この日盲導犬とともに歩く
人をみて思い出したからです。

この世界に広がる美しい景色を見ることが出来ない
どころか日常生活でも困難なことが常に待ちうけ
ている盲目の方の苦悩されている実態は
なかなか知ることは出来ません

ただ、信頼できる盲導犬に命をあずけることで
今まで行くことが難しかったところまで
行く事が可能で、それによって人生の楽しみを
盲導犬というライフパートナーと
分かち合えるからこそるからこそ、

アイメイト協会の コンセプトである
『アイは I 』『アイは EYE 』『アイは 愛 』
『アイメイトは私の愛する目の仲間』
という活動の大切さを感じ、
支援したいと考えるのです。


ア イ メ イ ト ウ ェ ブ ペ ー ジ
http://www.eyemate.org/contents.html


2006年07月09日

青森県西津軽の旅U ー津軽三味線会館での感動ー

ハンディキャップのある父と2人で青森まで旅した母。
その旅の中身には、まだまだ書ききれていない
すばらしい場所がたくさんあります。

今日は、父が訪れることを念願していたこの旅の
主目的の1つであり、五所川原市金木町にある
「津軽三味線会館」について紹介します。

津軽三味線会館
津軽三味線会館は、津軽三味線の歴史、民謡、郷土芸能等を
紹介する展示室をはじめ、舞台演奏ができる多目的ホール、
野外ステージがある施設です。

入館料も、
一 般 500円  
高・大学生 300円
小・中学生 200円 と
とてもリーズナブル!なのです。


多目的ホールでは毎日、津軽三味線のライブステージと
津軽三味線物語、観光ビデオシアターが上映されています。
また、ゴールデンウィーク期間中に津軽三味線全日本金木大会が
開催され、全国から出場者が訪れます。

三味線には日本人の魂(ソウル)を揺さぶる音色と、
演奏者にも、人生をかけた情熱が感じられ、
父も貧しかった少年時代から、
病を患った自分の現状までを
回顧し、自然と涙が溢れたようです。

青森県西津軽の旅T −両親帰宅!『旅ってすばらしい!!』ー

両親が、3泊4日の青森県西津軽の旅を終え
帰宅しました。

地元の駅まで迎えに行くと、興奮した様子で
堰をきったかのように話し始めました笑い

両親の話を旅程にあわせてお話ししますと・・

まず、今回はJR東日本を使った移動だったのですが、
どこの駅員さんも『みな紳士で親切だった』
ことに深く感動していましたラブ

特にいつまでも付き添い心配してくれた東京駅の駅員さん、
巨体である父を移動させる為、総出で担ぎ階段を上り下り
してくれた五所川原駅の方々。
本当にありがとうございました。

そして、宿泊したホテルでのことですが、
初日には青森県五所川原市にある
『ホテルサンルートパティオ五所川原』に宿泊しました
ホテルサンルートパティオ五所川原

『ホテルサンルートパティオ五所川原』にはハンディキャップルームが
完備されているからだとも思いますが、スタッフの方の気配りに
こちらの方が恐縮してしまったくらいであったこと。

2日目には青森県西津軽郡深浦町にある
『深浦観光ホテル』に宿泊しました。
深浦観光ホテル

『深浦観光ホテル』では部屋にバスがついていたので、
母が使おうと思っていたところ、スタッフの方が先んじて
『ここは狭いから、私が大浴場へお連れしましょう!』と
父をお風呂へ案内してくれ、大汗をかきながら体まで
洗っていただいたことに、父は恐縮してしまったと同時に
涙の出るほど嬉しかったこと。

3日目は知り合いお家へ

宿泊した両ホテルでは、まだ他にもいろいろと
たくさんの親切をいただいたと聞きました。

両親が安心して宿泊できたのもこちらの
ホテルスタッフの方々が日頃より
サービスを超えたサービスを心がけておられる証拠だと思います。
本当に感謝申し上げます。

最後に母がこの旅の総括としてこう話しました

『たくさんの人に迷惑をかけ、親切にしていただいたことで
人の温かさに触れることの出来た旅になった。』

『行く前は不安でいっぱいだったけど、人には「旅」をすることでしか
得られないものがあるからどんな風になったって「旅」は必要よびっくり

自宅と病院の往復という日常を、無事に帰れる保障のない非日常の旅へ出ることで
生きるハリを手に入れた、価値のある旅になったようです。

そして、最後に様々な場所で両親に出会い、親切にしていただいた方々、
本当にありがとうございました。

この旅を企画・担当してくれた近畿日本ツーリスト
千葉支店担当者の方へもお礼申し上げます。

2006年06月27日

ハンデがあっても旅に出ましょうよ!【その2】

私が病院のICUに着いたとき、
廊下には母と弟たちも到着していました。

『どうなの?』
『ダメみたい・・』

『命にかかわるのか?』
『わからないけど、ここ数日がヤマだって・・・』

『処置が終わってるから会えるよ』

簡易マスクや白衣をはおり中へ入ると
たくさんのチューブにつながれた父が
横たわっていました。

医者によると病名は『脳梗塞』。
手術は不可能で、数日中に半身不随になること
一般の生活に戻れるようになるまでハードなリハビリ
が必要であることが徐々にわかってきました。

あの父がこんなことになってしまうなんて
という信じられない気持ちでいっぱいになり
この先の不安感から落ち込んでしまったのは
私をはじめとする兄弟たちでしたが、
母は違っていました。

この日を限りに辛い顔ひとつ見せず
毎日毎日父の元へと通い、看病し続けました。

徐々に回復を見せ始めた父ではありましたが
思い通りに動かない不自由な左半身を抱えてこれから
生きてゆかなくてはいけない現状に精神的に崩れそうな
様子が見て取れました。

いつも厳しく、頑強で逞しかった父が小さくなってしまったものの
そ数ヶ月のリハビリを重ねると徐々に杖を使えば歩けるまでに、
回復してゆきました。

今、実家では母が一人で父の介護と
年老いた自分の母を世話しながら生活費を稼ぐため
仕事までもこなしています。

その母が先日還暦を迎えました。
そして、最近母から聞いた驚きの言葉が、
父と2人で青森まで3泊4日の旅にでるというものでした。


私が今年の父の日にプレゼントした車椅子に父を乗せ
2人分の荷物が入ったリュックを背負い、本州最北端までの2人旅。

今の日本が障害者に優しくなりつつあるとしても
まだまだ不便なところも数え切れないことでしょう。

私だったらそんなことが出来るのか!?
自問自答しつつ、この偉大で強靭な精神力をもつ母の遺伝子が
私にも流れていると考えただけでこれから先どんな困難でも
乗り越えてゆけるような勇気が湧いてきます。

このブログを読まれた方へ
7/5〜7/8までの間、千葉から青森へJRを使い
車椅子に男性を乗せて旅をしている老夫婦がいます。

もし、何か困っていそうだったら
ちょっとだけ手を貸してあげてください。

この旅はきっと色々な方へ迷惑をかけるでしょう。
だからってずっと家の中で閉じこもり続けるのにも
限界が訪れます。

どんな人にも非日常へと訪れる「旅」が必要なのです。

2006年06月26日

ハンデがあっても旅に出ましょうよ!「その1」

ちょうど1年ほど前、その日は朝からなにか落ち着かず
そわそわしていたのを覚えています。

それが、とてつもなく長く、切ない1日が始まろうとしていた前兆とは
そのときには気づくこともできなかったのです・・・

私は普段、ケイタイの音が鳴らないようバイブに設定しています。
だから、電話やメールに気づかないことが多く、
もっぱらかけ直すことになるのですが、
その日はマナーにし忘れていたようで、
机の上のケイタイから、家族からとわかる着信メロディーが鳴りました。

画面を見ると「母」の文字。

電話から聞こえた母の声は涙で震えていました。
その瞬間、私は、父に何か起こってしまったことがわかりました。

なぜなら、その電話の数ヶ月前から、ベットから落ちたり、
自分の居場所がわからなくなるという記憶障害が起こっていたりと
様子がおかしくなり、地元の病院では検査しきれないという理由で
慶応大学病院へ検査入院していたからで、
そのときの病名は確か『てんかん』といわれていたと思います。

『おとうさんが倒れちゃった』
『いまどこ?』

『A病院、ICUに入ってる』
『すぐ行くから!』

その後、弟たちにも連絡をいれ、
病院へ向かいました。

私のいた場所からではその病院まで
ゆうに2時間はかかることもわかっていたので
先に到着するであろう弟と連絡をとりつつも

母一人で倒れた父を車に乗せ病院へ運んだ様子、
最後に実家へ行った日の帰り、
いつもはリビングから出てきて送ったりしない父が
私を見送りに玄関口まで出てきて
『また来いよ!』と明るく挨拶を交わした顔などが
オーバーラップし、不覚にも電車の中で涙が溢れてきました
『死ぬなよ!』と念じつつ・・・