中国の若者が感じ取った”日本”〜訪日感想文〜
[2018年04月20日(Fri)]
「笹川杯日本知識大会・作文コンクール」訪日団の感想文がまとまりました。
中国の大学生たちが“日中再発見”をキーワードに、日本各地を訪れ、様々な人々と出会い交流し、様々な経験をした8日間でしたが、日本との関わりの中で将来像を描いている彼らが感じ取ったこと、日本人に知って欲しかったこととは、一体どのようなことだったのでしょうか。
日本の若者たちとの直接交流で生まれた共感、日本の文化、社会、歴史、習慣などへの認識、平和や環境を守ることの大切さ、そして両国関係を担う自分たちの使命・・・、感想文には彼らの率直な思いがいっぱい詰まっています。
是非ご一読ください!
ここでは、数名の感想(抜粋)を紹介します。
全員の感想は、PDFでご覧いただけます。
上海交通大学図書館 陳 琛
今回の旅はぶつかり合いの旅だった。両国の友好は青年にあり。今回の交流を通じて思想のぶつかり合いがあって、若者同士の異文化対話を実現することができた。小さな体験談―食文化、自分の体験、最近の科学技術体験などを語り合うことで、日中両国の未来発展の活力となった。「一花一葉一世界」、千百年来、両国文明のぶつかり合いは細かく、若者同士の想像に融けこまれていた。
重慶三峡学院日本語学科3年 李 暁霞
日本人との交流を通して、日本の魅力をたくさん発見しました。日本人と直接に交流してみれば、言葉の違いは乗り越えられるものだとわかりました。中国人と日本人との間にはたくさんの違いが存在しているものの、共通点もたくさん見出されるのです。中国人学生が悩むことは日本人学生も同じく悩んでいるということに気付き、私たちは妙にお互い心や気持ちが通じ合う気がしました。
大連大学日本言語文化学院4年 鐘 一棚
中国人と日本人は同じ文化の源なのに、同じアジア人なのに、随分異なっています。中国人は賑やかな雰囲気が好き、ほとんどの場合は人と話し合ったり、笑ったりすることが一番いいと思います。でも、日本人は逆です。マナーを大事にして、他の人に迷惑にならないように気を付けています。その故、日本人は見た目に冷たい感じがしています。でも、一旦話しかけたら、日本人の暖かさが感じられます。細かいことも気づき、相手の気持ちを大事にしています。こういう点が大好きです。
上海交通大学日本語学科3年 王 若平
沖縄が世界大戦で被害を受けたことや、「ひめゆりの塔」のことは、本で読んだことはあるが、正直、「なるほど」、というレベルの感じに過ぎなかった。
しかし、記念館の放映室で、体験者が語りかけている映像が流されると、僕はそこに居づらくなった。その光景が目の前に広まっているようだった。胸が苦しくなり、汗が出るほどだった。戦争で死んだ人は、政治家にとっては数字に過ぎないかもしれない。しかし、その時代に生きていた人々にとっては、ひどく深刻な苦難である。感情を持たず論理的に考えても、そんなことをして結局誰が得をするだろう。わからなくなるのだ。
僕の故郷南京市は、戦争で沖縄よりも何十倍もの被害を受けたが、そこにも記念館がある。僕は、入ったらすぐ当時の悲劇を直接体験しているような感じになり、気持ちが非常に暗くなる。高校の時、学校の協定校から一回修学旅行団が訪問してきたことがあり、案内したことがあったが、そこには掌を合わせて祈っている日本の学生の姿もいた。
同じ人間だから。
四川外国語大学 日本語学部3年 黄 一倫
東京学芸大学、慶応義塾大学をはじめ、日本の学生たちもいろいろ工夫して、熱弁溢れる討論会を開きました。彼らのおかげで、日本が初めての私もより早く慣れることができました。浅草の人の群れ、スカイツリーの眺め、沖縄の煌めく浜辺、こどもの国の冒険、日本の皆さんと一緒に経験したものは、ジュエリーのように、この旅を飾ります。討論会の後、みんなWeChatのIDを交換し、ずっとこの友情を続けたいです。
天津外国語大学高級翻訳学院大学院1年 周 姍姍
いつか日本に行って自分の目で見てみたい、これは私の念願でした。恥ずかしいですが、生まれ育ちは田舎で、大学の専門は何だと聞かれると、いつも大声で「日本語だ」と堂々と言えませんでした。・・・
日本人は中国人の私を親切に接してくれたよと私が帰国後、日本に行く前に「日本は危険だ。気をつけて」と言った人にこんなことを伝えました。また、今回の旅で、去年天津で初めて出会った「PANDA杯訪中団」の皆さんに東京で再び会えることができました。こうした人と人との間で築かれた絆にはとても感慨深いんです。「日本人」、「中国人」という一般的なイメージで判断するのではなく、まずは一人として見つめることの大切さが再び感じました。
東北大学秦皇島分校語学学院3年 劉 頴慧
日本という国は、本の中から読んだことがある、テレビや映画から見たこともある、夢の中で見たことがあった。この国にまつわる美しい物語がたくさんあったにも関わらず、私にとって蜃気楼のように目の前にあるように見えるが触れることができない存在だった。・・・紙上の空論は何も役に立たない。自の目で日本を見ることは本当の意味においてこの国を知ることだ。
1週間に4都市を回った。中国大陸と海を隔てた日本の国土を歩きまわった。この国の縦軸の歴史、この国の横軸の風土人情を深く知ることができた。パイプの中から豹を見ると「―斑」しか見えないが日本のことを「繊細」との2文字に尽きる。日本の繊細は細かいところから感受でき、桜のように静かに精巧にしなやかに咲き乱れ、おさまりよく、武士のたましいのように見える。
広東外語外貿大学日本語学科3年 黄俊捷
短い一週間の中で、日本の方々はいつも笑顔で私達を暖かく接してくれました。特に、ボランティアとして、私達を東京都内を案内してくれた日本の大学生達は、多様な観光コースを考えてくれたり、私達の気持ちを構ってくれたりしました。彼らの姿を見て、私は本当に心を打たれて、日本人らしいのおもてなしを感じました。
それに、そのおもてなしは今度また別の形で私達の目の前で現れました。それは、私は秋葉原の街を歩いていた時にある標語を見かけた時のことです。「優しさの走るこの街に」━━ただの10文字ですが、とても迫力があると思います。何故かと言うと、街は人が集まる場所なのです。優しさの溢れる街というのは、優しい人の溢れる街です。「人があっての街、街があっての国。」もし、皆はそれを目指して、同じ方向に動くなら、近いうちに日本も優しさの走る国になることができるでしょう!ごく日常的なものこそ、国のイメージアップの責任を持っています。だから、私は改めて日本人の繊細さに驚きました。
国際交流チーム