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今年は小さなオープンデイにじいろの種 [2021年12月10日(Fri)]
京田辺シュタイナー学校では毎年秋に、「秋祭り&バザー にじいろの種」を開催してきました。
6年生の太鼓に始まり、高等部生徒や教職員のコーラス、迷路ゲーム、フェイスペインティング、体にやさしい食べ物屋台、すてきな手作り雑貨店など。それはそれはワクワクするお祭りで、現在4年生のうちの子どもが幼稚園のときから我が家で一番楽しみなイベントでした。

それが昨年は新型コロナウイルスの影響で中止となり、今年も開催は難しいかと思われました。けれども、オンラインではなくできればリアルで開催したいという保護者が集まって話し合い、安全性を第一に考えた小さなオープンスクールならできるのではないか、とチームを作って動き出したのです。
新チームの面々は、今までのバザーが大好きで、「またあれをやりたい!」というメンバーもいれば、新入学や編入のために過去のバザーを知らないというメンバーもいました。共通するのは、「この学校の楽しさをリアルに伝えたい!」という気持ちだけ。そんなひよっ子チームでしたが、さまざまな人からの温かい励ましと協力に助けられ、なんとかオープンデイ開催にこぎ着けることができました。

当日はお天気にも恵まれ、事前にお申込みいただいたご家族が続々と来てくださいました。飲食店はないものの、太鼓に始まり、人形劇、高等部生徒考案の迷路ゲーム、ノート展、物販などは例年通り。
意外と人気だったのは休憩室で、2年生教室を普段のしつらえのまま開放したところ、「こういうのが見たかったんです」というお声をいただきました。ラストは屋外での高等部生徒による歌と教職員による歌(とダンス?)。やんややんやの拍手喝采で初めてのオープンデイは幕を閉じました。
そして参加者が帰られたあとは、大車輪で教室を元通りにする作業が始まります。
先生方、駆けつけた保護者たち、力仕事担当の高等部生徒とお父さんたち。あれよあれよという間に見慣れた校舎に戻っていきました。
私たちメンバーも充実感でいっぱいです。「あぁ、楽しかった。またやろうね」と家路についたのでした。

参加してくださったみなさま、学校関係者が総出で関わるこのイベントはいかがでしたか?機会がありましたら、ぜひまたお越しください。本当にありがとうございました。

F

*「今年は小さなオープンデイ にじいろの種」お礼とご報告
Posted by 京田辺シュタイナー at 16:31 | 行事 | この記事のURL
「がすぽいどっつ」〜8年生秋祭り初出店〜 [2021年10月27日(Wed)]
「がすぽいどっつ」
この聞きなれないことばは何でしょう?

今年の学内の催し「秋祭り」で8年生の息子のクラスは初出店をしました。
例年、京田辺シュタイナー学校では7年生から出店をするのですが、昨年は新型コロナウイルスの影響で催しが中止となり、今年が初めての出店となったのでした。

「がすぽいどっつ」は8年生のお店の名前です。

この名前はどこかで区切れるのか?「GAS POINT .(dots)」かな?
など、いろいろ考えて息子に聞いてみましたが、息子の回答は「ぼくも知らない」でした…。
特に意味はないようでした。
クラスメイトが発言したこのおもしろい「音」で決めたようです。

意味はなくても、興味をひくネーミングで、気になるお店。
覗いてみようという気分にさせてくれる、ことば遊びのような店名。
私にとっては新鮮なことでした。

さて、どんなお店なのか?
息子に尋ねると、「ゲームを作ったり、クイズをたくさん考えてるで。景品も楽しみにしておいて。ぜんぶ自分たちの手作りやで。」とのこと。

秋祭り当日、クラスで力を合わせて、楽しい一日となるようがんばったお店「がすぽいどっつ」は盛況で、子どもから大人まで楽しめるゲームやクイズがたくさんありました。私は手作りの素敵な陶器のお皿をお土産(景品)としてもらうことができました。

V

がすぽいどっつ景品
Posted by 京田辺シュタイナー at 12:30 | 行事 | この記事のURL
星にねがいを 〜星の祭りで〜 [2021年07月20日(Tue)]
京田辺シュタイナー学校では、例年7月のはじめに星の祭りという行事があります。
七夕にちなんだ行事で、夕方校庭に集まりそれぞれの願いを書いた短冊を竹に飾り、子どもたちが歌や楽器の演奏をします。色とりどりの短冊がゆれる大きな竹のもとに浴衣やじんべえ姿の子どもたちや先生方が集い、素朴で風情のある行事です。

去年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、今年は感染拡大防止に配慮しつつ、無事行うことが出来ました。

オープニングに器楽部の演奏があり、その後は学年ごとの発表となります。いずれも1年生から12年生までのその学年ならではの味わいにあふれています。

娘のいる8年生のクラスは合唱とリコーダーの演奏をしましたが、合唱の曲は初めて子どもたちが選びました。あらかじめ先生が準備してくださった候補に子どもたちからの候補も加え、休み時間を削って何度も話合いを重ねたそうです。そうして決まった曲は、歌詞が英語でリズムもR&B風とチャレンジづくしです。ところが話合いが長引いたため練習期間はごくわずかとなり、再び休み時間に自主練習に励みました。

本番では、カホン、バイオリン、コントラバス、ギターも交え、精いっぱい背伸びしたパフォーマンスを全うした8年生たち。その眼差しはどことなく誇らしげで、時には手を差し伸べ、時にはそっと見守り子どもたちの力を引き出してくださった担任の先生に改めて感謝しました。

毎年、星の祭りの最後を飾るのは12年生です。卒業演劇を成し遂げたばかりの彼らの姿は、力強く、開放感と達成感に満ちていて、アンコール曲が終わったあとも、割れるような拍手が鳴りやみませんでした。これから卒業プロジェクトという新たな挑戦が始まる12年生たちに、今年は、こうしてみんなで応援を届けられたことを心からうれしく感じました。

新型コロナウイルスの影響で様々な学校行事の中止が相次いだこの一年半。一つ一つの行事が、そして学校で過ごす一日一日が、どんなに子どもたちの成長を支えているのか、ひしひしと感じる日々となりました。

―これからも、ここに集う子どもたちがみな、どうか健やかに学校生活を送れますように―

感謝とともに、いつにも増して強く願った星の祭りとなりました。   
Y 

*星の祭りについては以前のブログ 『星の祭り』、『星の祭りの準備・後片づけ』 を合わせてご覧ください。
Posted by 京田辺シュタイナー at 21:00 | 行事 | この記事のURL
オイリュトミーを思う〜年例祭にて〜 [2021年03月16日(Tue)]
2月のおわりに、1年生から12年生の各学年が学びの様子や取り組んだ作品を舞台で披露する年例祭という行事がありました。

その年例祭のプログラムの中に、「高等部によるオイリュトミー」があります。
私がオイリュトミーをはじめて知ったのは、自分が親となり、子育てをするようになってから数年たった頃で、それまでは見たことはおろか、言葉さえも聞いたことがありませんでした。

はじめて見た時の印象は
“耳で聴くのではなく、目で見ることのできる音の芸術”という感じでした。
とにかく食い入るように見つめたことをよく覚えています。

本校では、オイリュトミーという科目が1年生からあります。
その授業のときに子どもたちが身に付けるオイリュトミードレスとシューズというものもあります。
そして、そのドレスを管理したり製作進行をはかるのは、保護者によるオイリュトミードレス係です。
オイリュトミーに少し触れられるような気がして、私は決してお裁縫が得意なわけではないのですが、その係を選んでみました。

1年生から4年生までは、コットン素材のドレスを、5年生から上の学年は、シルクのドレスをまとい、オイリュトミーをします。
そのことが、本校では大切に続けられています。
年例祭で高等部によるオイリュトミーを見ると、動きにともない、シルクドレスがオイリュトミーという芸術を支える不可欠な存在であるということを感じさせられます。

はずかしながらこれ以上、多くを語ることができるほど、私はオイリュトミーについて知りません。
でも、年例祭で高等部のオイリュトミー発表を見て、いつも思うことがあります。
「私も大人になりきってしまう前に、オイリュトミーをやってみたかった」と。
その気持ちが、ドレスとかかわることを選ばせたのだろうな、と。

年例祭を終えて帰り道、2年生の息子が
「高等部のオイリュトミードレスって、羽衣みたいできれいやなあ。オイリュトミーって、歌に見える。」
と言いました。
そうか。そうなのかも。
動きだけど、音。音だけど、歌。
妙に納得した私でした。

a.t.

*補足
京田辺シュタイナー学校の代表的な科目についてはこちらをご覧ください。
https://ktsg.jp/school/kamoku/

Posted by 京田辺シュタイナー at 13:36 | 行事 | この記事のURL
新成人を祝う会 〜卒業して2年たちました〜 [2021年02月07日(Sun)]
1月10日、午前11時。
久しぶりに12期卒業生とその保護者たちは京田辺シュタイナー学校の校庭に集いました。12期生全員が揃うことは叶いませんでしたが、2年前の卒業以来、久しぶりに学校での集合。我が家の娘もその1人でした。

女子たち10人は美しい振り袖姿。男子は凛々しい羽織袴姿が1人ときりっとスーツ姿が6人。
この日、彼らは母校で「新成人を祝う会」を開いていただいたのでした。
コロナ禍のもと、会は野外で行われることに。校庭に面した学校の廊下に先生方が卒業生たちのために距離をとって椅子を並べて下さいました。
そこは、彼らが1年生入学の時に担任のJ先生を囲んで並んだ場所でもありました。

先生方、保護者、そして他学年の保護者の方たちの前で、12期生たちは「二十歳になって思うこと・今どんなことをしているか」を聞かせてくれました。
大人になったなぁ、がんばってるんだなぁ、これから広い世界に出ていこうとしているんだなぁ、いつの間にか見上げるような背丈になり、大人の入り口に立った彼らの声を聞いて、さまざまな思いが湧きます。

さいごに1年から8年まで担任して下さったJ先生から12期生たちへのメッセージを頂きました。
「みんなに伝えたいことが3つあります。」と話して下さったこと。

ひとつめ。
思考し続けて下さい。自分は二十歳の頃、シュタイナーの本に出会って読んでも読んでも分からなかったけれど、ひとつ分かったことは「思考し続けることが大切」ということでした。考え続けていると、必ず答えはおりてきます。

ふたつめ。
自分から手を差し伸べて下さい。繋がりたいと思う人、この人!と思う人がいたら、自分から手を差し出してみて下さい。それが自分にとって良い出会いの時も、そうでない時もあったけれど、自分は常にそのことを心掛けてきました。

みっつめ。
クラスで歌った皆の歌声が大好きでした。今はそれぞれが居る場所で歌ってください。そしていつかまた、みんなの歌を聞かせて下さい。

さいごにおまけで。
皆の存在はいつも私を励ましてくれています。私も落ち込んだ時は、卒業の時に皆が贈ってくれた写真とメッセージを見て元気をもらっています。
成人おめでとう。ここから改めて「よーい、はじめ!」

「よーい、はじめ!」は12期生が卒業式の式典で歌った「正解」という歌の歌詞の最後でした。
娘たちがこのクラスで育ち、この学校から巣立てたことに改めて感謝しました。
J先生の言葉は、成人を迎えた子どもたちの心にしっかり伝わったことでしょう。わたしたち保護者の心にも沁みました。

子どもたちは、久しぶりに輪になってひとしきり相談し合ったあと、J先生の方を向いて「正解」をコーラスしました。
ぶっつけ本番のコーラスは決して上手ではなかったけれど、彼ららしい自然でまっすぐな歌声。その日の雲一つない青空と響き合っていました。

                             k/k
Posted by 京田辺シュタイナー at 09:24 | 行事 | この記事のURL
コロナと「共にある」ミカエル祭 [2020年10月16日(Fri)]
10月3日(土)、京田辺シュタイナー学校ではミカエル祭が行われ、6年生の保護者として、コロナ対策下でしたが観覧することができました。ミカエル祭は2、5、6年生による行事で、大天使ミカエルと聖ジョージの伝説を小さな劇と音楽で演じるものです。(※同様のテーマで「白いりゅう 黒いりゅう」など、別のお話を演じた年もありました。)

あらすじは……
天の国から大天使ミカエルによって追放されたドラゴンが、地上で人々を苦しめていた。その怒りを鎮めるために多くの少女がいけにえにされてきたが、残るは王の姫のみ。若者たちは姫を救うために槍、弓矢などで戦うが、全く歯が立たない。最後に挑戦したジョージもあえなく倒れるところだったが、最後の力を振り絞ってミカエルに助力を願う。祈りに応えたミカエルから授けられた剣により、ジョージはとうとうドラゴンを倒す。

あらすじからも分かる通り、このお話はキリスト教社会で語り継がれてきた伝説です。けれど、この劇は、特定の宗教を超えて人間が抱えてきた普遍的な課題を伝えています。それは、善と悪の狭間に立つ人間が、どのようにして悪を乗り越え、善に近づくことができるのか、ということです。答えは明らかにされていません。地上の民を演じる、まだ小さな2年生にとっては、それは敵をやっつけるための「勇気」かもしれません。ドラゴンを演じる6年生の年頃になると、悪は自分の外側だけでなく内側にも存在し、時にはそちらの方がよっぽど厄介な存在であるということを実感することがあるかもしれません。

大人の私にとって最も心に響くのは、2年生が唱える詩の一節で、「ミカエルの光に貫かれ、ドラゴンの血は、強き善き力となりました。大地を潤したその血は、すべての命を支えています」という言葉です。悪を完全に排除するのではなく、悪を用いてより良き善を創り出す力が、人間にはある。しかしそのためには人知を超えた力が必要になる。ただしそれは単なる神への信仰という意味ではなく、「自然は、そこに含まれる人間も、完全に理解・統率することは出来ない」という事実を認識することなのではないかと思います。

今年のミカエル祭は、マスク着用、観覧する保護者の制限、お互いに触れ合わないようにする演出など、例年とは異なる条件下での開催でしたが、マスク越しの子どもたちの声は力強く、希望を感じさせるものでした。
ウイルスの脅威にさらされて、私たちは、自然のはかり知れない恐ろしさを痛感します。けれどその一方で、私たち人間もまた、自然の一部として、はかり知れない力を潜在的に持っているはずです。それを発揮するには、「勇気」「信じる力」「自然に敵対するのではなく、それと共存しようとする姿勢」が必要なのかもしれない、そう感じた秋分の候でした。

Y.T.

シュタイナーの教育理念と宗教について関心のある方は、下記リンクもご覧ください。
よくある質問>学校の形態に関して>Q5.何か特定の宗教に基づいた学校なのでしょうか?
Posted by 京田辺シュタイナー at 23:54 | 行事 | この記事のURL
太鼓の響き [2019年10月26日(Sat)]
「どんつく、どんつく、どんどんつく…」。このところ、我が家には勇ましい掛け声が鳴り響いています。

 京田辺シュタイナー学校の秋祭り&バザーでは、オープニングとクロージングに6年生による和太鼓のセレモニーがあります。入学前に遊びに来たバザーで、初めて太鼓を見た時は、ずっと遠い先のことのように思っていましたが、今年は娘が太鼓を演奏する番となりました。

 9月半ばから、クラスのみんなが待ちに待った太鼓の練習が始まりました。先日は、6年生保護者のための太鼓体験会があり、我が家も夫婦で挑戦しました。すっかり耳に馴染んだ節回しは、簡単そうに思えましたが、大間違い。節に合せて手を伸ばしたり、足を曲げたり。その上、出来る限り腰を落とさねばならず、30分ほどで汗びっしょり。運動不足が祟って、膝はガクガク。気が付けば、真剣な面持ちの大人を、子供たちが余裕の笑みで囲み、いつもと立場が逆転しています。自分の親の姿にゲラゲラ笑いながらも、子ども達が根気強く教えてくれたおかげで、最後は、なんとか通しで演奏することができました。はじめての太鼓は、下手ながらも胸を揺るがすような響きと共に、爽快感のような達成感のような、不思議な余韻を体に感じました。思春期に入り始めた子供たちが、太鼓に向かうことによってもたらされるものをほんの少し体感できたような気がします。

 バザーが近づくにつれ、太鼓への熱もいっそう高まり、普段は家ではのんびりと手芸をしたり、本を読んだりしている娘も、連日、バチを手に素振りに励んでいます。6年生たちの雄姿、今から楽しみです。
C.T 


【秋祭り&バザー 100周年記念バージョン】概要:
11月3日(日)10:00〜15:00
・生徒・教員によるパフォーマンス
・保護者によるお店 子どもが参加できるワークショップ
・生徒による和太鼓演奏
・人形劇
など 詳細はこちらをごらんください。

Posted by 京田辺シュタイナー at 21:50 | 行事 | この記事のURL
進学式 [2019年04月22日(Mon)]
 12年間一貫教育の京田辺シュタイナー学校において、子どもたちは8年生で初等、中等部を卒業します。そして高等部に上がる9年生の4月、『進学式』に臨みます。

  新年度4月の初めての登校日は、全校生徒がホールに集まり、それぞれの進級を迎えるのと同時に、進学式が執り行われます。
昨春、私は9年生保護者として、初めてこの進学式に参加しました。
新しく高等部のメンバーとなった9年生たちはステージに立ち、名前と高等部での抱負を一人一人発表しました。
高等部の先輩たちからは、文具のプレゼントをもらい、お祝いとして歌を歌ってもらいました。小さい時から常に音楽が身近にあることが、素晴らしいハーモニーとなって響きあうのだということを実感した日でした。

 その感動から1年が経ち、我が家の長男は10年生へと進級し、迎えられる側から迎える側へと移りました。今年は9年生のお祝いのために、朝早くから歌の練習や、進学式後の歓迎会の準備に勤しんでいました。

 月日の流れの速さに驚くとともに、先輩から後輩へのバトンは確実に受け継がれ、その伝統は温かさとともにあるということを感じました。

:y…k:
Posted by 京田辺シュタイナー at 16:15 | 行事 | この記事のURL
年例祭 [2019年02月26日(Tue)]
2月下旬、京田辺シュタイナー学校の年例祭がありました。

年例祭は、年度の終わりに、1年から12年までの各クラスがその年の学びを披露する行事です。わが子のクラスはもちろん、他学年の子どもたちの成長も身近に感じられて、毎年楽しみな行事のひとつです。
内容は楽器の演奏や歌、オイリュトミー、劇などクラスによってさまざまですが、例年5年生は他のプログラムよりも少し多めに時間を取って劇を披露します。
今年はギリシャ神話のペルセウスを題材にした劇でした。
場面転換のたびに、大道具小道具を出し入れするのも全部5年生の子どもたち。慌てるでもなく粛々と作業を進めると舞台袖に一旦退場し、それから新たな場面が始まります。
普段10年生(高校1年)の娘を見ている私からすると、5年生なんてまだ幼く見えるのに、落ち着いているなあ。娘が5年生の時はこうだったかな・・・?

その日の帰り道、5年生の劇が話題に上りました。
娘が言うには、
「みんな役者さんやで〜。舞台袖では(小道具の準備などで)バタバタ走り回って、ワイワイしているのに、出番になったらすーっと(落ち着いて)出て行ってた」
舞台裏はそうだったのですね。

8年生での卒業演劇や10年生での悲劇のときに、舞台で役を演じつつ合間には裏方でいろいろな役割を担う経験をしてきて、娘はこの日の5年生の一生懸命ぶりが微笑ましかったのでしょう。その娘も、集大成の12年生卒業演劇に向けて、11年生12年生とこれからまだまだ学ぶことはたくさんあると思います。
こんな風に学びが積み重なっていくのだなと感じた年例祭でした。

n*h

Posted by 京田辺シュタイナー at 23:26 | 行事 | この記事のURL
節分 [2019年02月11日(Mon)]
「今日、鬼来たで〜」と、学校帰りに2年生の末っ子が嬉しそうに教えてくれました。
節分の頃になると、京田辺シュタイナー学校でも豆まきの行事が行われます。今年は7年生と高等部有志の生徒達が‘鬼’になって、各クラスに登場したようです。大きい学年には、鬼たちはそれなりに怖く登場するらしいのですが、2年生のクラスには、あまり怖がらせないようにやって来てくれたようです。
「窓の外にいてるのが見えてるねん。それで、(太鼓が)ドンドンってなったら入ってくるねん。」2年生は去年1度体験しているので、怖いというより、みんなワクワクドキドキしていたそうです。
子どもたちから豆を投げつけられて‘鬼’は帰っていくのですが、その時に毎年クラスの中から2人程‘鬼ヶ島’に連れて行かれます。‘鬼ヶ島’といっても怖いところではなく、行った人は鬼のお面をもらって帰ってくるそうです。
そして一緒に、梅の蕾の枝を持った‘福の神’もやって来てくれます。
節分行事は、立春の前日に邪気を追い払うという由来があるそうです。暗く寒い冬の季節が終わりを告げ、これから明るい春になっていく、という季節のリズムを‘鬼’と‘福の神’が象徴しているのだろうな、と思います。
立春とはいえ、まだまだ寒い日が続きますが、暖かい春の予感を感じながら、日々を過ごしていきたいと思いました。

                n.m.



Posted by 京田辺シュタイナー at 14:07 | 行事 | この記事のURL
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