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お家を作ろう [2023年11月27日(Mon)]
「たっだいま〜!!」
3年生の娘が元気いっぱい学校から帰ってきました。いつもなら、ぎゅ〜っと飛びついてくるのに、シーンとしています。玄関に見に行くと、床にへばり付いて一生懸命何かを見ています。尋ねると、「床の木、どっちが上でどっちが下か見てるねん!」と。

3年生は生活科で、家を作る授業があります。大工さんである「親方」と、校庭の一角に小さなお家を建てるのです。2学期は家作りに励む日が続き、その日はどうやら、木目の特徴をとらえることで、どちらがお日さまに向かって伸びた上か、根に近い下か、が分かると教えてもらった様です。フローリングの板の木目をみて、どちらが上か下かを1枚1枚、確認していたのでした。

他にも、土壁は暑さや寒さから守ってくれる働きがある事や、柱を立てる為にもぐらの道具を使って穴を掘った事など、経験を重ねる度に、大人の私も「へぇ!そうなんだねぇ!」と聞き入ってしまうお話が沢山出てきます。

ある日、「お家作りのお願いごと」を書くという宿題があり、娘は紙に自分の想いを丁寧に書いていました。クラス皆の想いを箱に詰めて、大黒柱の隣の地面に埋めるのだとか。

箱を埋めた日も、「たっだいま〜!!」と元気に帰宅し、この日は飛びついてきて、とても良い笑顔で話してくれました。「お願いごと、今日大黒柱の所に埋めてん!でもな、埋めた途端に、お願いごと何て書いたか……忘れちゃってん〜!!」私と娘で大笑い。担任の先生にすぐに話したら、優しく笑って「11年生になったら、皆で一緒に掘って、思い出そうね」と言ってくれたそうです。

想い箱が掘り返されるその日まで、子ども達一人ひとりの願いが生き続けるお家。完成を楽しみにしています。

KY


Posted by 京田辺シュタイナー at 22:07 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
石ころ [2023年09月19日(Tue)]
長い夏休みに「石の標本を作る」という課題に取り組んだ6年生。
京田辺シュタイナー学校では6年生で「鉱物学」を通して地球の歴史である地殻やプレート、岩石など大地の成り立ちを学びます。

息子も夏休みに入ってすぐに行った研修旅行から石探しをスタートしました。研修旅行先である徳島県、吉野川で拾ったものや、息子の父の実家である伊勢湾の海岸で拾ったもの、京都の鞍馬寺付近の河川で拾ったもの。8月半ばには15個以上集めることができました。

大小の石ころたちを机に並べて図鑑とにらめっこしながら石の名前の目処をつけ、取った場所を再確認していきます。
「これは、石英……変成岩……これは、何の石かなあ……」図鑑を片手に頭を抱えます。

研修旅行の後、石に詳しい方に直接「この石の名前を教えてください」と教えを乞うた息子。
その方は
「教えることは簡単。だけど、あなたが自分の力で調べてその石の名前を知ることが大切なんだよ。必ず図鑑に載っているから。」と諭してくださり、息子も納得。その後図書館へ向かったのでした。わからないなりにも、少しずつ事典や図鑑を使って「調べてみる」ということの練習にもなったようです。

標本箱となる箱を作るべくホームセンターへ行き、なんとか箱を完成させ、一つ一つ、石の場所を固定させ、「名前、採取した日、場所」を書き込み…… ようやく彼の手作り標本箱が完成しました。
石の標本.jpg

息子にはほんの少しばかり石のコレクションがあります。その中には自分で採集したものは一つもありませんが、大切にしているものばかりです。クリスタル、モリオン、シトリン、ラピスラズリ、アガート……
地球の誕生から今日までの物語が紡がれている鉱物たち。彼の元々のコレクションの横に、新たに出会い自分の手で採取した石の標本が加わりました。
石の写真.jpg

6年生それぞれが自ら選んだ大小様々な石たち。姿、色、形の違うそれぞれが標本箱の中で美しく蘇り、地球エネルギーの叡智としてこれからも子どもたちをサポートしてくれるのではないでしょうか。

M.W.



Posted by 京田辺シュタイナー at 23:33 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
物理学の学び [2023年06月26日(Mon)]
「てこの原理を使ったものを持って行かなあかんねんけど、何があるかなぁ?」ある日、帰宅した7年生の息子に聞かれました。私は、咄嗟に答えられなかったのですが、息子は「例はペンチやったから同じものじゃない方がいいし、はさみを持って行こうかな」と自分で持って行くものを決めていました。

次の日「はさみはてこの原理を使ったものやったの?」と聞いてみたところ「そうやで。ここが支点で、ここが力点、ここが作用点」と教えてくれました。また、爪切りを持ってきて「爪切りはてこの原理を2つ組み合わせたものやねんて。どこが支点かとか難しいけど、全部自分で分かったんやで!」と得意げに教えてくれました。

物理学の中の力学では、古代から人類が建造物を建てる過程で獲得してきた知恵をたどりながら「重い物を楽に(軽い力で)運ぶには、また小さな力を大きな力にするにはどうすれば良いか」ということを学んでいきます。ころを使って1人で3人の人を運んだり、タイヤが回らない状態と回る状態で車を引っ張ってみてその違いを知ったりという実験もしたようです。

自分の学生時代には「物理学は難しい」という印象しかなかったのですが、このような学び方なら、物理学がもっと身近に感じられるように思いました。
また「自分で分かった!」という喜びを伴うことで、より知識が自分のものとして身についていくのではないかな、と感じました。 

                            n*m
Posted by 京田辺シュタイナー at 11:38 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
3年生の5月の味 [2023年06月12日(Mon)]
この春、3年生に進級した娘は、たまらなく大きくなった気分でいます。
それは、学校で生活科の授業が始まり、園芸をしたり調理をしたりといった経験をしたことで、お母さんと同じことがたくさん出来るようになったからです。
下校後、夕方の台所に親子で立つ時間も増えました。
「お豆腐切るのは任せてね」「お味噌は私が上手に溶かせるよ」
生活科が始まるために仕立てたエプロンと三角巾もフル稼働です。

5月の連休は、遠方から遊びに来てくれた同い年の従姉妹と一緒に、野草摘みとその調理で盛り上がりました。

まずは娘が描いたメモを頼りに、春の味.jpgたんぽぽ、スギナ、カラスノエンドウ、よもぎ、を探しにお散歩です。五月晴れの中、田んぼのあぜ道を歩くのは気持ちよくて、「あっちにあるよ!」「あ!こっちにも」と、どんどん足が進みます。

摘んだ野草はザルに並べて綺麗に仕分けられ、洗って衣をつけて、フライパンの中へ…

たんぽぽ、スギナ、カラスノエンドウは天ぷらに。
よもぎはあんこを包んだよもぎ餅になりました。
たくさん食べて、集まった親戚達にご馳走もして、2人とも大満足。

連休中、たっぷり共に過ごした従姉妹が帰る時はとても寂しい瞬間です。普段は遠くて会えないし、通っている学校も違うけど、そんな2人が新たに見つけた “同じ好きなもの”を確認して、さよなら出来ました。

「たんぽぽ美味しかったね」
「うん、また作ろうね」
YK


春の味よもぎ.jpg


Posted by 京田辺シュタイナー at 22:58 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
詩の贈りもの [2023年05月12日(Fri)]
1年生の終わりに、息子は初めて詩をもらいました。担任の先生がクラスの子ども一人一人に詩を作り、贈ってくださったものです。春休みの間に家で読み、2年生になったら一人ずつ、みんなの前で唱えることになっていました。

息子の詩は「水晶」にちなんだもの。入学したときに自分の目印としてもらったのが水晶のマークでした。靴箱や机や椅子、持ち物などに水晶のマークがついています。この1年間、学校生活をともに過ごしてきた「ぼくのマーク」には特別の親しみを覚えているようです。私も、息子の持ち物につけるために水晶を描く練習を何度もしたので、このマークには愛着がわいてきました。

なぜ水晶なのだろう、どんな思いが込められているのだろうと不思議に思ってきました。息子に贈られた詩の一部を引用します。

   つめたいだいちの そのしたで
   ひかり かがやく すいしょうは
   ながいながい ときをこえ
   まもられてきた たからもの
   そっと みみを すませると
   きこえる だいちの うたごえが

春休み中は毎日1回、家族3人で声を合わせて唱えました。リズムがよく、唱えていると明るい力がわいてくる詩です。私は特に「そっと みみを すませると」に先生からのメッセージがあるように感じています。息子は照れくさいようで、声が小さくなったり、ふざけて口をぱくぱく動かすだけだったりするときもあります。でも、私が「そのしたで」を「そのしたに」と間違えたりすると、すかさず「そのしたで、やで」と鋭い指摘が。父よりも母よりも確かに、この詩が体にしみこんでいるのかもしれません。

2年生になった4月のある日、帰宅してぼそっと「きょう、ぼくのばんだった」と言いました。みんなの前で暗唱する番だったようです。くわしくは話してくれませんでしたが、みんなの前で唱えるのはとても勇気の要ることだったのかもしれません。どんなふうであれ、新しい体験を彼なりに味わえているといいなと思います。                  S

こちらにも子どもたちと言葉や詩についての記事があります。
「心の宝箱に積もる言葉たち」
https://blog.canpan.info/ktsgktsk/archive/307
「せんせいの詩」
https://blog.canpan.info/ktsgktsk/archive/262
Posted by 京田辺シュタイナー at 16:07 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
パソコン実習 [2023年04月05日(Wed)]
三学期の終わりに、娘のいる9年生のクラスでパソコン実習がありました。
例年この実習が終わるとパソコンを使えるようになるため、娘も以前から楽しみにしていました。

二日間の実習の初日、学校から帰った娘がおやつを頬張りながら色々と報告してくれました。
「電線をたくさんつなげて計算できる機械をつくったよ。」
少し前の学年会で担任の先生から説明があったのですが、今回の実習は「仕組みを理解した上で道具を使うことを大切にしたい」という考えから、コンピューターのしくみについて学ぶのだそうです。

「パソコンって1と0だけで計算してるんだよ。」
「全ての数を1と0だけで表せるんだよ。例えば・・・」
理系オンチの私は、わが子がこんなことを理解できるのかと驚きながら、娘の説明に耳を傾けました。
それでも、というか案の定、私には理解しきれなかったのですが、後日先生に詳しく説明していただく機会がありました。
実習では、コンピューター内での情報伝達に使われる「2進法」と「論理回路」について学んだ後、ごく簡単な「リレー式計算機(加算機)」を作り、回路図どおりに配線をつないで簡単な計算をしたそうです。
実際に配線をする前に「1の時に手をあげる役の人」と「0の時に手をあげる役の人」が回路図のとおりに並んで計算をするという、「人力2進法計算機」の体験もしたそうで、なんともこの学校らしくて面白いなぁと思いました。

二日間の実習が終わった後、パソコンを使用するにあたっての注意事項について各家庭で考えました。
「リビング等の大人の目の届くところで使用する」「スマホは使わない」などといった10年生の共通ルールに加え、使用時間や頻度、気を付けたいことなど、我が家でも娘と話し合ってルールを決めました。

10年生になると、文書の作成だけでなく、プレゼンや楽譜作成など、授業でパソコンを使う場面も出てくるそうです。乳幼児期、学童期とメディアにほとんど触れずに過ごしていた娘が、この先、どういう形でインターネットを通じて世界と出会っていくのでしょうか。しばらくは水先案内人として、大人の手腕も問われそうですが、その時々で程よい距離をとりながら、娘の船出を見守っていけたらと思います。
Y

リレー.jpeg

黒板.jpeg
Posted by 京田辺シュタイナー at 09:48 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
古代ギリシャオリンピック [2022年11月14日(Mon)]
毎年10月、京田辺シュタイナー学校では古代ギリシャオリンピックが開催されます。
子どもから大人へと成長する過程にある5年生のための行事です。
5年生は子どもの持つ軽やかさ(天)と大人の重さ(地)とのバランスがもっとも調和のとれた時期だそうです。オリンピック競技ではこの「軽さと重さの動き」の中に5年生のもつ肉体の美しさや内面の優雅さを見出すことができます。

今年の5年生は「堂々とオリンピックをやり遂げたい」という想いがあったそうです。
数週間前から朝の登校後に校庭5周を走り、当日までコツコツと準備してきた子どもたち。
息子も「今日は10周走った」と嬉しそうに帰ってくる日がありました。

オリンピック前日。
日が沈み、空がすっかり暗くなった頃、子どもたちの美しい笛の音色で「前夜祭」が始まりました。聖火を交替で掲げながら行進し、前へ前へと進みます。
子どもたちは個々にオリンピック当日への意気込みをクラスのみんな、先生、両親、そして自分へ向けて「決意の言葉」として表明します。
星空の下、一人一人の決意が大地にしっかりと響くように感じられました。

そしてオリンピック当日は晴天の青空。
前夜祭と同様、松明を手に力強く進む子どもたち。
競技種目はまずは体操から始まります。今年は「シュタイナー体育教育100周年」とのこと。簡単そうでいて少し複雑な動きを4列交互に合わせていく「ボートマ体操」※で準備運動もしっかり整い、いよいよ競技開始です。短距離走、マラソン、幅跳び、円盤投げ、レスリング、槍投げ、リレーとお披露目されます。風と一体となって走る姿や体全体を使って様々な競技に挑む姿は凛々しく、力強く、そして堂々としていました。

表彰式では一人一人、担任の先生が名前を呼んでくださり、お祝いの言葉をくださいます。しっかりと返事をし、表彰を受ける子どもたちの表情はやり切った安堵と喜びに溢れ、輝いていました。最後に「よろこびのうた」を大空に向かって歌い上げます。5年生の美しい歌声と立ち姿に観客席からも温かい拍手が続いていました。

オリンピックの祝祭が終わった後、クラスのみんなと葡萄ジュースで祝杯をあげたことが何より嬉しかった様子の息子。やり遂げることができた満足感でいっぱいです。

このオリンピックを境に、5年生は子どもから大人への歩みを進めてゆきます。
しなやかに、そして堂々と。地に足をつけて、一歩一歩成長する5年生の今後が益々楽しみです。
M.W.


※ボートマ体操;1922年よりドイツのシュタイナー学校で最初の体育教員となったボートマがシュタイナーと協力して発達させた数々の体操 。今回の前夜祭では、体育100周年を記念してボートマ体操「ダンス」も復元しました。


Posted by 京田辺シュタイナー at 16:14 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
悲劇エポックの配役劇 [2022年10月27日(Thu)]

10年生になるわが子は、2学期の最初のエポック授業で「悲劇」に取り組んだ。

このエポック、授業というものの4週間後にはお披露目が控えていて、学内の人だけでなく親類や知人も観劇に来たりするのだから16歳にとって…いや幾つになっても一大事だ。

今年の演目はシェイクスピアの「オセロー」。配役は子どもたちで決めなければならないという。その様子は、出だしから興味深かった。

まず「クラスで配役ミーティングが行われるまでは配役に関してクラスメートとおしゃべりしたり、自分がなりたい役や避けたい役などをクラスメートにほのめかしたりしない」との約束が交わされる。

脚本を読み込んだら、それぞれが自分を含めたクラス全員分の配役を考え、一役ごとにその理由も添えて提出。みんなの意見をすべてテーブルに並べる。

こうしていよいよ、配役決めミーティング、という段となったとき「配役決めミーティングは各家庭にてオンラインミーティングで行うことにしました。各自ネット環境を準備していただけますか」との連絡が先生から入った。クラスメートの一人が、コロナの影響で登校出来なくなったためとのこと。それなら、教室と自宅待機の生徒の家をつなげば良いのでは…。と不思議に思っていたら、クラスメートの全員ができる限り同じ条件下で意見を出し合えるようにするための計らいだという。

おどろいた…。

「この役がしたい」「この役はしたくない」「この役はあなたに」「裏方は誰がしよう」。一人一人がしっかり意志を表現し合った上で最終的に一つにまとまり合う。これは子どもじゃなくても大変力のいる作業だ。でも、達成できればこの上なく重要な学びとなる。役柄を通じて、自分やクラスメートの新たな面に出会ったり、クラス内のパワーバランスに良い変革が生まれるということもある。

先生方は、こうした可能性に本気でかけておられる様なのだ。

こうして配役決めははじまり、生徒たちの悲劇エポックの日々が開幕した。
K.U.

*10年生の悲劇「オセロー」は、9月末に無事上演されました。
Posted by 京田辺シュタイナー at 23:03 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
高等部を味わって [2022年08月03日(Wed)]
4月から娘が高等部にあがり、瞬く間に一学期が終わりました。
授業や生活面で新鮮なことがたくさんあったようですが、とりわけ他学年との合同授業や生徒会活動が楽しいらしく、毎日ワクワクしながら登校していました。
一方、宿題が増えた上に、自分で調べてレポートを書く自由課題も時折出るようで、苦手な分野に悪戦苦闘することもありました。

「有機化学の自由研究、どうしよぉぉぉ〜」
6月の半ば、我が家には悲痛な叫び声がこだましていました。
数日後、我が家のキッチンには、神妙な面持ちで菜種油やお酒、ろうそくなどに火をつける娘の姿がありました。
どうやら「素材による燃焼の違いの実験」は無事終わったようです。ところが私の嫌な予感は的中し、すぐに「どうやって結果をまとめたらいいんだぁ〜」という、うめき声が漏れ聞こえてきました。

さらに数日後、机の上には山積みの料理の本や食品に関する本が。なんでも、テーマを栄養素に変更し、夕食を自分で作って成分やカロリーについて調べることにしたそうです(有機化学の授業では栄養学も学ぶそうです)。

授業や課題に必要な調べものがある時は、大抵地元の図書館に行きます。以前は難解な専門書しか見つけられなかったり、探したい本のカテゴリーがわからなかったりして苦労したこともあったようですが、徐々に要領を得てきたのか、今回は無事資料を探せたようです。

その週末には、家族で久々に娘の手料理を味わいました。
「結構美味しくできたでしょ。」
「本当にいい課題にしたね〜。」
食後のおしゃべりもそこそこに、娘は再び課題とにらめっこです。カロリー計算が思っていた以上に難しかったようで、色んな資料を見ては、計算していました。

これからも、遠回りや失敗もたくさん経験して、自分らしい形で一つ一つの学びをたっぷりと味わってほしいな・・・。やさしい味わいのふっくらとしたオムライスを噛みしめながら思いました。
また作ってね〜。
 Y

                     
Posted by 京田辺シュタイナー at 05:14 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
田植えの風景 [2022年07月22日(Fri)]
梅雨入りの候、京田辺シュタイナー学校では、園芸の授業で今年も3年生と7年生による田植えが行われました。
 
稲の苗を植えていくのは生活科を学んでいる3年生。
7年生たちは3年生をサポートする役割を担い、全体を見渡して進行を指揮する人、基準となる稲を中央に植える人、次の1列との間隔を測る人、両端で目印の紐を動かす人、3年生が植えやすいように苗を整え順に手渡してあげる人、などに分かれて作業の進行をするそうです。
7年生の娘の話に、広い視野と周りへの気配りが必要な仕事を任されるようになったのだなあ、と思いました。
 
わが家は畑をしていて、今年は畑の一角にも小さな小さな田んぼを作り、学校よりひと足早く田植えをしました。
娘は作業をしながら、そのような授業での役割分担のことや、3年生の時に体験した田植えの思い出を話してくれました。
 
思えばこの学校に編入した3年生の春、直後に大きな地震にも見舞われて、わたしたちはまだ慣れない土地で心落ち着かず過ごしていました。
自らの手足を働かせて生活を織りなす営みを学んだ3年生の体験は、新しい環境で土台をつくるための力ともなったのではと感じています。
 
幼い頃から田植えに携わってきた娘にとって、作業自体は馴染みのものだったでしょうが、先生が見守る中、クラスメイトたちと息を合わせ、下級生に心を配りつつ進めた田植えは、他にはない思いを抱かせてくれたのかもしれません。

役割を果たして上級生目線で田植えの様子を語る姿に娘の成長を感じ、頼もしく思ったのでした。
たくさんの雨とおひさまの恵みをいただいて、今年も豊かな実りがありますように。
                          n.
Posted by 京田辺シュタイナー at 22:29 | 授業 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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