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わたしのやった ちょちちょちあばば [2013年08月31日(Sat)]
わたしのやったのは (子どもにしたのは)これ!

ちょちちょち  → 手を合わせる(4回)
あわぁわぁ   → 片手を口にあててあわぁわぁ(あ・わぁ・わぁと3回する)
かいぐりかいぐり→ 両手をグーにして、糸巻き巻きみたいな動作
とっとの目   → 両方で目のあたりを2回触る
おつむ てんてん→ おつむの時はなにもしないで、
          てんてんの時は、両手で頭をとんとん
バンザーイ!  → 腕からしっかり両手をあげ、バンザイをする

母は中京で育った人でしたので、京都の町はこれかな…と思ってきました。
少しずつ違うのが伝承らしくて、面白いですね。
他の方の、ちょちちょちあばばは、どんなふうだったのでしょうか?

私の子どもたちは、バンザーイ!がとっても大好きでした。

いずれにせよ、迫さんが書いておられる通り、
最初から全部できる赤ちゃんはいないけど、
少しずつできる動作が増えてきます。
それが、なんだかとっても嬉しいですよね。
ちょちちょちあばば [2013年08月31日(Sat)]
みなさんにとって「ちょちちょちあばば」どんな歌と動作でしたか?

NPO法人子育てを楽しむ会のスタッフは、いろいろな地域の出身者の方がいて、
昨日も北海道出身のスタッフと話をしていたら、「そんなんしらん」ってことでした。

私の母バージョンはこれだったので、私のバージョンもこれです。

ちょちちょち→手を合わせる(4回)
あばば→片手を口にあてて(あばば)
かいぐりかいぐり→両手をグーにして、糸巻き巻きみたいな動作
おつむてんてんてん→両手で頭をとんとんとん
とっとの目 とっとの目 とっとの目 →片方の手のひらはパー もうひとつは人さし指を立てて
パーの手のひらの真ん中あたりをつんつんする

最初から全部できる赤ちゃんはいないけど、少しずつできる動作が増えてきたように思います。

正解なんてもともとないのですから・・・

私の中の記憶では…という何か赤ちゃんをあやす歌遊びが誰にでもあるといいなと思います。
浮世絵にみる おんぶやだっこ [2013年08月31日(Sat)]
浮世絵の中にも、おんぶやだっこの姿は出てきます。

両国橋夕涼み 19世紀半ば

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江戸名所百人美女1858

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山海名産尽1820

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女性って お母さんって 素敵だなぁと、ほれぼれ見てしまいます。

さて、他のみなさんが書いて下さる用意も、そろそろ・・・と思います。
これからは、大勢が書いて行きます。

どうぞ、お楽しみに!
昔のおんぶを、ご紹介。 [2013年08月30日(Fri)]
少し、過去の絵を見て頂きましょう。
中世のおんぶやだっこは、絵巻から見ることが出来ます。

1 松崎天神縁起14世紀銅細工師の家の食事

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2 鎌倉末期 長谷雄草紙

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3・4信貴山縁起絵巻

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江戸時代の京都では?
都名所図会・拾遺名所図会に出てきます。
本文を京都の俳諧師秋里籬島が著し、
図版を大坂の絵師竹原春朝斎が描き、
京都の書林吉野屋から安永九(1780)年に刊行された、
全部で11冊からなるガイドブックです。
私もこの本のファンで、我が家にもあり、子ども達と町たんけんに行く日に持って出ます。
実際に現存するものが、そのまま描かれているのが多く、
感激しちゃいます・・・というのは今関係ないですね。

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色んな表情で、面白いですね。
はじめまして・・・ [2013年08月29日(Thu)]
このブログを読んでくださっている皆様・・・はじめまして。

私は、迫きよみといいます。
1962年 京都市内の紫野(今宮神社の近く、大宮商店街の近く)の、機織り長屋で生まれました。
2歳の頃に、田んぼとどんどん開発している阪急沿線の向日市に引越しました。

どこで生まれ育ったのかって、やっぱり影響あると思います。

機織り長屋で生活しようと思ったら、(我が家は機織りはしていなかったのですけど)日常の会話が大きくなるんだそうです。声の大きな母がそう言ってました。

小さいころの写真は、誰かわからない人たちにいっぱい抱っこしてもらっている写真が残っています。みんなでかわいがってもらったんだと思います。

向日市は、とっても子どもが多くて、隣も、お向かいも、そのお隣も、みんな同じ年の子どもがいて、路地だけでどっちボール大会ができました。学校から帰ったら、みんな家の前に出てきて、かくれんぼ・下駄かくし、かかし・ボール遊び・ママごと・ビー玉・男女問わずいろいろな遊びをしました。あるとき、岡山の田舎から一家族が引っ越してこられました。田舎の子どもは遊びの天才・・・その家族が来てからというもの、みんなも刺激され、さらにダイナミックな遊びになって行きました。

子どもも多いけど、山も池も田もあるところでした。
山に行ってうるしにかぶれ、カエルとりは名人級、田んぼでのれんげつみも大好き(でも、花の輪は作れなかった不器用人)

学校から帰ると、母はいろんな家にいっているので、大きな声で「おかあちゃん」と叫ぶと、「ここよ・・・」的な返事が返ってくるので、その家に行くという生活でした。

母は編み物が好きで、いつも手を動かしながらおしゃべりしていました。
その頃のおばちゃんたちはみんな何か手を動かしていて、しぼりの内職をしている人もいたし、
パッチワークをしている人たちもいた。

子どもも多かったから、近所の子どもの子守もさせられました。

みんなでおこずかいを出し合って、リーダーが買い物に行って行った花火大会や、子ども会で上演した人形劇。

今、すべての経験が私の宝物のような気がします。

全部じゃなくていい。
でも、なくしてしまうことで、子どもたちの心や体がしなやかに育つことを阻止してしまうものもあると思うのです。

便利になった現代を認めつつ・・・だけど、これだけはこれからの日本人の子育てとして残そうよ…というものを、その意味をきっちり表現できる形で、わかりやすく伝えていきたいと思っています。

物ではなく、体と心に染みつくような・・・目に見えない宝物・・・

今年は宝物さがしのたびです。

私は今、宇治で、子育て支援のNPOの代表をしています。子育てを楽しむ会と言います。

どうぞよろしく。

おんぶひも、だっこひものマニアです。
昨日も見ました、おんぶのママ! [2013年08月29日(Thu)]
昨日は、別の団体の活動で、
病児さんに生の舞台を届ける活動をしていますが、
2013年の第1回目、舞鶴の療育センターでの公演となりました。

すごく楽しいチムチムサービスさんのショーを終えて
お帰りになる保護者の方の後姿。
お兄ちゃんの手を引いて、ほら!
やっぱりおんぶは良いですね。

P1010443.JPG

おんぶの良さは沢山あるけれど、
・体が楽、
・両手があく、
・だっこより動きやすい
・あかちゃんは母の肩越しに、いろんなことを母と共に体験できる。
そして、何よりあかちゃんが気持良いようですよ。
それは、お母さんにもたれかかる安定感から来るのでしょうか。
コンサート会場で、凄〜いおんぶ。 [2013年08月28日(Wed)]
今年の2月の寒い日、
いろんなところで、結構おんぶを見た。
自分の意識がそうだからだろうか?
そんなことを考え歩いていると、結構ちらちらと出くわす。
これでは前が見えないよと言ってあげたいけど、
通り過ぎてからわかるので、声を掛けるタイミングがない。

2013.2おんぶ山科で.jpg

そんな事をおもっていた3月に、誘われてコンサートに行った、
→Pia-no-jaC← のコンサート。
凄い演奏で大満足であった。
5000円のチケットに、500円の飲物代を支払ったけれど、
椅子席は少ししかない。(こういうのは私は初めて!)
ノリノリで、なんと!2時間50分、本人たちが出すっぱり。
で、みな、立ち見。
全身で音楽を受け、感じている。
これが今のニーズに応えるコンサートかも…。
なめらかな大阪弁のおしゃべりと、
あふれる音の洪水の中(ピアノと打楽器カホンのデュオ)

で、話の本題となる。
その場に、男の子を交互におんぶしあっている夫婦がおられた。
このスチュエーションをご存知だから、おんぶで来られている。
リズムに合わせ、踊るようにあやす、ご夫婦。
何度も交代しながら、おんぶを続けておられる。
父母の、心から楽しそうな様子に、これもアリなんだ!

こちらは、背中越しに、
ミュージシャンの動きが見えるベストな位置のおんぶ。
背中の子も、見て、揺られて、とても満足な様子だった。
昔の絵や写真には、おんぶばかり! [2013年08月27日(Tue)]

わたし、割と良く、江戸時代の冊子を見ます。
子どもたちと地域を「町たんけん」する際にも、
江戸時代のガイドブックを持って行って、その頃と今を比べるたりします。
あったものが無くなっている、
無い物が増えているということは多いけど、
江戸時代そのままに史跡などが残っている場合、ある種の感激を覚えます。
感激屋さんの私と一緒に歩く子どもたちは、
コピーされた絵(地図)を見ながら、あるモノ探し・無いモノを探します。
特に拾遺名所図会と言うのをよく用います。
(とうとう、都名所図会・拾遺・・・の揃いを買ってしまいました!)

他にも父が残した江戸時代の絵図や版画があるので見るのですが、
そのほとんどが、おんぶです。
背中の肩から、顔がのぞく(顔が出る)のがおんぶです。
外国人が、一つの身体に顔が二つで、
「お化け?」と思ったという逸話がある程です。
西洋では行われない「おんぶ」を、”低く見た”ということもあります。
当時、これが普通だったわけで、
子どもを連れながら仕事をしなければ生活が成り立たなかったのです。
女性は働き手でしたから。(勿論、今もそうですが)

さて、おんぶされた赤ちゃん、その顔は母親と同じ方をむいています。
それが大事なのですねぇ。
負ぶわれた背中から見えるのです。
母がこの人には親しげに語り、この人には、平身低頭で謝っており、
この人には文句を言う・・・朝はどの人にも挨拶をする・・・
というようなことを、身を持って母と共に体験していたのです。
<習うより慣れろ>と言う言葉がありますが、
日本の赤ちゃんは、
0歳から人付き合いの仕方・食事の作り方・家事全般を、
実地に基づく経験として、蓄えていたことになります。
これが、日本人の子育ての基本であり、
子どもの教育の場になっていたと言われています。
賢い子どもという評価は、大人と積んだ経験の賜物だっのでしょう。

そういえば、スリングでも、と同じ方向を向く
「カンガルー抱き」というのもあるそうですが、見かけないですね。

前回のゴリラに話が戻りますが、
ゴリラと人間って、DNAでは、殆ど同じで、約2%しか違いがないそうです。
この2%というのはものすごく近いということをあらわしていますが、
サルとゴリラ、DNAではずっと離れているそうです。
よくわからないんだけど、そのようです。

前回お伝えしたように、
ママゴリラは1年間も赤ちゃんを抱いて育てる、ほんまもんの密着子育て。
それに比べると、人間のママたちは、赤ちゃんと離れます。
人間というのは、離れていようと、共に楽しみ、笑い合います。
人と人が共感する気持ちが、人間社会を成り立たせているのですね。

実は、これ、人間の特性なのです。
ゴリラは、群れていますが、
一緒に食べて、「美味しいね」と共感するとか、
おっぱいを飲む赤ちゃんゴリラを見て
「美味しい? 良かったねぇ」と、共感はしないそうです。
人間のママたちは、おっぱいをのませながら、
実に美味しそうに飲むわが子を、愛おしそうに見つめ、
充実感に浸りします。(落ち着いている時だけども・・・)
その様子を見る私達は「ええなぁ〜」と共感するわけです。
この人間だけが持つ共感能力、
子育てを地域で進める上で、大きな財産になっているのです。
よって、わたしはかつて地域福祉の講義で、これが大事!って話しました。

共感できる地域で、
ひとりひとりが、自分らしさを持ち、
その地域で、過ごし続けることが出来るということは、とても大事なこと。
そんな環境をつくるひとつに、
まずは、地域で共感する心を十二分に育てることが大事!
そんな気持ちを、地域で広めて行きたいですね。
人間の赤ちゃんが泣くこと、ゴリラの赤ちゃんが泣かないこと [2013年08月27日(Tue)]
もう1年近く前になる、秋のことでしたが、
1か月から6か月になる赤ちゃんが一人ずつお越しになる
(もちろんママと一緒)そんな講習会(BPプログラム)を実施しました。
「なりたてママ」の会です。

その時、そこでこんな言葉が・・・。
「昨日、買い物に行ったのだけど、急に大泣きし、
泣き止まなかったので、何も買わずに帰ってきてしまった」と。
すると、そこにいた、他のママ全員が、「わたしもある!」

赤ちゃんは泣くのが仕事だというのに、
まだ半年にも満たない赤ちゃんを持つママたち、
冷たい眼差しに耐えかね、何も買わないで帰るというわけです。
「こんな小さい子を連れて買い物に来るからだ」と言うような、
針で刺されるような視線がしんどかったのだと思います。
そういう思いをするのは、何故なのでしょう。

「ギャーギャー赤ん坊を泣かして・・・」という、
冷たい視線の奥には、「静かにさせんかい!」という気持ち。
でも、赤ちゃんは、泣くしか伝達の手段は無いし、泣くのが仕事。
泣くのはあたりまえなのです。


そこで思い起こすのが、
山際寿一さんの、ゴリラの赤ちゃんは泣かないという話。
ゴリラの赤ちゃんは、殆ど泣かないし、泣く必要がないそうです。
というのは・・・ゴリラって、あんなに大きいのに、
生まれる時は、人間の赤ちゃんより小さく2キロ以下で産まれるそうです。
人間の体格で比較すれば、保育器に入る程小さい赤ちゃんを産むわけです。
そんなひ弱な赤ちゃんなのですから、
ママゴリラは、一日中、抱き続けているわけです。
大体1年間、ママゴリラは、昼夜を問わず、
移動の際も、寝ている際も、食事の際も、抱き続けるのです。
しっかりと抱かれた赤ちゃんは、嫌な時も、体の動きで伝えることが出来、泣く必要がないようです。
こうして1年を過ごし、約3年はママゴリラのお乳を吸って育つそうです。

凄いなぁと思いますよね。
ただ、人間のわたしたち、
一年中、寝ても覚めても、だっこにおんぶとはいきません。
だから当然「離す」行為が始まります。
産後すぐから、それは始まります。
その行為の歴史というのか、長い長い期間を経て、
人間の赤ちゃんは、その大きな・けたたましい程の泣き声を
身を守る武器・あるいは宝物として獲得していったと思われます。
あの声を聴いて、知らん顔をすることはできないでしょ!

「人間の赤ちゃんは、母親以外のいろんな手によって育てられるように、
大声で泣くようにできている」と、講演会で話をされていました。
本当に、精密な機械のように感じる程です。
精密な機械よりも、もっと感受性に優れ、
相手(抱いている人間)を見透かしているのかなとさえ思う時があります。

例えば、抱いていて、そろそろ寝たかな・・・と、
そおっと体を動かしたり、お布団に移動。その途端に泣き出す・・・。
仕方ないので、また抱くと、すやすやとお眠りになる。
もう怖くて、布団に移せないって感じ。
実際に考えても、抱かれている状態から体形は変わるし、
布団は母の体温とは違って冷たいし、硬いし、泣くのは当然ですよね。

そんな時、誰しもが考えるのは、そのままの姿勢。
きっと、だっこひもの「スリング」や密着型のだっこひもやおんぶ紐、
そうして考えられたのでしょう。
身体がまるまって、親のぬくもりも感じます。
その上、親と一体感があるから、泣かない。
抱っこひもやおんぶ紐をつかっていると、両手があくし、
一体感があって、赤ちゃんは泣かない・・・そんな中で仕事が出来る。

ゴリラママのように、だっこばかりはできない人間には道具がある。
赤ちゃんのまわりにいる多くの人の手と、
優れた道具を使いましょうということかな。 
いよいよ、CANPANブログ デビューです。 [2013年08月27日(Tue)]
みなさん、初めまして。
子育ての文化研究所、いよいよ、動き出したのを機に、
HP・フェイスブック・ブログでお伝えすることになりました。
といっても、なかなか、きちんと伝えることは難しいです。
そこで、今わたしたちが考えていることを少しずつお伝えしていきます。

今回は、この会の意図をお伝えしましょう。
わたしたちは、子どもと子育てに関わっています。
子育て文化を考え、役立つ発信をする場として、
2012年4月17日、研究所を開設致しました。

子育てが「大変だ! 大変だ!」と皆が気づき始め、
現代社会においてのきわめて大きな問題と言われ、久しくなります。
子育て支援の施策も、随分多様でキメ細やかになったのですが、
それでも、乳幼児を持つ親にとっては大変さが増すばかりです。
それが端的に表れているのが、子どもへの虐待ですが、
件数の増加だけでなく、厳しい現実を見せつけるものばかりで、
大きな社会問題となっています。

しかし、虐待に及ぶ親は特別な人なのではないと、私たちは考えています。
以前より、子育ての環境が厳しいものになったことで、
どの親も危機に陥っている現実があります。
このような厳しい社会環境の中、
「子育て支援」はやっと注目されるようになりました。
子育て支援NPOや、
乳幼児を持つ親が運営する子育てサークル・子育て団体、
行政主導による子育て支援策、
特に「つどいのひろば」などの直接支援出来る場の設置など、
社会が子育てに目を向ける事を実感することも増えました。
子どもを育てるという行為に対し、
誰もが親として通るものとは言えども、
「産む・育てるは当たり前」と当然視するのではなく、
子育てを文化として継承されていない中では、
簡単な事ではないと、やっと受け止められるようになりました。
社会での注目度も増大しています。

現在、
社会で起きている子育てに関わる問題の背景として考える時、
その一因に「子育ての変容」が挙げられると思います。
江戸時代の時代劇を見ると、
意外な事に、父親が結構関わっています。
それは庶民の動きのなかで、ですが。
これは多くの家庭が「職」と「住」が
同一あるいは余り離れていなかった事にもよるのでしょう。
それにこじんまりした家、
何でも家の中は筒抜けだったからではないかと思うのです。
子どもが泣けば、父だって知らん顔できなかったでしょう。
また、ご近所の人のつながりの中で、
子どもたちは群れて育っていたことも、理由に挙げられるでしょう。
時代劇は、ツクリモノだからと言われそうですが…。
でも、考えれば思い当たることも多いですね。

もっと近いところで、この半世紀を振り返り、
祖父母と呼ばれる年齢の人達が育った頃と、現在を比較すると、
子どもを育てる事への意識の変化に目を見張るものがあります。
数十年前のこと、
たとえば、ミルクのことで言えば、
昭和30年頃(1955)から人工栄養にきりかえる風が流行り出し、
1970年前半には母乳栄養の比率が約30%となりました。
それに対し、そうはいっても母乳が大事!という声が大きくなり、
1975年以降復活し、今は7割が母乳育児だと言います。
・・・とはいうものの、ミルクの便利さからか、
部分的にミルクを使う人の割合が増えてきているとも言われています。

民俗学の専門家たちの間では、
1960年頃から、子育ての危機が叫ばれています。
社会に向け、親へ向けて、沢山の本が出版されました。
しかし、いわゆる育児書ではない専門書の類を、
ただでさえ子育てに大変で、時間の無い時期に読む母親はなく、
専門家が書き、専門家が読むだけの書物となってしまったようです。
ということで、
子育てに携わる親に研究者たちの警告は届きませんでした。

そうこうする間に、
日々、子育てに伴う文化(育児習慣)は変容を重ねます。
ある歌手が引退後の子育てで、抱っこひもを使用し、
そのカッコよさにあこがれ、皆が抱っこひもに走ったと言います。
実を言えば、私も「便利だ」と、第1子との通勤時にだっこひもを使用。
今から30年くらい前のことです。
今頃になって、そのこと自体が<流行に乗っていただけ>だと、
わかるのですが、こんな研究でもしない限り、気づきませんよね。

最近は、Facebookを介し、あるメーカーの抱っこひもが流行る
同じような現象がありました(というか、今もしぶとく継続中)
それがだっこに相応しいかどうかよりも、
「みんなが使っているもの」ということのほうが大きく影響し、
いつのまにか、このメーカーでのだっこが当たり前に。
そこから「おんぶって、どうしたらよいのですか?」から、
最近は「おんぶって、なんですか?」という声まで聞くようになりました。

現在の子育てのむずかしさ、その原因はどこにあるのでしょうか。
一つは「子育て」に関わる事柄の多様さから来てると思います。

子育てというのは、一人の人間を生まれた時から育て続けること。

人間に関わる全てのことの集大成です。
その情報量の多さに対し、伝えたいものズバリの本がないのです。
HOW TO的な子育ての仕方と言っても、
カタログ的な物の紹介、
遊びや文化のような伝承的なものから、心や体の成長まで、
それこそ、百科事典のように何もかも知らねば、出来ない!?

しかし、そんなことは到底できるものではないし、
これまで、人類はそんなに知識豊富な親が子育てをしてきたのではない筈。
となると、このことを、どのように捉えるか・・・と、考え始め、
かなりの年数が経ちます。
この研究所では、色々なことを整理し、簡単なカタチにし、
役立つ発信をしていこうと考えているところです。

研究所という場をご一緒に考える場としたいと考えております。
どうぞ、よろしくお願い致します。
 
代表 朱 まり子
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