はじめまして・・・ [2013年08月29日(Thu)]
このブログを読んでくださっている皆様・・・はじめまして。
私は、迫きよみといいます。 1962年 京都市内の紫野(今宮神社の近く、大宮商店街の近く)の、機織り長屋で生まれました。 2歳の頃に、田んぼとどんどん開発している阪急沿線の向日市に引越しました。 どこで生まれ育ったのかって、やっぱり影響あると思います。 機織り長屋で生活しようと思ったら、(我が家は機織りはしていなかったのですけど)日常の会話が大きくなるんだそうです。声の大きな母がそう言ってました。 小さいころの写真は、誰かわからない人たちにいっぱい抱っこしてもらっている写真が残っています。みんなでかわいがってもらったんだと思います。 向日市は、とっても子どもが多くて、隣も、お向かいも、そのお隣も、みんな同じ年の子どもがいて、路地だけでどっちボール大会ができました。学校から帰ったら、みんな家の前に出てきて、かくれんぼ・下駄かくし、かかし・ボール遊び・ママごと・ビー玉・男女問わずいろいろな遊びをしました。あるとき、岡山の田舎から一家族が引っ越してこられました。田舎の子どもは遊びの天才・・・その家族が来てからというもの、みんなも刺激され、さらにダイナミックな遊びになって行きました。 子どもも多いけど、山も池も田もあるところでした。 山に行ってうるしにかぶれ、カエルとりは名人級、田んぼでのれんげつみも大好き(でも、花の輪は作れなかった不器用人) 学校から帰ると、母はいろんな家にいっているので、大きな声で「おかあちゃん」と叫ぶと、「ここよ・・・」的な返事が返ってくるので、その家に行くという生活でした。 母は編み物が好きで、いつも手を動かしながらおしゃべりしていました。 その頃のおばちゃんたちはみんな何か手を動かしていて、しぼりの内職をしている人もいたし、 パッチワークをしている人たちもいた。 子どもも多かったから、近所の子どもの子守もさせられました。 みんなでおこずかいを出し合って、リーダーが買い物に行って行った花火大会や、子ども会で上演した人形劇。 今、すべての経験が私の宝物のような気がします。 全部じゃなくていい。 でも、なくしてしまうことで、子どもたちの心や体がしなやかに育つことを阻止してしまうものもあると思うのです。 便利になった現代を認めつつ・・・だけど、これだけはこれからの日本人の子育てとして残そうよ…というものを、その意味をきっちり表現できる形で、わかりやすく伝えていきたいと思っています。 物ではなく、体と心に染みつくような・・・目に見えない宝物・・・ 今年は宝物さがしのたびです。 私は今、宇治で、子育て支援のNPOの代表をしています。子育てを楽しむ会と言います。 どうぞよろしく。 おんぶひも、だっこひものマニアです。 |