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恋瀬小探訪㊾〜恋瀬小版「歴史秘話 ヒストリア」特番;古尾谷氏を追ってE [2020年11月22日(Sun)]
休日特番;古尾谷氏を追ってE

ここから、少々マニアックになっていきます。
それでもお付き合いいただければ幸いです。(ちょっと長くなります)

筆者、「歴史」は大の苦手、学生時代のトラウマから抜け出せず、
「歴史」は避けて通ってきたのですが、なぜか今、目覚めたように
どっぷりと歴史の世界に浸っています。

次の2つの資料は、11月08日付け
恋瀬小探訪㊻〜恋瀬小版「歴史秘話 ヒストリア」特番;古尾谷氏を追ってC に
一時掲載されたものです。(のちに、掲載削除したものです)

DSC_1024 (002).jpg(タップすると鮮明に、以下同様)

DSC_1026 (002).jpg

これらは、秋田県公文書館より、本校のHP(ブログ)上での公開が許された
「秋田藩家蔵文書」の表紙と目次です。
この2つは、昭和3年(1928年)に※樋口九三氏によって、
作成された(付け加えられた)ものと推察します。
(※茨城県立歴史館のHP上の解説にある「宇都宮市の樋口久三氏が編纂」
 とあるが、「久三」は「九三」の誤りか)
秋田県公文書館が次のように解説している。
http://da.apl.pref.akita.jp/koubun/item/00010005/ref-C-123353

氏治→古尾谷2_1050 (002).jpg氏治→古尾谷@DSC_1390 (002).jpg
(原本;秋田県公文書館所蔵、その写;茨城県立歴史館所蔵)

まずは、小田氏治氏から、古尾谷彦四郎氏への書状です。
この意味(内容)が気になります。
この解読(対訳)を引き受けてくださったのが、
石岡市文化振興課のTさんです。
Tさんのことは、のちに記すとして、まずは、Tさんが作成してくださった
対訳を示します。

対訳小田→古尾谷 .jpg

とても見やすく編集してくださいました。(ありがたいです!)

この意味も教えていただきました。
「小田氏治(小田氏15代当主)書状で、
1549年に常陸国中郡荘(岩瀬町の辺り)にあった福田郷の支配を認める
文書か」ということです。
この「中郡荘」は、旧協和町、旧大和村付近と「埼玉県苗字辞典」にもあります。

小田氏と古尾谷氏の主従関係がわかります。
Tさんによると、「対訳」の中にある「成敗」とは、
今で言う、何かを成敗するという意味ではなく、
「土地を治める」という意味があったということです。(勉強になります!)

そして、この小田氏治という武将が気になります。

小田氏治.jpg
(Wikipediaより 右参照)https://ja.wikipedia.org/wiki/小田氏治

実は、小田氏を最後の武将(つまり小田氏を滅ぼしてしまった最後の代)です。
調べていくと「日本一、戦の下手な武将」と揶揄されていました。
それでも「農民から慕われていた」とありますから、人間味があります。
明日も、休日(巷では「我慢の3連休」?)ですので、ちょっと寄り道をして
この人間にあふれる小田氏治にも触れてみたいと思います。(つづく)
この記事のURL
https://blog.canpan.info/koise/archive/403
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