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詩の贈りもの [2023年05月12日(Fri)]
1年生の終わりに、息子は初めて詩をもらいました。担任の先生がクラスの子ども一人一人に詩を作り、贈ってくださったものです。春休みの間に家で読み、2年生になったら一人ずつ、みんなの前で唱えることになっていました。

息子の詩は「水晶」にちなんだもの。入学したときに自分の目印としてもらったのが水晶のマークでした。靴箱や机や椅子、持ち物などに水晶のマークがついています。この1年間、学校生活をともに過ごしてきた「ぼくのマーク」には特別の親しみを覚えているようです。私も、息子の持ち物につけるために水晶を描く練習を何度もしたので、このマークには愛着がわいてきました。

なぜ水晶なのだろう、どんな思いが込められているのだろうと不思議に思ってきました。息子に贈られた詩の一部を引用します。

   つめたいだいちの そのしたで
   ひかり かがやく すいしょうは
   ながいながい ときをこえ
   まもられてきた たからもの
   そっと みみを すませると
   きこえる だいちの うたごえが

春休み中は毎日1回、家族3人で声を合わせて唱えました。リズムがよく、唱えていると明るい力がわいてくる詩です。私は特に「そっと みみを すませると」に先生からのメッセージがあるように感じています。息子は照れくさいようで、声が小さくなったり、ふざけて口をぱくぱく動かすだけだったりするときもあります。でも、私が「そのしたで」を「そのしたに」と間違えたりすると、すかさず「そのしたで、やで」と鋭い指摘が。父よりも母よりも確かに、この詩が体にしみこんでいるのかもしれません。

2年生になった4月のある日、帰宅してぼそっと「きょう、ぼくのばんだった」と言いました。みんなの前で暗唱する番だったようです。くわしくは話してくれませんでしたが、みんなの前で唱えるのはとても勇気の要ることだったのかもしれません。どんなふうであれ、新しい体験を彼なりに味わえているといいなと思います。                  S

こちらにも子どもたちと言葉や詩についての記事があります。
「心の宝箱に積もる言葉たち」
https://blog.canpan.info/ktsgktsk/archive/307
「せんせいの詩」
https://blog.canpan.info/ktsgktsk/archive/262
Posted by 京田辺シュタイナー at 16:07 | 授業 | この記事のURL
パソコン実習 [2023年04月05日(Wed)]
三学期の終わりに、娘のいる9年生のクラスでパソコン実習がありました。
例年この実習が終わるとパソコンを使えるようになるため、娘も以前から楽しみにしていました。

二日間の実習の初日、学校から帰った娘がおやつを頬張りながら色々と報告してくれました。
「電線をたくさんつなげて計算できる機械をつくったよ。」
少し前の学年会で担任の先生から説明があったのですが、今回の実習は「仕組みを理解した上で道具を使うことを大切にしたい」という考えから、コンピューターのしくみについて学ぶのだそうです。

「パソコンって1と0だけで計算してるんだよ。」
「全ての数を1と0だけで表せるんだよ。例えば・・・」
理系オンチの私は、わが子がこんなことを理解できるのかと驚きながら、娘の説明に耳を傾けました。
それでも、というか案の定、私には理解しきれなかったのですが、後日先生に詳しく説明していただく機会がありました。
実習では、コンピューター内での情報伝達に使われる「2進法」と「論理回路」について学んだ後、ごく簡単な「リレー式計算機(加算機)」を作り、回路図どおりに配線をつないで簡単な計算をしたそうです。
実際に配線をする前に「1の時に手をあげる役の人」と「0の時に手をあげる役の人」が回路図のとおりに並んで計算をするという、「人力2進法計算機」の体験もしたそうで、なんともこの学校らしくて面白いなぁと思いました。

二日間の実習が終わった後、パソコンを使用するにあたっての注意事項について各家庭で考えました。
「リビング等の大人の目の届くところで使用する」「スマホは使わない」などといった10年生の共通ルールに加え、使用時間や頻度、気を付けたいことなど、我が家でも娘と話し合ってルールを決めました。

10年生になると、文書の作成だけでなく、プレゼンや楽譜作成など、授業でパソコンを使う場面も出てくるそうです。乳幼児期、学童期とメディアにほとんど触れずに過ごしていた娘が、この先、どういう形でインターネットを通じて世界と出会っていくのでしょうか。しばらくは水先案内人として、大人の手腕も問われそうですが、その時々で程よい距離をとりながら、娘の船出を見守っていけたらと思います。
Y

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Posted by 京田辺シュタイナー at 09:48 | 授業 | この記事のURL
古代ギリシャオリンピック [2022年11月14日(Mon)]
毎年10月、京田辺シュタイナー学校では古代ギリシャオリンピックが開催されます。
子どもから大人へと成長する過程にある5年生のための行事です。
5年生は子どもの持つ軽やかさ(天)と大人の重さ(地)とのバランスがもっとも調和のとれた時期だそうです。オリンピック競技ではこの「軽さと重さの動き」の中に5年生のもつ肉体の美しさや内面の優雅さを見出すことができます。

今年の5年生は「堂々とオリンピックをやり遂げたい」という想いがあったそうです。
数週間前から朝の登校後に校庭5周を走り、当日までコツコツと準備してきた子どもたち。
息子も「今日は10周走った」と嬉しそうに帰ってくる日がありました。

オリンピック前日。
日が沈み、空がすっかり暗くなった頃、子どもたちの美しい笛の音色で「前夜祭」が始まりました。聖火を交替で掲げながら行進し、前へ前へと進みます。
子どもたちは個々にオリンピック当日への意気込みをクラスのみんな、先生、両親、そして自分へ向けて「決意の言葉」として表明します。
星空の下、一人一人の決意が大地にしっかりと響くように感じられました。

そしてオリンピック当日は晴天の青空。
前夜祭と同様、松明を手に力強く進む子どもたち。
競技種目はまずは体操から始まります。今年は「シュタイナー体育教育100周年」とのこと。簡単そうでいて少し複雑な動きを4列交互に合わせていく「ボートマ体操」※で準備運動もしっかり整い、いよいよ競技開始です。短距離走、マラソン、幅跳び、円盤投げ、レスリング、槍投げ、リレーとお披露目されます。風と一体となって走る姿や体全体を使って様々な競技に挑む姿は凛々しく、力強く、そして堂々としていました。

表彰式では一人一人、担任の先生が名前を呼んでくださり、お祝いの言葉をくださいます。しっかりと返事をし、表彰を受ける子どもたちの表情はやり切った安堵と喜びに溢れ、輝いていました。最後に「よろこびのうた」を大空に向かって歌い上げます。5年生の美しい歌声と立ち姿に観客席からも温かい拍手が続いていました。

オリンピックの祝祭が終わった後、クラスのみんなと葡萄ジュースで祝杯をあげたことが何より嬉しかった様子の息子。やり遂げることができた満足感でいっぱいです。

このオリンピックを境に、5年生は子どもから大人への歩みを進めてゆきます。
しなやかに、そして堂々と。地に足をつけて、一歩一歩成長する5年生の今後が益々楽しみです。
M.W.


※ボートマ体操;1922年よりドイツのシュタイナー学校で最初の体育教員となったボートマがシュタイナーと協力して発達させた数々の体操 。今回の前夜祭では、体育100周年を記念してボートマ体操「ダンス」も復元しました。


Posted by 京田辺シュタイナー at 16:14 | 授業 | この記事のURL
悲劇エポックの配役劇 [2022年10月27日(Thu)]

10年生になるわが子は、2学期の最初のエポック授業で「悲劇」に取り組んだ。

このエポック、授業というものの4週間後にはお披露目が控えていて、学内の人だけでなく親類や知人も観劇に来たりするのだから16歳にとって…いや幾つになっても一大事だ。

今年の演目はシェイクスピアの「オセロー」。配役は子どもたちで決めなければならないという。その様子は、出だしから興味深かった。

まず「クラスで配役ミーティングが行われるまでは配役に関してクラスメートとおしゃべりしたり、自分がなりたい役や避けたい役などをクラスメートにほのめかしたりしない」との約束が交わされる。

脚本を読み込んだら、それぞれが自分を含めたクラス全員分の配役を考え、一役ごとにその理由も添えて提出。みんなの意見をすべてテーブルに並べる。

こうしていよいよ、配役決めミーティング、という段となったとき「配役決めミーティングは各家庭にてオンラインミーティングで行うことにしました。各自ネット環境を準備していただけますか」との連絡が先生から入った。クラスメートの一人が、コロナの影響で登校出来なくなったためとのこと。それなら、教室と自宅待機の生徒の家をつなげば良いのでは…。と不思議に思っていたら、クラスメートの全員ができる限り同じ条件下で意見を出し合えるようにするための計らいだという。

おどろいた…。

「この役がしたい」「この役はしたくない」「この役はあなたに」「裏方は誰がしよう」。一人一人がしっかり意志を表現し合った上で最終的に一つにまとまり合う。これは子どもじゃなくても大変力のいる作業だ。でも、達成できればこの上なく重要な学びとなる。役柄を通じて、自分やクラスメートの新たな面に出会ったり、クラス内のパワーバランスに良い変革が生まれるということもある。

先生方は、こうした可能性に本気でかけておられる様なのだ。

こうして配役決めははじまり、生徒たちの悲劇エポックの日々が開幕した。
K.U.

*10年生の悲劇「オセロー」は、9月末に無事上演されました。
Posted by 京田辺シュタイナー at 23:03 | 授業 | この記事のURL
高等部を味わって [2022年08月03日(Wed)]
4月から娘が高等部にあがり、瞬く間に一学期が終わりました。
授業や生活面で新鮮なことがたくさんあったようですが、とりわけ他学年との合同授業や生徒会活動が楽しいらしく、毎日ワクワクしながら登校していました。
一方、宿題が増えた上に、自分で調べてレポートを書く自由課題も時折出るようで、苦手な分野に悪戦苦闘することもありました。

「有機化学の自由研究、どうしよぉぉぉ〜」
6月の半ば、我が家には悲痛な叫び声がこだましていました。
数日後、我が家のキッチンには、神妙な面持ちで菜種油やお酒、ろうそくなどに火をつける娘の姿がありました。
どうやら「素材による燃焼の違いの実験」は無事終わったようです。ところが私の嫌な予感は的中し、すぐに「どうやって結果をまとめたらいいんだぁ〜」という、うめき声が漏れ聞こえてきました。

さらに数日後、机の上には山積みの料理の本や食品に関する本が。なんでも、テーマを栄養素に変更し、夕食を自分で作って成分やカロリーについて調べることにしたそうです(有機化学の授業では栄養学も学ぶそうです)。

授業や課題に必要な調べものがある時は、大抵地元の図書館に行きます。以前は難解な専門書しか見つけられなかったり、探したい本のカテゴリーがわからなかったりして苦労したこともあったようですが、徐々に要領を得てきたのか、今回は無事資料を探せたようです。

その週末には、家族で久々に娘の手料理を味わいました。
「結構美味しくできたでしょ。」
「本当にいい課題にしたね〜。」
食後のおしゃべりもそこそこに、娘は再び課題とにらめっこです。カロリー計算が思っていた以上に難しかったようで、色んな資料を見ては、計算していました。

これからも、遠回りや失敗もたくさん経験して、自分らしい形で一つ一つの学びをたっぷりと味わってほしいな・・・。やさしい味わいのふっくらとしたオムライスを噛みしめながら思いました。
また作ってね〜。
 Y

                     
Posted by 京田辺シュタイナー at 05:14 | 授業 | この記事のURL
田植えの風景 [2022年07月22日(Fri)]
梅雨入りの候、京田辺シュタイナー学校では、園芸の授業で今年も3年生と7年生による田植えが行われました。
 
稲の苗を植えていくのは生活科を学んでいる3年生。
7年生たちは3年生をサポートする役割を担い、全体を見渡して進行を指揮する人、基準となる稲を中央に植える人、次の1列との間隔を測る人、両端で目印の紐を動かす人、3年生が植えやすいように苗を整え順に手渡してあげる人、などに分かれて作業の進行をするそうです。
7年生の娘の話に、広い視野と周りへの気配りが必要な仕事を任されるようになったのだなあ、と思いました。
 
わが家は畑をしていて、今年は畑の一角にも小さな小さな田んぼを作り、学校よりひと足早く田植えをしました。
娘は作業をしながら、そのような授業での役割分担のことや、3年生の時に体験した田植えの思い出を話してくれました。
 
思えばこの学校に編入した3年生の春、直後に大きな地震にも見舞われて、わたしたちはまだ慣れない土地で心落ち着かず過ごしていました。
自らの手足を働かせて生活を織りなす営みを学んだ3年生の体験は、新しい環境で土台をつくるための力ともなったのではと感じています。
 
幼い頃から田植えに携わってきた娘にとって、作業自体は馴染みのものだったでしょうが、先生が見守る中、クラスメイトたちと息を合わせ、下級生に心を配りつつ進めた田植えは、他にはない思いを抱かせてくれたのかもしれません。

役割を果たして上級生目線で田植えの様子を語る姿に娘の成長を感じ、頼もしく思ったのでした。
たくさんの雨とおひさまの恵みをいただいて、今年も豊かな実りがありますように。
                          n.
Posted by 京田辺シュタイナー at 22:29 | 授業 | この記事のURL
他言語の世界に飛び込んで [2022年07月11日(Mon)]
若草色の葉がそよぐ4月半ば、「APUに行くかもしれないんだって!」とわが子が興奮気味に伝えてきた。10年クラスの生徒たちに、立命館アジア太平洋大学(APU)の留学生と異文化交流する機会が訪れたようなのだ。

その日以来、
「どうしよう、留学生との交流だから英語しか通じないらしい」
「どうしよう、英語でインタビューすることになるんだって」
「どうしよう、英語でプレゼンテーションしあったり、質疑応答もするんだって」。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、の連呼の日々。

その表情が、興奮から青ざめ、そしてときどき緊張のあまりの大人へのやつ当たり、という調子で展開していったのはわが子だけではなさそうだった。

先生、クラスメートみなで必死に準備すること5週間。

ついに、その日、を迎えわが子は勢いよく荷物をバックに詰め込み、クラスメート、担任、副担任の先生とともに、一路APUのある大分へと向かっていった。

こちらは想像しながらただ待つのみ。

4日後、無事に帰宅してきたわが子が、大股で家に入って来た。そして、一息つくのもそこそこに報告しはじめた。

緊張したけど想像以上に自分から挑戦していけたこと、
気づいたら細かい文法など気にせず好きなアイドルグループや音楽の話で盛り上がっていたこと、
イヤダイヤダと思っていたのが嘘のように、この機会が与えられたことに感謝しながら帰路についたことなどなど、
クラスメート、そして出会った留学生や学生さんとの出来事も交えつつ、話だしたら止まらない。

翌日から、いつもの学校生活が再開しても、10年生たちの高揚はなかなか止まず、クラス内から「中国語のクラスも、週に一回は中国語オンリーの授業にして欲しい」という声も上がってきているという。

この奔放な若者たちのお相手を、日々全身全霊でつとめ、導いて下さっている先生方に、ただただ、感謝の念が尽きない。 A.S.
Posted by 京田辺シュタイナー at 15:12 | 授業 | この記事のURL
歴史って面白い!! [2022年06月29日(Wed)]
5年生の息子は、学校での出来事を多く語るタイプではないのですが、メインレッスンでは、とても心が揺さぶられる様で下校直後のおしゃべりが止まりません。

春に進級して間もない日本史の授業が始まったある日、息子はパッと目を見開き、
「かあちゃん、聖徳太子って知ってる??」
と言い残して、紙と鉛筆を持って机に向かい、何かを書き始めました。
しばらくして、ジャーーン!と言って見せてくれたのは、我が家のために作った17条憲法!!

1に曰く おいしいものは分け合う
2に曰く 言葉は思いやりのある言葉を使う
3に曰く 言われたことは一回でする
4に曰く ※よっPのフンは気づいたらふく
5に曰く 嘘をつかない
6に曰く 空が暗い間はどならない
7に曰く 食べ物の文句を言わない
8に曰く よっPに必ず朝「おはよう」と言う
9に曰く 何でもゆるす
10に曰く 歌声はきれいな声で
11に曰く 喧嘩は必ず1対1
12に曰く 仏様を大事にする
13に曰く 困った時は助けてあげたり助けてもらう
14に曰く 人の話はよく聞く
15に曰く 元気に学校に行く
16に曰く 車の中では喧嘩をしない
17に曰く 正直に言う

   ※よっP…飼っている鳥の名前です

面白いやら、嬉しいやら、見た瞬間に沢山の感情があふれ、息子と一緒に何度も何度も声をに出して読み返しました。
私が子どもだった頃、歴史を学んでそれぞれの時代の人間ドラマにワクワクしたり、それを生活につなげてみたりするというユーモアなんて、あったかしら?いや、無かったなぁ…。
そう思うと同時に、歴史を面白いこととして与えてくださる先生と、それを素直に受け取る5年クラスの子ども達みんなへの、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

歴史の学びって本当は楽しいのだ!と気付かされた私は、息子の話を聞きながら、もう一度日本の歴史と出合い直す毎日です。

k.y
Posted by 京田辺シュタイナー at 13:07 | 授業 | この記事のURL
1年生になりました 〜その後〜 [2022年05月24日(Tue)]

4月に入学した娘は、毎日毎日、学校へ行くのがとても楽しい様子です。
家へ帰ると、「今日は〇〇色のクレヨンをもらった!」と教えてくれて、その日学校で描いた絵を再現してくれます。
日に日に変化していく絵に、今日はどんな絵だろう?と、楽しみになってきました。

そしてある日の帰り道、「今日は字を習った!」とそれは嬉しそうに話してくれました。
家に帰ると早速それも再現。
「先生はここを丁寧に書いてって言っててんな〜」と呟きながらじっくりじっくり書いていました。
そして書けた字を見せてくれた時の誇らしそうなこと!
こんなに喜びを持って一つ一つの文字や学びに出合えるなんて、羨ましいなぁと思いました。
その後、習った字を小さな紙に書き、家族全員に配ってくれました。
それは私には娘の嬉しい気持ちがたっぷり詰まった、魔法のカードのように思えました。

どうやらその字を学ぶ前に、先生が物語を語ってくださった模様。字はお話について描いた絵から生まれてきたようです。
娘は物語の世界に入り込んで、文字にたどり着くまでの過程をたっぷり味わっていたのだなと感じました。

そんな風に導いてくださっている先生に感謝すると共に、この先12年間、娘が心身共に健やかに学びの世界に浸っていられるよう、私も支えていきたいと思いました。



*1年生の文字の学びについては、本校ウェブサイトの「ことばの学び」をご覧ください。  
Posted by 京田辺シュタイナー at 21:15 | 授業 | この記事のURL
悲劇 [2022年03月17日(Thu)]
京田辺シュタイナー学校では、10年生で「悲劇」に取り組みます。ほとんど毎年、シェイクスピアの悲劇を題材にしてきました。
本を読んで時代背景をイメージして役を決め、3週間で舞台を作り上げます。

そもそも、なぜ演劇をするのでしょう。息子も私も編入するまで演劇に馴染みがなく、シェイクスピア?悲劇?はて?どんな取り組みかしら?と、ぼんやりしたイメージしかもっていませんでした。

いよいよ台本が配られました。演目は『リチャード3世』。
誰からも愛されず卑屈に育ったリチャード3世。彼によって殺された親族たちは、亡霊となって現れ凄まじいセリフを放ちます。
日々、平和に暮らしている息子たちに、憎しみ・恨み・憎悪などのネガティブで強烈な想いが想像できるでしょうか?
天真爛漫な子が多く、明るい雰囲気をもったクラスで、この演目をどう作り上げるのか、どの役を誰が演じたらよいか、気持ちをひとつにできるのか。
そして、思春期真っ只中の高校1年生が、貴族や王様、農民などの衣装を恥ずかしがらずに着て、役になり切ってみんなの前でセリフを言うことができるのか、と様々な課題が思い浮かびました。
自分の中高生時代を思い起こしてみると、クラスで何かをしようとしても、気持ちがバラバラだったり、一生懸命やろうとする子をからかったり馬鹿にしたり、面倒くさいと協力しない生徒がいたりするのが当たり前でした。

ところが、稽古初日を迎えた息子たちのクラスは、皆の心のエンジンが勢いよくふかされたのです。
私は心底驚きました。
『リチャード3世』を自分たちの作品としてもっとよくしようと、セリフだけでなく、演出、チラシ作成、大道具・小道具、音響に工夫を凝らして、毎晩帰宅が遅くなるまで没頭しました。
もっとよくなるにはと、クラスの仲間を信頼して、お互いにアドバイスを受け、メラメラと感情を煮えたぎらせて本番に挑んだのです。

観劇した保護者は、その迫力に目を見張り、息をのみ、子どもたちの力に圧倒されました。
物語を読み込んで、経験したことのない気持ちを想像し、クラスの仲間を信じてひたすら真剣に演技に取り組むこと。演劇を通して大きな学びを体得し、自分たちの手でここまで出来るのだと達成を喜び、絆が更に深まったようです。
その姿を見て、親にできることなどもう何もないのでは、と息子の成長を頼もしく感じました。
私にとっても一生の想い出となり、私の子育ての中での感動の1ページとなったのです。

J
Posted by 京田辺シュタイナー at 13:02 | 授業 | この記事のURL
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