展示された葉山丸
本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」にある風光明美な大三島(愛媛県今治市大三島町)は、ミカン栽培のほか国宝・重要文化財を所蔵する大山祇(おおやまずみ)神社(三島喜徳宮司)で知られる愛媛県最大の島だ。同神社に、昭和天皇が海洋生物の研究に使った「
葉山丸」を展示した「
大三島海事博物館」が併設されていることは意外に知られていない。葉山丸はなぜ、大三島に渡ったのだろうか。
葉山丸は長さ15.5b、幅4.2b、15dの木造船で、速さは8ノット。1934年(昭和9年)昭和天皇の「御採集船」として旧横須賀海軍工廠で建造された。昭和天皇は、当時の宮内省に創設された生物学研究所で陸では「粘菌」(変形菌ともいい、下等菌類の一群)、海では「ヒドロゾア」(ヒドロ虫ともいう刺胞動物の一種)という生物の研究を進め、御用邸のある神奈川県葉山の海で材料を採集する際に葉山丸に乗船されたという。昭和天皇がこの船を利用したのは6、7年で、太平洋戦争戦局の悪化により旧横須賀工廠が保管。さらに海軍に下賜になり江田島の海軍兵学校で生徒の訓練用に使われた。
終戦時、海軍は葉山丸を瀬戸内海屈指の大社である大山祇神社に奉納、保管を依頼した。その後進駐してきた英・豪軍が接収したが、接収解除されてからは海上保安庁の巡視艇として使われたほか、昭和天皇が葉山滞在中には再び御採集船の役割も果たした。1956年にその役割を終え、終戦時一時保管していたという縁で同神社に払い下げられた。
同神社はこの葉山丸や昭和天皇の生物学に関する著作を中心に展示する鉄筋コンクリート2階建ての海事博物館(延べ床面積762平米)を日本財団の助成で建設、1972年3月にオープンした。その後、1998年にはコロニアル葺きの屋根の修繕も
日本財団が支援した。博物館には葉山丸など昭和天皇ゆかりのもののほかに、四国の海に生息する魚介類や全国の鉱石、鉱物も展示している。これは同神社が「海と山の神」を祭っているためという。
海事博物館神武天皇の東征にさきがけて四国に渡った小千命(おちのみこと)が神の地と定めたのがこの神社の始まりといわれ、広大な敷地の神社には国宝、重文の指定を受けた武具類を保存した紫陽館、国宝館もある。三島宮司によると、海事博物館も含め、入館者は「しまなみ海道」オープン(1999年5月)直後には年間で70万人に達した。しかし、その後は観光ブームが終わった影響か、現在は年間で約7万人程度という。御用邸がある神奈川県葉山町から「うちに譲ってほしい」という要請が数回あったが、これまでの経緯もあって「手放す考えはない」と三島宮司は話している。
―――― ・ ――――
昭和天皇が生物学者であったことは、比較的有名だ。しかし、その研究に使われた船がどのような歴史をたどったのかは広くは知られていない。まして、四国に渡り、海事博物館に展示されているとは、不明にして今回まで全く私の知識の中にはなかった。いま、葉山丸は大山祇神社の一角で静かな余生を送っている。激動の昭和史を飾る貴重な資料として、葉山丸の存在を忘れてはならないと思う。訪問した当日は閑散としていた博物館だが、夏には臨海学校の子どもたちでにぎわうという。(I)