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モンゴルのろう者の実情を報告 ケニアのギャローデット元奨学生 [2008年08月29日(Fri)]


講演するニクソン・カキリさん

日本財団は、ろう者のための視覚的なコミュニケーション環境が整った教養課程大学として知られる米国・ワシントンのギャローデット大学で1996年から「世界聴覚障害者リーダーシッププログラム基金」という奨学金制度を設けている。極めて優秀な学生が対象で、帰国後は自国でろう者の社会活動のために指導的役割を果している。この制度を利用して2003年に卒業したケニア人奨学生がこのほど来日、世界銀行東京事務所が開いたセミナーで最近のモンゴルでの活動について報告した。

来日したのは、ボランティアを多くの国に派遣している国際NGOのVolunteer Service Organization(以下VSO)から、障害者分野の専門家としてモンゴルに派遣されたニクソン・カキリさん(32才)。2005年に続いて2回目の来日だ。19日夕の「障害と開発」に関するセミナーに出席したニクソンさんはモンゴルでの苦労話を含め、モンゴル社会でろう者がどのように生活ぶりをしているかなど、その実態を語った。(写真左:日本財団を訪問し、報告を書く)

アフリカの国の国籍を持つろう者がVSOから派遣されたのはカキリさんが初めてだ。モンゴルに入ったカキリさんはまず、手話通訳者の手配を要請し、障害者のメインストリーミング(障害をもつ人々やお年寄りなど弱い立場の人々とともに歩み、社会の本流に導き入れるよう支援する運動のこと)を進めた。さらに業務上必要となるモンゴル手話を勉強し、モンゴルのろう社会に積極的にかかわるように努めているという。モンゴルでは障害者の社会保障に関する法律や労働法は制定されているが、その存在を知る障害者は少なく、健常者との格差は依然大きい。ニクソンさんは、モンゴルとアメリカのろう者のテレビ会議を開き、アメリカ手話の研修や障害者団体への啓発も積極的に行った。(写真右:講演は手話通訳で行われた)

モンゴルと出身国ケニアの大きな違いは、モンゴルが長く続いた社会主義の影響で、NGOなどの市民団体の活動があまり発展していない点であるとカキリさんは指摘した。モンゴルでの任期終了後は、ケニアに戻って政府機関への就職を希望しているという。この日のセミナーは参加者の半数以上がろう者で、アメリカ手話通訳者、日本手話通訳者によって逐次通訳が行われた。カキリさんを通じてこれまであまり知られていなかったモンゴルのろう者の実情が明らかになったといえる。

ギャローデット大学は1864年に設立されたろう者のための「国立聾唖大学」が前身。後に現在の名前になり、9代目の学長はろう者のロバート・R・ダビラ博士。(上野 貴子)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 11:59 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
笑顔で舞台を楽しむ 10回目の全国子ども民俗芸能大会 [2008年08月29日(Fri)]


子どもたちの民俗芸能演舞の映像(2:29秒)
 

日本各地に伝わる民俗芸能の素晴らしさと楽しさを味わってもらおうと、23、24の両日、東京の日本青年館で「全国子ども民俗芸能大会」が開かれた。今回は第10回の記念大会で、色彩豊かな伝統衣装に身を包んだ子どもたちが笑顔で伝統芸能を演じ、会場から大きな拍手が続いた。社団法人全日本郷土芸能協会が1999年から毎年実施、2001年から日本財団の助成を受けている。今年は全国の55団体から選考された8団体の総勢約150人が参加した。(写真:富山県氷見市の氷見網起し木遣りを演じる子どもたち)

初日23日の民俗芸能の発表に出場したのは、北は青森県八戸市の高館駒踊保存会から南の福岡県柳川市の舟舞台囃子保存会などで、いずれも子どもとは思えぬほどの高い技術力と舞台を楽しむ姿勢が観客の共感を呼んだ。(写真:演技後の奈良県曽爾村の中学生)

このうち小田原囃子多古保存会の子供たちは、鮮やかな青色のはっぴを着て小田原市内内扇町の白山神社に伝わる小田原囃子を披露した。舞台が終わると「緊張はしなかったし、楽しかった。練習はたくさんしました」と口々に話し、多くの練習に裏付けられた自信と舞台を成功させた満足感が表情に表れていた。小田原囃子を始めたのはひょんなきっかっけが多かったようだ。「親に参加するよう言われ」あるいは「参加すればお菓子をもらえるって言われた」といった程度の動機だ。しかし今では週2回の練習に励み、その楽しさに魅了されている。また、小田原囃子多古保存会には兄弟のメンバーも少なくなく、民俗芸能は地域や世代だけでなく家族の絆を結ぶのにも一役買っている。(写真:小田原囃子のメンバー)

大会には2006年度から毎年在日の外国人たちの団体も特別出演しており、今回は滋賀県大津市の日本・ペルー文化実行委員会の子どもたちがペルーの民族舞踊を披露した。独特のリズムと軽快なダンスは、会場の雰囲気を一層和ませた。(写真:ペルーの民俗舞踊)

フィナーレで出演者全員が音楽に合わせてステージに上がると、会場は大きな拍手に包まれ、出演した子どもたちは「また出たい!」と元気よく話していた。               

翌日の24日は「豊かな心を育む文化」をテーマに「伝統文化伝承セミナー」が開かれた。学校や地域で民俗芸能に取り組む子どもたちの事例発表があり、参加者は学校教育と民俗芸能の伝承活動とのかかわりについて探った。このほか「民俗芸能で広がる子どもの世界〜豊かな心を育む文化を次世代へ」をテーマに、教育関係者を対象としたパネル・ディスカッションが行われた。大会は民俗芸能を楽しむだけでなく、学校教育にどう生かされるのか、民俗芸能を次世代に継承する意義は何かなどについて考える格好の機会となった。(写真:島根県益田市の石見神楽を演じる少年)
(高橋 里也子)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 08:30 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
技術だけではなく心の教育を 小沼さん再びインドネシアに [2008年08月28日(Thu)]


車両整備技術者の小沼さん

「長年お世話になった海外に恩返しをしたい」。そんな想いを胸に今年11月、1人のシニアボランティアインドネシアの首都ジャカルタへと飛び立つ。車両整備の技術者である埼玉県在住の小沼守さん(63)だ。東京の技能ボランティア海外派遣協会(NISVA)から派遣され、2回目のジャカルタでボランティアの仕事をするという。NISVAは、日本財団の支援でアジアの途上国にシニアボランティアを送り出している。この活動は、団塊世代に新たな生きがいを提供する場の魁になっている。

小沼さんは、2007年11月30日から今年5月26日までジャカルタのバス会社「SINAR JAYA」でボランティア活動をしてきた。240人近い現地従業員を相手に、主に整備技術の向上や路上故障の削減に関する指導に当たった。「SINAR JAYA」は1050台のバスを保有し、インドネシアで第3位を誇る。小沼さんは現役時代、日野自動車に勤務した。20歳からアジアを中心に各国で運行管理や整備業務を担当し、インドネシアには9年6ヵ月の滞在経験がある。そのため現地の食生活には慣れ親しんでおり、生活面でも得意のインドネシア語と英語を使い分け、不自由することはなかった。(写真:「SINAR JAYA」の従業員と小沼さん)

「SINAR JAYA」がジャカルタから中部まで運行しているジャワ島は、人口約1億人で、バスが交通手段の中心だ。そのためバス会社同士の客の奪い合いは熾烈で、停留所近くになると乗客獲得のためバスが猛スピードで抜き合うことも。当然事故も絶えず、日本では年間15%程度のバスの路上故障率が、インドネシアでは90%にも及ぶという。小沼さんの運行管理の知識・整備技術へのニーズの高さがうかがえる。

実際に指導を始めて気付いたのは、技術以前に職場環境そのものの改善の必要性だったという。乱雑な環境でどれだけ車両整備の改善活動を行っても従業員の意識高揚に繋がるはずがないと感じたからだ。そこで小沼さんが掲げたのが「3S活動」。3S(整理、整頓、清掃)をモットーに、週に一時間、全社挙げての清掃活動を実施した。時間はかかったが、職場環境は改善され、従業員の意識も変わっていった。(写真:従業員による清掃活動の様子)

技術のみならず整備業務に携わる者としての「姿勢」も指導した。「70歳ぐらいまではこのまま海外のボランティア活動に携わりたい」と志は高い。11月の再訪で小沼さんが定着させようとしているのは、技術だけではなく、「心」。「心の定着がなければ、どれだけ指導をしても、それが根付くことはない」という。前回よりも長い、2年間という時間をかけて、インドネシアの人に技術と心を定着させることを目標にする。インドネシアが大好きという小沼さんは、11月の出発が待ち遠しいようで、日に焼けた顔に笑みを絶やさず、質問に答えてくれた。(金成 恵梨)

*インタビュー動画はこちら(1:44秒)

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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 08:55 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
黒潮を越えて 高校生らが研究船で海を学ぶ [2008年08月27日(Wed)]


黒潮を越えて 高校生らが研究船で海を学ぶ


財団法人・日本科学協会が駿河湾沖で実施する高校生の海洋科学体験研修「研究船で海を学ぼう」が、今年も東海大学の大型研究船「望星丸」に乗り組んで実施された。全国から応募した高校生64人と高校教諭ら14人が参加、陸上での合宿研修も含め、5泊6日の体験学習を行った。(写真左:夜は海洋生物の観察チャンス)

今年で3回目となる海洋研修は8月3日、静岡市の東海大学清水校舎に集合して始まった。参加したのは、北海道や鹿児島県奄美大島などから作文審査に応募・合格した高校生らで、78人のうち33人が女性。海洋に関心の深い参加者たちだけに、みんなワクワクした表情で清水港にやって来た。

4日に望星丸に乗船、2泊3日の外洋航海に出発した。船上では気象・海象の観測、発泡スチロールや野菜を使った水圧実験、プランクトンの採取・観察など、研究船でなければできない実験にたくさん挑戦した。船上では東海大学海洋学部の学生・大学院生がチューター役を務め、高校生にも体験させながらスケージュールを進めて行った。(写真右:朝の甲板清掃は全員参加)

駿河湾から外洋に出た望星丸は黒潮を突っ切り、北緯32度付近まで南下した。今年は天候に恵まれ、帰路の黒潮上では太平洋に横たわる《天の川》が眺められた。航海中、軽い船酔いを訴える子供たちもいたものの、ボリュームたっぷりの船内食を楽しみ、全員元気に航海を終えた。

今回の新機軸として、研修初日に「サイエンス・カフェ」が組み込まれた。参加者を10班に分け、それぞれが担当の大学教授らを囲んで海洋科学についてディスカッションした。このことが2日目からの船上実験の理解を助け、グループごとに選択した研修テーマの取り組みに大きな効果を上げたようだ。(写真左:陸上研修でも各テーマに熱心に取り組んだ)

下船後は「海流と海上の大気」「表層から深層へ海水の役割り」「海洋生物の多様性」など、それぞれのテーマごとに採取データを分析、最終日の発表に臨んだ。発表準備に熱中する高校生たちは消灯時間ギリギリまで作業を続け、《海の不思議》に夢中になっていた。また高校教諭の参加者からは「授業に活かせる体験ができた」という声が聞かれた。

これまでの研修参加者からは、大学の海洋研究コースに進学した学生が何人もいて、この体験学習事業が日本の海洋研究の「卵」を育てる場になりつつある。毎年指導に当たっている角皆静夫・北海道大学名誉教授や加藤義久・東海大学海洋学部教授ら日本海洋学会の研究者たちは、「意欲的な若者が多く、指導し甲斐があります」と、日焼けした顔をほころばせていた。


東海大学の研修船「望星丸」(東海大学のテキストから)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:32 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
中学の先生2人も体験入学 競艇学校で1週間 [2008年08月26日(Tue)]


競艇用ボートの操縦を聞く研修生

プロの競艇選手養成する「やまと競艇学校」が、福岡県柳川市にある。このほど東京都と横浜市の教育委員会から日本財団へ出向中の中学校教師2人が体験入学、訓練生と寝食をともにし、厳しい規律に囲まれた生活を通して競艇選手の卵たちの生き方を学んだ。(写真:柳川市郊外のやまと競艇学校)

この2人は、東京都教育委員会から出向しているの鈴木薫さん(41歳)=葛飾区立奥戸中社会科教諭=と、横浜市教育委員会から出向している同八木範夫さん(47歳)=横浜市立東永谷中社会科教諭=。鈴木さんは海洋グループで小学生を対象にした進水式の公開事業を、八木さんは公益・ボランティア支援グループで親や家庭の教育力の向上を目指す「親学」関連の事業を担当している。日本財団が進める公益事業は競艇売上金の2.6%が財源となっており、新入職員は財団の活動基盤となる競艇事業を理解するために、この競艇学校で研修を受けるのが恒例だ。今回は2007年度入会の2人と2008年度入会の5人とともに教育委員会から出向中の2人が研修に参加した。(写真:左が鈴木さん、右が八木さん)

訓練生の1日は午前6時の起床から始まる。すぐに点呼・体操・ランニングと続き、その後清掃をしてから朝食となる。午前に2コマの座学、午後は教練や点呼練習と、ペアボートでの操縦訓練を行う。夜には再度清掃と点呼があり、午後10時に就寝する。3日目の座学では、元競艇選手で生涯獲得賞金が22億円を越えた植木通彦氏が講師となり「世間から好感を持たれる選手や関係者を育てることは、競艇業界にとって必ずプラスになる。やまと競艇学校はその原点」と語った。(写真:夢を語る深谷さん)
      
現在、在籍している訓練生は54人。そのうち2人から話を聞いた。「小柄な体形を生かして、全国のトップになりたい!」と語るのは、深谷知博さん(20)。高校で夢中になった剣道では果たせなかった日本一を、水上で目指す。門倉夢さん(20)は「10代最後に大きなチャレンジをして、人とは違う道に進もうと決めた」という。OLからの転身で「厳しい指導もすべて筋が通っているから辛くない」と笑顔で答えてくれた。(写真:人とは違う道を選んだ門倉さん)

研修を振り返って鈴木さんは、「目標が明確であればあるほど生徒は頑張っていけるもの。訓練生たちも、競艇選手になるんだという強い意志があるからこそ輝いているのだろう」と語った。また、八木さんは「この学校は単なる選手養成所ではなく、競艇業界の“人”を育てている場所だと実感した。」と述べた。

やまと競艇学校は4月と10月に訓練生が入学し、プロ選手を目指して1年間の全寮生活を送っている。高倍率の入学試験を突破した身体的にも精神的にも強靭な若者たちだ。現在10人が女性。9月には約半数が卒業し、勝負の世界へと漕ぎ出していく。(浅倉麻衣子)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:07 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
4カ月で1800作余応募 笹川杯作文コンクール  [2008年08月25日(Mon)]


応募作を整理する中国青年報職員


(財)日本科学協会が中国青年報社と協力して4月から募集している初の「笹川杯作文コンクール」への応募作が既に1800点を超え、6、7月の優秀作が青年報紙上と同社のwebに掲載されている。毎月3本の優秀作を選び、年末に最優秀作6本が決定される予定。「毒入りギョウザ事件」で注目を浴びる食品の安全に関連して、食に対する日本の消費者の厳しさが中国の生産技術を進歩させる、とする農業関係者の作品など、日中友好を前向きにとらえた作品が並んでいる。

作文コンクールは中国の若者に日本について考える機会を持ってもらうのが狙いで、日中平和条約締結30周年を記念した「日中青少年友好交流年事業」のひとつに位置付けられている。テーマは「私の目から見た中日青年交流」「私が知っている日本」。中国語で応募するのがミソで、年明けには最優秀作に選ばれた6人が日本に招待される。

6、7月の優秀作に選ばれた6本は、中国人と結婚して同じマンションに住む日本女性との心温まる交流を描いた新疆ウイグル自治区・胡芳さんの「お隣さんは、日本人」、日中青年交流を題材にした山西省太原市・趙春さんの「友情の種を蒔き、共に青春を」、山東省済南市・李虎さんの「中国の一農民から見た日本 見えざる大きな手に後押しされて」など6本。(写真:中国青年報に掲載された優秀作)

胡さんは作文の中で、買い物や料理を通じた交流で日本女性が「視覚でも味覚でも日本の美を味わわせてくれた」とした上、「私は日本人のお隣さんが好き」と結んでいる。また李さんは子どものころテレビで見た「一休さん」などアニメ、さらに成人して初めて買ったバイクを通じて日本を知った、と記した上、日本に農産物を輸出する立場から「日本人の輸入製品に対する厳格さ、入念さ、几帳面さを知らなければならない」と指摘。「こうした見えざる大きな手があるからこそ、農産物の品質に対する中国の生産者の認識が向上する」、「見えざる手は善良、友好的で親切な大きな手である」としている。

コンクールでは、これとは別に人民中国雑誌社と科学協会が共同で日本語作文を募集しており、10月に締め切られる。優勝作品2点が雑誌「人民中国」と同社のwebに掲載されるほか、中国語作品と同様、筆者が日本に招待される。(宮崎正)
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「ロシアに支援された分離派が仕掛けた」 グルジア大使、緊急講演 [2008年08月22日(Fri)]


イワネ・マチャワリヤニ駐日グルジア大使

ロシアとグルジアの軍事衝突を受けた緊急講演会が8月20日午後、笹川平和財団の主催で開かれ、急きょ本国から帰任したイワネ・マチャワリヤニ駐日グルジア大使が衝突に至る経過やロシアの動きについて報告。グルジア軍が南オセチアに進攻したのが衝突の発端とされる点について「ロシアに支援された分離派(独立派)が先に仕掛けた」と否定するとともに、「ロシアは今回の戦争で西欧の反応を見ている。問題なしとなれば、さらにウクライナ、アゼルバイジャン、中央アジアへと矛先を向ける」と指摘した。

マ大使は今年2月、グルジアの初代駐日大使として赴任し、7月、同じ笹川平和財団でグルジア情勢について講演したばかり。軍事衝突が始まった8月6日は帰国中で、19日に帰任した。演題は「南オセチアを巡るロシア・グルジア関係の行方」。国際的な注目が集まるテーマだけに関心も高く、日本財団ビル2階の会場にはマスコミや各国大使館関係者も含め150人が詰め掛けた。

講演でマ大使はまず軍事衝突直前の情勢について「ロシアは南オセチアの併合を目指して分離派のマイノリティー(オセット人)にパスポートを与え支援する一方、露骨にマジョリティー(グルジア人)の追い出しを進めていた」、「『大量のロシア軍戦車が北オセチアから南オセチアに向かっている』との米軍情報を受け、グルジア軍が南オセチアに進攻することになった」と説明。「現在の国境線はソ連崩壊後、国際的に認められている。南オセチアはグルジアの領土」として、グルジア軍進攻の正当性を強調した。(写真:緊急講演の様子)

その上でメドベージェフ露大統領がサルコジ仏大統領に約束した8月22日までのロシア軍撤退に関しては「ロシアは戦車を引き上げるどころか強化している」と悲観的見通しを披露。軍事衝突によるグルジア人の犠牲に関しては「多くの地域がロシア軍に占領されており、詳しい状況が把握できていない」とする一方、「少なくとも12万人の難民が出ているのは間違いない」と説明した。

次いでグルジア政府の基本方針に言及。「ロシアのような大国を相手に軍事で解決を求めるのは自殺行為。ソ連崩壊から16年間、一貫して平和的解決を目指してきた。すぐ隣のソチで2014年に開催される冬季五輪の準備にも全面協力する用意がある」と強調。プーチン首相は「親欧米路線をとるグルジアのサーカシビリ政権の転覆と経済の破壊を目指している」「今回の衝突は明らかにロシアの侵略行為」と指摘し、「引き続き関心を持って情勢を見守ってほしい」と訴えた。併せて日本政府に対しても、復興プロジェクトへの支援などを求めた。(写真:会場には多数の聴衆がつめかけた)(宮崎正)

動画はこちら(時間:4分19秒)
タイトル:グルジア駐日大使がロシアとの軍事衝突について報告。
Georgian ambassador to Japan Ivane Matchavariani spoke about the conflict beween Russia and Georgia.

(注)今回は英語のみでの動画配信となっております。どうぞご了承ください。

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コンゴ民主共和国訪問 ハンセン病制圧を祝う [2008年08月22日(Fri)]


モバの飛行場で出迎える住民たち

日本財団笹川陽平会長はWHO(世界保健機関)がハンセン病制圧の目標とする「人口1万当たり患者1人未満」を昨年末に達成したコンゴ民主共和国(旧ザイール、以下DRコンゴ)を8月12日から5日間訪問、WHOのハンセン病制圧特別大使としてお祝いを伝えるとともにハンセン病対策の現場などを視察した。

DRコンゴは、現在も国内の一部で内戦が続き、道路などインフラの整備が大幅に遅れているほか、狩猟採集民が熱帯森林に広く分散して住むため患者の発見や治療が難しく、WHOやNGO関係者の努力の結果2007年末、国全体の有病率が人口1万人当たり0.97人とようやく制圧目標を達成した。

首都キンシャサにあるWHO事務所を訪れた笹川会長は、ヨコーデ代表らスタッフに制圧のお祝いを述べるとともに、6月の国連人権理事会でハンセン病患者・回復者に対する差別撤廃決議が可決されたことを報告、「回復者の社会復帰への戦いは困難な道のりだが、決議により第一歩が踏み出された。今後は病気を治すだけでなく、どう社会復帰を実現するか、工夫が必要になる」と、一層の努力を求めた。これに対しカプト保健大臣は「ハンセン病と差別の撲滅を目指し、ともに努力したい。撲滅はわが国の義務だと考えている」とDRコンゴ政府として引き続きハンセン病対策に取り組む強い決意を示した。

         
       

       
  WHOヨコーデ代表           カプト保健大臣に制圧記念盾を贈呈
  

国全体では目標が達成されたものの11州あるうちのカタンガ、オリエンタル、イクエーター、バンドゥンドゥーの4州では現在も高い有病率となっており、笹川会長はこのうちのカタンガ州・モバ地域の患者・回復者が住むムルングジ村を視察した。この地域を管轄するヘルスセンターによると、周辺に住む約14,000人を対象に調査した結果、1万人当たりの患者は25人。極めて高い数字で、薬やスタッフ不足が指摘されているが原因は不明。近く保健省やNGO、アメリカの研究者が共同で詳しい調査を行うという。(写真:ムルングジ村の村民たちと笹川会長)

一方、地域のモバ病院には入院施設も備えられている。しかし、ハンセン病患者は外来のみで、ハンセン病の患者・回復者が病院の本館から少し離れた場所に集団で住んでいる。「病気は治ったが村に帰ることができず、ここで暮らすことを余儀なくされている」と現在も厳しい差別に直面している実態を語った。(写真:モバ病院の離れで暮すハンセン病回復者)

ハンセン病は1980年代に確立された多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療法の普及で「治る病気」となり、DRコンゴの制圧で、未制圧国はネパールとブラジルの2カ国まで減少している。(富永夏子)



*動画はコチラ(2:37秒)

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駒ヶ根の魅力を絵札に込め 中学生が郷土かるたづくり [2008年08月21日(Thu)]


郷土の魅力を絵札に描く中学生たち

長野県駒ケ根市の中学生が、夏休み中の一日を「郷土かるた」の絵札制作に取り組んだ。駒ヶ根高原美術館が企画した「駒ヶ根創作かるたづくり」で、郷土の歴史や自然の美しさをかるたに読み込み、子供たちが駒ヶ根の素晴らしさを心に刻むきっかけを作ろうという試みだ。中学生たちは「あ」から「ん」まで47枚の絵札の担当を決め、読み句から浮かぶイメージを奔放に描いて行った。(写真:参考用の写真などで読み句のイメージを固める)

8月11日、美術館のワークショップに参加したのは赤穂中学校の美術部員と東中学校の創作部員21人。会場には、絵札のイメージづくりを助けるために読み句に関連した風景写真や資料が展示され、両校の美術教諭と市内在住のプロ作家二人が、アドバイザーとして絵札づくりを手助けした。 

読み句は市の公民館活動「ことばの表現教室」が選定した47句で、「アルプスにまちの息吹がこだまする」「光前寺しだれ桜は紅の滝」「名物のソースかつ丼味じまん」といった具合。子供たちは句の元となった伝説や歴史解説を聞き、それぞれ大学ノート大の用紙にクレヨンや水彩絵の具で取り組んだ。すぐに描き出す巧者もいればなかなか絵柄が決まらず悩む姿もあって、約2時間の制作時間は不足気味だった。(写真:美術部員だけあって、絵筆さばきは鮮やか)

創作かるたづくりを企画した同美術館の松井君子副館長は「この土地に生まれ育ったことを、駒ヶ根の子供たちが誇りとして成長していってくれるよう、かるたづくりを考えました。創作することは、駒ヶ根の歴史や文化が醸し出す土地の《空気》を知ることにつながり、故郷に対する愛情を深めることになると期待しています」と、企画の狙いを語っていた。

「アルプスがふたつ映えるまち」がキャッチフレーズの駒ヶ根市は、天竜川沿いの上伊那地域に位置する街で人口は約3万5000人。西に中央アルプス、東に南アルプスを一望できる高原の街で、駒ヶ岳観光の拠点でもある。美しい自然に恵まれた土地ではあるが、子供たちの多くは成長するに連れ街を出て行くケースが多い。

松井副館長は出来上がった絵札を手に「どうですか、このできばえ! 子供の感覚って素晴らしいです。こうした子供たちが、将来、都会などへ羽ばたいて行くことは致し方ないことです。しかしそうしたときにも故郷を思い出し、素晴らしい郷土で育ったのだということが人生の励みになってほしい。そのために美術館は何ができるかを考えています」と、今後も様々なワークショップを企画して行く考えだ。(写真:完成作品をみんなで鑑賞(中央が松井副館長))

この日でき上がった絵札は、かるた大に圧縮して印刷し、「駒ヶ根創作かるた」として100組ほど制作される予定だ。この秋には箱に入れて完成し、絵札づくりに参加した中学生らにプレゼントされる。また美術館では原画展を開催し、この日の美術部員らの力作を市民に鑑賞してもらうことにしている。この活動は地域文化の継承事業として、日本財団が支援している。(写真:かるた作りのワークショップが開かれた駒ヶ根高原美術館)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:54 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(2)
海の恵み・海藻の特別展 鳥羽の海の博物館 [2008年08月20日(Wed)]


海藻展の会場

伊勢志摩国立公園に属する三重県志摩半島は、昔からワカメやヒジキなどの海藻類とのかかわりが深い地域といわれている。・志摩半島の突端にある「海の博物館」は、この海藻の全ぼうを紹介する「海からの恵み 海藻」特別展を7月12日から日本財団の支援で開催、夏休みの子どもたちでにぎわっている。海藻の幅広い用途を知った子どもたちは、海藻を使った「おしば作り」にも挑戦、楽しい時間を送っている。(写真:古代建築物を思わせる海の博物館)

海の博物館は、展示棟2棟、重要文化財収蔵庫3棟、体験学習館・特別展示室などから成り、古代の建築物を思わせる重厚な外観は日本文化デザイン賞や日本建築学会賞を受賞するなど個性的だ。体験学習館・特別展示室で開かれている「特別展」は、「海藻と日本人がどのようにかかわってきたか。海藻は最近どのように利用されているか。これからどうかかわっていくのか」をテーマに「日本人がさまざまな形で海藻に世話になっているというメッセージの意味がある」(平賀大蔵学芸員)という。(写真:企画展を担当する平賀さん)

展示された海藻に関する資料類は約300点。奈良時代の海藻の木簡や1年で2bに育ったマコンブ、2年で12bになったナガコンブ、ひじきの模様が入った着物の伊勢型紙、海藻から作った薬や化粧品、遺伝子鑑定に海藻が利用されている例など、展示室は海藻に関する資料がいっぱいで、海藻の用途の広さに驚く。このうち珍しいひじきの伊勢型紙は、三重県鈴鹿市文化課が保管していた江戸時代の着物の柄になるもので、この型紙を使った着物は見つからなかったという。ナガコンブは国立科学博物館から貸与されたもので、壁から天井まで伸びるその長さに、驚きの声を上げる入館者が多い。(写真:ひじきの伊勢型紙)

特別展示室の下の体験学習室では、海藻を使った「おしば作り」が体験できる。7月20日と21日の両日は、海藻のデザイン研究家の野田三千さんがおしば作り教室を開き、38人がハガキやシオリ作りを楽しんだ。今回の特別展について、平賀さんは「食用としての海藻は多くの可能性を秘めており、海中のCO2を減らす効果もある。海藻は今後の利用次第で食料、環境問題に寄与することを理解してもらえるのではないか」と話している。(写真:子どもたちが海藻で作ったおしば)

特別展は9月23日まで。期間中、休館日はない。海藻展の後は「海の漂着物」展を開催する予定だ。(石井克則)



動画はコチラ↓(時間:1分48秒)
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