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クラスの係 [2021年05月17日(Mon)]
 京田辺シュタイナー学校では、各クラスで保護者にも係があります。係の種類はそれぞれのクラスで毎年話し合って決めるので、クラスによって少しずつ違いますが、いずれも各家庭の状況に応じて無理なくできるような形で工夫されています。

 娘のクラスの係の中で、私が特に「この学校らしいな」と思うのは、お茶会とレク(レクリエーション)の企画をする係です。
 お茶会とは、その名のとおり、保護者みんなでおいしいお菓子とお茶を囲みながら、おしゃべりをしてほっこりする会です。その時々で子どものことや自分自身のことを話したり、学年会で話し合ったことをもう一度ざっくばらんに話したりすることが多いのですが、以前には卒業生保護者を囲んで、子育ての悩みへのアドバイスをもらったこともありました。
 レクは、保護者と子ども、そしてスケジュールの許す限り先生もいっしょになって、様々な形で交流する集いです。
 入学早々に、園芸の先生の田植え前の田んぼで行った泥田遊びでは、子どもたちよりも先に、お父さんが頭から田んぼにダイブ。その勇姿に、当時は初対面だった保護者同士の緊張感も一気に吹き飛び、子どもと入り交じってどろんこになるお父さんが続出しました。
 5年生の時、近所の公園で行った大人VS子どものドッヂボール真剣勝負では、楚々としたイメージのお母さんが大活躍し、みんなで目を丸くしました。また、クラスのほぼ全家庭が参加したお泊りキャンプでは、キャンプファイヤーを囲んでの大人たちのかくし芸に、子どもも大人も爆笑しました。

お茶会もレクも娘のクラスらしい賑やかな楽しい時間ですが、いずれも「クラスの子どもの様子を知ること、保護者同士が分かり合うことを通じて、少しでも子どもの成長を支え、クラスをよくしたい」という、至って真面目な思いに支えられています。私自身も、これまで、わが子のことで悩んだり、クラスの子ども同士でトラブルがあったりした時に、「お茶会やレクでの交流があったからこそ乗り越えられたのかもしれない。」と思ったことが多々ありました。今は新型コロナウイルスの影響で、お茶会もレクも難しい状況ですが、状況の許す形での交流をクラスで模索しています。

 今年の私の係は、8年生の卒業式のサポートです。まだまだ、係の仕事は始まっていませんが、心あたたまる卒業式ができるように心から願っています。
C.T

Posted by 京田辺シュタイナー at 22:14 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
決断と自律 〜大人への第一歩〜 [2021年05月10日(Mon)]
 京田辺シュタイナー学校では4月17日に入学式が行われ、22名の新入生を迎えました。新型コロナウイルス感染症の流行状況に鑑み、在校の生徒・保護者を交えた「新入生を迎える会」は残念ながら中止となりましたが、子どもたちは恒例の「学校探検」で各クラスを訪れた1年生たちに会うことができたようで、「ちいさいね」「かわいいね」と家での話題になっています。

 そんな1年生たちがまだ地上の生活を始めたばかりの6年前、おそらく同じように「かわいいね」と言われていたであろう長女は、批判精神旺盛な7年生になりました。中学1年生にあたる学年ですが、本校では8年生までは初中等部として担任も持ち上がるため、節目という意識はあまりありませんでした。
 けれど、新学期早々のある日、担任の先生からクラスの生徒たちに向けて、7年生からの生活についてのお話があったそうで、その際に配られたスケジュール帳と、そこに貼られたプリントを見せてくれました。4ページにわたるプリントの最初には「自分で自分の生活を整え、充実した一年にするために」と書かれています。
 あらためて読むと、実際に7年生からの生活は6年生までとは随分異なるということに気づきました。例えば、自分で決めた部活動に参加し始め、活動日は6時下校となること、遠方の生徒は自転車通学を申請できることなどです。メディアとの関わりに関しては、小さいうちは自分の身体で見て聞いて感じることを大切にしていましたが、これからは新聞やラジオなどを通して少しずつ外の世界に向けても目を開いていけるように、とも言われました。漫画を読んだり、スポーツの試合をテレビで観たりするときには、のめり込み過ぎないように注意し、自分で止められなくなったら遠ざけようと説明されたそうです。そのほか、自主学習の勧めや、服装や教室内でのマナーについてTPOを考えるという言葉もありました。
 これまでは、身体や心が育っている途上の子どもに、頭による決断の負担を与えないために、子どもの生活リズムや生活環境を整えるのは大人の役割でした。ですから、上に挙げたような「自分で自分の生活を整える」ことは子どもから大人への脱皮ともいえる出来事です。配られたプリントには、低学年の子どもたちの前での振る舞いに気をつけるようにとの注意も書かれていました。1年生に対する「ちいさいね」「かわいいね」という言葉は、守られる側から守る側へと移った視点の表れなのかもしれません。

 与えられた自由を「好き勝手する自由」とせず、自分で自分を律し、周りの世界へ目を開く機会とし、ひとつひとつの決断を疎かにしないこと。より良き自分とより良き世界にむけて自ら働きかけていくことのできる「真に自由な人間」となるための第一歩を、大切に踏み出して欲しいと思いました。

Y.T.
Posted by 京田辺シュタイナー at 20:30 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
編みもの [2020年12月16日(Wed)]

2年生の息子が、せっせと編みものをしています。
日暮れの早い季節、静かな夕べのひとときに、それはとてもしっくりと馴染み、優しい時間がながれます。

本校では2年生の「手仕事」という授業で、棒針編みをします。
何日もかけて、それぞれ自分の笛を入れる笛袋を編むのです。
1年生の時は、指編みでマフラーをつくりました。2年生になって、指ではなく、道具を使って編むことになった時には、誇らしい顔で教えてくれました。

そのうちに、編みかたをしっかりと手に覚えこませて、家でも編むようになりました。
息子は慣れた手つきで編み目をつくり、勢いよく編んでいきます。編み目が一段、一段とふえていき、わぁすごいすごい、と思っていたら、あら。ほどいています。目をとばしていたのです。ずいぶん小さくなっちゃった。再び編みはじめた。あら、またほどいてる。あ、また…

せっかちな息子のこと。何度も編んではほどいてイライラしているかな…と、ようすを見ていたら
「編みものは、何度まちがえてもほどいたらやり直せるからいいなぁ〜」
とつぶやいています。

そうだね。
編みかたを知っていたら、何度でもつくれるものね。

ところで、何を編んでいるのかたずねたら
「おばあちゃんのマフラー、クリスマスプレゼントに」とのことでした。

私の母は、遠方の雪深い土地に住んでいます。
どんな暖房器具にも負けないくらいのあたたかい贈りものが、もうすぐ届く予定です。

a.t.


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Posted by 京田辺シュタイナー at 22:12 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
はじめての映画 [2020年09月24日(Thu)]
ふだんテレビや映画とは縁遠い生活を送っている我が家ですが、この夏、家族でDVDを見る機会がありました。

7年生になって間もない頃、担任の先生から子ども達に、「特別な時にだけテレビやDVDなどをお家の人と内容を選んで、見ることがあってもいい」とのお話がありました。
事前に保護者会で、メディアとの付き合い方についてじっくり話し合っていたこともあり、私の心も準備万端。早速、クラスメイトと情報交換して、色々と言ってくるに違いない…。娘の反応を楽しみにうかがっていましたが、しばらく経っても何事も無かったような日々が続きました。

夏休みも近づいたある日、娘と二人で本の紹介雑誌を見ていると、児童文学を原作とした映画の特集頁がありました。どれも娘が慣れ親しんだお話ばかりで、瞬く間に見たい映画のオンパレードとなりました。それでも、なんとか、夏に一本だけ好きな映画を見るということで無事、交渉成立です。
その後は、楽しくも悩ましい作品選びとなりました。紆余曲折を経て、以前見たことがあるミュージカルの映画に決まりました。「パパも絶対にいっしょにみようね。」久しぶりの娘からのお誘いに、夫もうれしそうです。

9月のはじめ、待ちに待った日がやって来ました。途中で、娘の方から「目が悪くなるといけないから」と言って中断しましたが、翌日も、無事、家族そろって残りを見ることが出来ました。鑑賞後は、映画についてのおしゃべりに花が咲きました。その後も、舞台となった地域の写真集を見たり、モデルとなった人物について調べたりして、娘だけでなく、家族にとっても、心に残るひと時となりました。

余韻を楽しみつつも、娘は、早くも冬休みの映画の会を思い描いている様子です。「お友達はどんな映画を見ているんだろう…。」ふと、私が言うと、「映画を見ていない人が、悲しい気持ちになるといけないから、お友達とは映画の話をしないことになっているの」と娘がサラリと言いました。
こんな風にして、それぞれにあった形とタイミングで、新しい世界の扉を開けることができるのって、いいなと改めて思いました。
C.T



※京田辺シュタイナー学校のメディアに対しての考え方はこちらの「教育や学校生活に関して:Q5」をご覧ください。
Posted by 京田辺シュタイナー at 19:47 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
シュタイナー学校の夏休み [2020年07月28日(Tue)]

「シュタイナー学校はいつから夏休み?」

先日、関東に住んでいる友人から連絡がありました。友人の長男は公立学校、次男は私立学校に通っています。友人の実家は関西なので、彼女が帰省するたび、家族ぐるみでお付き合いをさせてもらっています。
例年、シュタイナー学校の夏休みが彼女の息子さんたちの学校より2週間くらい早く始まるため、今年はどうかな?ということで連絡をくれたみたいです。

今年は新型コロナウィルスの影響で、京田辺シュタイナー学校は7月31日まで登校日となりました。例年は、夏休み前には午前中の授業のみで下校する日が1週間くらいありましたが、今年は5年生以上は最終日まで通常通りの授業があります。1学期最後の行事「星の祭り」は、今年は中止となり、少しさびしさはありますが、こういう年もあるのだ、という感じで我が子たちは淡々と過ごしているように見えます。

京田辺シュタイナー学校の初等、中等部の夏休みは8月1日から31日までです。
高等部は少し変則的で、学年によってバラつきがありますが、いずれにせよ、例年よりは短い夏休みを迎えようとしています。

今年はどんな夏休みにしようか…。子どもたちと色々話し合っています。

:y…k:
Posted by 京田辺シュタイナー at 16:44 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
「かわいいうわぐつ」 [2020年07月16日(Thu)]


6月に入って登校が徐々にはじまったある日。
「今日、1年生のうわぐつ見たよ!」と、
ぱっとあかるい顔で学校から帰ってきたわが子の姿がありました。

わが息子は今年2年生になりました。
コロナの影響で休校になる前には、
「ずうっと1年生でいたいなぁ。12年生、ほんまにもう抜けちゃうねんなぁ。いややなぁ。ずうっといてほしい、だから2年生になりたくない。」
なんてさびしそうに言っていたのに。
(抜ける、というのは、いなくなる、という意味だそうです)

今年は、新1年生の入学式に参加することがかないませんでした。
だから、かわいいうわぐつが靴箱に並んでいるのを見つけて、まだ見ぬ1年生たちが学校に来ていることを知り、心がはずんだのでしょう。

それからの数日間は、
「今日も1年生に会えなかった。会えたのはうわぐつだけ。明日は会えるかなぁ!」
と、ころげまわって楽しみにしている様子でした。
そんな様子をみていると、こちらまでうれしくなるものです。
楽しみに待てることは、子どもの十八番だと、つくづく思います。

そして、わたしも小さな楽しみのひきだしをいつも持っていたい。
どんな状況にあっても、しっかりあきらめず生きていけるように。

そんなことを考えながら、もうサイズがきつくなったぼろぼろのうわぐつと、昨年よりひとまわり大きくなった新しいうわぐつを見比べて、
「お母さんも、2年生の君に会えて、とってもうれしいよ。」
と心の中でつぶやきました。

この春、入学・進学されたみなさま。
遅くなりましたが、おめでとうございます。


a.t
Posted by 京田辺シュタイナー at 20:50 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
休校中にミニ畑を作りました [2020年06月10日(Wed)]
 休校の間、家で出来ることはないかな?と考えた時、4年生の息子と一緒にミニ畑を作ろう、と思いつきました。我が家はマンションですが、1階なので小さな庭があります。毎年プランターで夏野菜を作っているのですが、今年は庭の土を掘り返して、地植えに挑戦してみよう、と思いました。
 まずは場所を決めてから、シャベルで土を掘り返していきます。息子も張り切って手伝ってくれました。3年生の時に園芸で鍬やシャベルを使っていたので、手慣れた様子です。休校中で力が有り余っているので、発散させるのにもちょうど良い感じでした。ひとしきり土を掘り返して、その日は終了。体は疲れましたが、息子と一緒に色々と話をしながら作業をするのは楽しい時間でもありました。
 別の日に肥料を入れて畝を作り、その数日後にきゅうりとミニトマトの苗を植えて支柱を立てて、1×1.8mのミニ畑が完成しました。息子は毎朝、水やりをして、収穫を楽しみにしています。
 緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ様々な制限がある状況ではありますが、小さな楽しみを見つけながら、日々を過ごしていきたいと思います。
                                           n.m.

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    (苗を植えてから約3週間経った畑の様子)
                     
 
 
Posted by 京田辺シュタイナー at 09:45 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
休校の日々 [2020年04月27日(Mon)]
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹患された方々、および関係者の方々、また感染の拡大により、困難な状況に置かれている方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。
2月の終わりの「一斉休校要請」、そのまま春休みが始まり、5月までの休校延長、「緊急事態宣言」の発令・・・。この数か月は、初めて経験する事態、刻々と変わる状況や、先の見えない不安の中で日々が過ぎていきます。
目の前には休校になり、自宅で過ごすこどもたち。まずは、子どもたちや家族が、心身ともに穏やかに健康に毎日を過ごすこと、が一番大切なことですよね。

4月、本来なら1つ学年を進級し、新しい教室に入り、入学式を迎え、1年生から12年生がそろって授業を始めるころ、子どもたちに学校から大きな封筒が届きました。中には、担任の先生からのお手紙と休校中に取り組む課題。久しぶりに見る先生の字、そして心温まるメッセージに、顔をほころばせる子どもたち。
保護者にも、この休校中の過ごし方について、普段のように規則正しいリズムで毎日を過ごすこと、この期間を豊かな学びの時間としてほしいことなど、大切にしてほしいことが伝えられました。
自宅で始まる新学期です。
そんな日々の過ごし方を少しご紹介します。(我が家は3年生と6年生の兄妹です。) 

朝、身支度や学びの準備を整え、時間になったら、まず詩を唱えることから始まります。
詩は、1年間の学びが終わる最後の日(3学期の最終日)に、先生から子どもたち1人1人に贈られる詩です。子どもたちは、毎年この詩の贈り物をとても楽しみにしています。
次に、笛を吹いたり、体を動かすリズムの時間。
学校では、歌を歌ったり、校庭やホールに移動して体を動かしたりしています。
その後に、プリントを解いたり、音読、九九や英語の暗誦など・・・。
おにぎりタイムと呼ばれる軽食の時間をはさみ、少し休憩してから学びの続きを。
お昼ご飯を食べた後は、自分で深めたい学びや読書、毎日の課題ではない少し特別な課題(作文や先生へのお手紙を書く、手仕事など)に取り組みます。

思いがけず、学校での日々を子どもと共に体験することになり、そのことはたくさんの気づきをもたらしてくれましたし、共に過ごすことが、親子の関係をまた豊かにしてくれているように感じています。
少しずつ自然が移り変わる様子、子どもとの会話、暮らしの仕事のひとつひとつ・・・。
何気ない日常がとてもありがたく、とても大切に感じるのは、今だからこそ、でしょうか。
日々を丁寧に、揺るがずに、過ごしていきたいと思います。

新型コロナウイルス感染症の一日も早い収束を願ってやみません。

I.M



Posted by 京田辺シュタイナー at 14:41 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
9年生 高等部進学 [2020年04月13日(Mon)]
シュタイナー学校では8年生で初等・中等部を卒業し、9年生で高等部に進学します。

新型コロナウィルスの影響で落ち着かない日々です。
休校が続く中、娘は9年生になりました。

8年前の今頃、入学して間もない娘は登校時にとても緊張して私の手をきゅっと握っていました。
学校へは行きたいけど、同じ幼稚園のお友だちもいない…。
娘の葛藤が小さな手から伝わってきました。
学校までの坂道は桜が咲いていてとてもきれい。
でも、娘の足取りは重く、どんどん追い越されて行きます。
追い越されていく中で高等部の2人の男子生徒の会話が聞こえてきました。

「なぁなぁ、桜と梅どっちが好き?」
「うーん…(しばらく考えて)、梅かなぁ」

その時の私は高等部の生徒がこんなことを話すんだ!と、とてもほっこりした気持ちになって、嬉しくなって、緊張した娘の手を柔らかく握りかえしました。

緊張でガチガチだった娘も高等部に進学です。
初めて担任の先生がかわることを娘はどう感じているかなぁ。
ドキドキ、でもそれは1年生の時とはまた違うドキドキ。

8年前に桜の木の下で感じた「この学校で娘はきっと大丈夫」という気持ちは今も変わりありません。
今年も桜は満開でした。
高等部進学おめでとう!


SN*






Posted by 京田辺シュタイナー at 14:31 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
7年生からはじまること [2020年03月27日(Fri)]
新型コロナウィルスが様々な方面に影響を及ぼしていますが、みなさま、つつがなくお過ごしでしょうか。京田辺シュタイナー学校も、休校から引き続いて春休みとなりました。予期せぬ状況に、私の方はついつい意識が薄くなってしまっていますが、娘は4月から7年生になるのを心待ちにしています。
 7年生になると、学校では部活が始まり、そして、我が家では、月々のお小遣いが始まります。
娘のクラスでは、6年生の後半の授業で、歴史や通貨、利子計算などお金にまつわることを学んだ後、少しずつ、子どもへのお小遣いを始める家庭が出てきました。
 我が家では、私が子どもの頃には、月々のお小遣いは貰わず、必要なものがあった時は親と交渉して買ってもらうスタイルをとっていたため、なんとなく娘にも同様にするつもりでいました。
 そんな折に、何度か保護者会などで、お小遣いについてディスカッションする機会がありました。
お小遣い制をとっている家庭から、金額、自己管理の方法、大人が買ってあげるものとお小遣いで買うものとの線引きなど、各家庭での状況を紹介してもらいました。
 年上の兄弟のいる家庭からは、様々なエピソードも聞けました。お小遣をあげはじめた当初、月々のお小遣いが駄菓子に消えていき、口をはさみたいのをじっとこらえていたところ、やがて浪費は収まったケース。以前は親の買い物に一緒に行くとお菓子をねだっていた子どもが、お小遣いをもらい始めると、自分が支払うわけではないのに、「高いからやめておく」と言うようになったケースなど、話はつきませんでした。
 色々なケースに触れるうちに、私の心はお小遣い制に傾いていきました。一人っ子で、事あるごとについつい親が口をはさんでしまいがちだったけれど、娘に、少しずつ自分の裁量で行動していってもらいたい。時には失敗することもあるかもしれないけれど、子どもだけでなく親も学んで行けたらいいねと夫とも意見が一致しました。
  
 7年生だから700円。このささやかな経済がこれから、どういう形で広がっていくのか、楽しみです。
C.T

Posted by 京田辺シュタイナー at 23:08 | 生活 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)