昔の絵や写真には、おんぶばかり! [2013年08月27日(Tue)]
わたし、割と良く、江戸時代の冊子を見ます。 子どもたちと地域を「町たんけん」する際にも、 江戸時代のガイドブックを持って行って、その頃と今を比べるたりします。 あったものが無くなっている、 無い物が増えているということは多いけど、 江戸時代そのままに史跡などが残っている場合、ある種の感激を覚えます。 感激屋さんの私と一緒に歩く子どもたちは、 コピーされた絵(地図)を見ながら、あるモノ探し・無いモノを探します。 特に拾遺名所図会と言うのをよく用います。 (とうとう、都名所図会・拾遺・・・の揃いを買ってしまいました!) 他にも父が残した江戸時代の絵図や版画があるので見るのですが、 そのほとんどが、おんぶです。 背中の肩から、顔がのぞく(顔が出る)のがおんぶです。 外国人が、一つの身体に顔が二つで、 「お化け?」と思ったという逸話がある程です。 西洋では行われない「おんぶ」を、”低く見た”ということもあります。 当時、これが普通だったわけで、 子どもを連れながら仕事をしなければ生活が成り立たなかったのです。 女性は働き手でしたから。(勿論、今もそうですが) さて、おんぶされた赤ちゃん、その顔は母親と同じ方をむいています。 それが大事なのですねぇ。 負ぶわれた背中から見えるのです。 母がこの人には親しげに語り、この人には、平身低頭で謝っており、 この人には文句を言う・・・朝はどの人にも挨拶をする・・・ というようなことを、身を持って母と共に体験していたのです。 <習うより慣れろ>と言う言葉がありますが、 日本の赤ちゃんは、 0歳から人付き合いの仕方・食事の作り方・家事全般を、 実地に基づく経験として、蓄えていたことになります。 これが、日本人の子育ての基本であり、 子どもの教育の場になっていたと言われています。 賢い子どもという評価は、大人と積んだ経験の賜物だっのでしょう。 そういえば、スリングでも、と同じ方向を向く 「カンガルー抱き」というのもあるそうですが、見かけないですね。 前回のゴリラに話が戻りますが、 ゴリラと人間って、DNAでは、殆ど同じで、約2%しか違いがないそうです。 この2%というのはものすごく近いということをあらわしていますが、 サルとゴリラ、DNAではずっと離れているそうです。 よくわからないんだけど、そのようです。 前回お伝えしたように、 ママゴリラは1年間も赤ちゃんを抱いて育てる、ほんまもんの密着子育て。 それに比べると、人間のママたちは、赤ちゃんと離れます。 人間というのは、離れていようと、共に楽しみ、笑い合います。 人と人が共感する気持ちが、人間社会を成り立たせているのですね。 実は、これ、人間の特性なのです。 ゴリラは、群れていますが、 一緒に食べて、「美味しいね」と共感するとか、 おっぱいを飲む赤ちゃんゴリラを見て 「美味しい? 良かったねぇ」と、共感はしないそうです。 人間のママたちは、おっぱいをのませながら、 実に美味しそうに飲むわが子を、愛おしそうに見つめ、 充実感に浸りします。(落ち着いている時だけども・・・) その様子を見る私達は「ええなぁ〜」と共感するわけです。 この人間だけが持つ共感能力、 子育てを地域で進める上で、大きな財産になっているのです。 よって、わたしはかつて地域福祉の講義で、これが大事!って話しました。 共感できる地域で、 ひとりひとりが、自分らしさを持ち、 その地域で、過ごし続けることが出来るということは、とても大事なこと。 そんな環境をつくるひとつに、 まずは、地域で共感する心を十二分に育てることが大事! そんな気持ちを、地域で広めて行きたいですね。 |