節目と禊
[2014年03月02日(Sun)]
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昨日、下の子の高校の卒業式でした。
泣かない〜と思っていたのですが、泣いてしまいました(;▽;)。
卒業式っていいですね。
最後、教室で、先生の号令で生徒たちが保護者全員に向かって「ありがとうございました」と
挨拶をする場面で、泣いてしまい、
子どもに「お母さん、号泣しとったわ〜、引くわ〜」と言われてしまう始末。
私、そうい場面ダメなんですよね〜。
卒業式では先生方が子どもたちのことをどれほど大事に思ってくれていたかを
感じるときでもありますし、
子どもが感じてきた理不尽さや不本意さ、
思いっきり努力してきた積み重ねた経験の結果としての
集大成がこの日だったりもして、
それらの日々の子どもの様子に右往左往しながら過ごしてきた揺れ動く親心なども
懐かしく思う日でもあります。
親にとってはこの子の成長とともに、その周辺でのできごと
敷いては自分ごとの3年間を思い起こし感慨にふけってしまうときでもあります。
子どもの卒業式って節目を感じます。特に高校はそういう思いを強くします。
卒業式の中で「高校は大人になるための準備をするところ」という表現もありましたし
実際、高校を卒業して仕事をしていく子たちもいます。
大人への階段を駆け上っていく我が子に眩しいエネルギーを感じ、
感激とともに、もう、手の届かない所に離れていってしまう
さみしさと切なさでうるうるしてしまいました。
親になった瞬間からそれは宿命として定められていること、
なんですよね。
ちなみに、うちの子、県内私立大学に進学なので自宅通学生です。(笑)
しかし、大学受験にかかった受験料は子どもがバイトして貯めたお金を
自分で振り込んで手続きしていました。
高校生なのに偉いなぁ〜と感心したものです。
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私は大人になっていく子どもに何ができるのだろう。
子どもの目まぐるしい成長にはもうついていけない。
子どもが社会に出て、理不尽な壁にぶち当たったとき、
「どうして大人たちはこんな理不尽なことをそのままにしてきたの!」と
怒られることがたくさんありそうな気がする。
そんなとき、それでも、それをなんとかしなきゃという人たちと
つながって、いろいろなことを考えたり、感じて、
そのままではない形にするための努力はしてきたよ、と
言えるような大人になっていたいです。
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子どもの節目を迎え
自分自身の振り返りを行うことが少し出来た。
私自身も節目だ。
仕事を変えて1年が経つ。
今の仕事に就いて1年。
もう1年なのか、まだ1年なのか、両方の思いがある。
けれど、少しずつ、自分のスタンスができてきた気がする。
どういう姿勢で、どういう点を押さえて、何をどう提供するのか、関わるのか。
自分自身の生活についても
今後何を大事にしながら
優先順位をつけて
何に対してどう動くか。
ちょっとずつ、こうかな、ああかなと思いながら
やっていけている。
振り返りの時期なので、
気になっていたところに
手をつけてみようかな。
気持ちの中で残っていた思い
自分の中で収めてしまおうと思っていた思い
ここに少し向き合ってみようかな、
なんてことを子どもの卒業を迎えて
あらためて思う今日このごろなのでした。
庭の梅が満開に咲く3月のこの佳き日に、
徒然なるままに
パソコンにむかい
ブログでつぶやく。
いとおかし。
子どもの存在って
かけがえがなくて
愛おしいと
あらためて
思う。
春3月。