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若い者には負けないぞ シニア太鼓全国大会 [2006年12月26日(Tue)]

日本伝統の太鼓の技を競う第3回日本太鼓シニアコンクールがこのほど石川県白山市松任文化会館で開かれた。大会は財団法人日本太鼓連盟(塩見和子理事長)などが主催し、北は福島県、南は熊本県までの60歳以上の全国の腕自慢28個人・団体(うち女性2人)が参加し、円熟した技を披露した。

参加者のほとんどが伴奏者(太鼓や笛)との息もピッタリで、日ごろの稽古量の豊富さを思わせた。激戦の中から名人位(優勝)を獲得したのは初出場の愛知県代表、尾張新次郎太鼓保存会の安井富さん(63)=名古屋市=。座ったまま太鼓をたたく独特のスタイルのバチさばきが抜群に軽妙で、観客を惹きつけた。このほか準名人に6人、特別賞に4人が選ばれた。

安井さんは、20代から太鼓の稽古を始めた。近所に神楽館という施設があり、ここで稽古を続け、尾張新次郎太鼓の伝統の技を修得した。現在は、長く勤務したJAを退職し、神楽館で子どもたちを中心に太鼓を教えている。週3回は稽古をするという安井さんは「軽い気持ちで参加した。まさか優勝できるとは思わなかった」と喜びを話していた。

塩見理事長は大会の総評の中で「参加者は太鼓とともに人生を歩んできた人たちだけに混戦だった。だれが名人位に選ばれても不思議でなかった」と述べ、参加者の技量が均衡していたことを評価した。

日本太鼓連盟はこのコンクールを2004年からスタートさせ、毎年1回開催。このほか「日本太鼓全国フェスティバル」「日本太鼓ジュニアコンクール」「日本太鼓全国障害者大会」も主催し、太鼓の普及と発展のための事業を展開している。



(左)太鼓演奏の様子(右)優勝した安井富さんと伴奏者成田輝美さん
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 17:40 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
福祉車両2909台購入に助成  06年度分として日本財団 [2006年12月26日(Tue)]

 日本財団は、地域での社会福祉活動支援を目的に、全国の福祉関係の現場で活躍する「福祉車両」購入を助成している。2006年度分としては2908台分の購入に関し助成を決定した。助成額は総額42億161万円。この結果、1994年度に助成を始めて以来、累計の助成台数は1万7990台になる。助成総額は約298億2000万円に達する。

 日本財団は「車いす対応車」「訪問入浴車」「介護支援車」「送迎車」「送迎バス・保育所バス」などを購入する際にその費用を助成している。助成割合は1台当たり60-80%で残りは団体側が負担する。

 06年度については、6−7月に全国の福祉関係団体から5185台の購入について助成の申請があり、審査の結果56%に当たる2909台に決定した。内訳は「訪問入浴車」47台、「介護支援車」533台、「車いす対応車」1818台、「補助ステップ付き送迎車」362台、「送迎バス」107台、「保育所バス」42台で前年より825台の増になる。これらの車両は年度内に各施設に配備される。

 高齢化社会の急速な進行で福祉車両の必要性は年々高まっている。日本財団は利用者の要望に対応するため助成対象車両の多様化を図ってきており、助成を申請する団体は、活動内容に合った車種を選択できる。(I)


利用者の要望に応えた機器を備える
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 16:47 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(1)
一時停刊「氷点」前編集長講演 「イデオロギーは色あせた」 [2006年12月21日(Thu)]

 今年1月に起きた中国青年報付属紙「氷点週刊」の停刊事件で免職となった同紙前編集長・李大同氏が12月19日、東京都港区の日本財団ビルで講演。「イデオロギーが色あせ、信用されなくなっている。党の宣伝を担う政府系の新聞や雑誌はもはや相手にされない」などと中国メディアの現状を語った。

 講演会は東京財団の主催。「中国でモノを言う人が増えてきた」のタイトルが付けられ、マスコミ関係者や中国研究者、学生ら約150人が出席、講演後も活発な質疑が行われた。

 停刊事件は氷点週刊が1月、「現代化と中国の歴史教科書」と題する中山大学・袁偉時教授の論文を掲載、中国の歴史教科書にも多くの誤りがあると指摘したことから発行を停止され「言論の自由に対する弾圧」として各国からも注目された。

 氷点はその後、「政府に影響を持つ人も含めた幅広い抗議」(李氏)もあって3月に復刊、この経過をまとめた李氏の「『氷点』復刊の舞台裏 問われる中国の言論の自由」などが世界に先駆けて日本で発刊され、この日の講演会となった。

 李氏は講演の中で「強者による政治は終わった。党の宣伝による統治は力を持たない」「猛烈な競走の中で各地の都市新聞が力を付けている。党の宣伝を担ってきた政府系の新聞や雑誌は党の関係者さえ読まず、報道の自由が認められれば倒れる」とも語った。(M)


中国メディアの現状を語る李大同氏
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:03 | 国際 | この記事のURL | コメント(1)
虎ノ門DOJO(道場)が閉幕  [2006年12月13日(Wed)]

 今の日本が抱えているさまざまな問題について議論するため、東京財団が2001年10月から週1回開催してきた「虎ノ門DOJO(道場)」は、12月12日(火)の258回目で最終回を迎えた。閉幕を惜しむ声も多いが、スタートして5年が経過したため今回で一応の区切りをつけることになった。

 最終回のDOJOには250人以上が集まり、日本財団ビル(港区)で日下公人DOJO主(前東京財団会長)が「思想から見た世界の動き」と題して講演。「来年はいろいろな面で大崩壊が予測される。それを防ぐには新しい政策研究が大事だ。そのためには小規模集団で自由な討論を行い、具体的なアクションを起こすことが必要だ」などと、来年の展望と対応策について語った。

 虎ノ門DOJOは政治、経済、外交、教育、社会など多様な問題をテーマに講演やパネルディスカッションを行い、その後講師と参加者との間で議論を重ねてきた。不審船事件や朝鮮半島情勢など硬派の話題だけでなく、講談師の宝井馬琴さんや格闘技・K1の初代グランプリ王者のブランコ・シカティックさんらを講師に迎えたこともある。

 東京財団は、これまでの講演やパネルディスカッションをまとめ「新しい日本の安全保障を考える」など16冊の本を出版している。同財団は、新しい企画を立ち上げるかどうか検討を進めている。(I)



最後の「虎ノ門DOJO」で講演する日下公人氏
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 14:09 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
中国からの医学研究者が交流 日本財団で「同窓会」 [2006年12月11日(Mon)]

 日中笹川医学奨学制度で中国から来日し、研究に従事した医療関係者らが12月8日、東京・赤坂の日本財団に集まり、日中笹川医学研究者在日経験者連絡会(韓晶岩会長ら会員約100人)主催による連絡会議と同窓会を開いた。この日、集まったのは、日本での研究終了後、一度中国に帰国したが、再び日本での研究や勤務のために来日した元奨学生ら42人を含む約60人。

 午後6時半から開かれた会議では、笹川陽平日本財団会長が「このような連絡会ができたことは本当に喜ばしい。これからの時代、志を同じくして勉強に励んだ方やそれを支えた方々のネットワークをつくるのは大きな財産だ。日中笹川医学生奨学制度は来年が20周年になるので、元奨学生の方々に人民大会堂に集まっていただき盛大にお祝いをしたいものだと思っている」と激励のあいさつをした。
  続いて、在日中国大使館の干淑媛総領事が「安倍首相の訪中で日中関係が改善されつつあるが、皆さんも両国の関係回復に努力してほしい」と日中友好への思いを述べた。
 
 さらに研修生らのネットワークづくりを中心にした活動報告があり、来年度の活動方針として@研修生相談窓口の設立A中国での学術交流B日本語による留学感想文集の出版−の3点の提案があった。会議の後、引き続き懇親会があり、会員らが近況を語りあった。

 日中笹川医学奨学生制度は第二次天安門事件(1989年)直前の、中国の政情が不安定だった1987年から、中国衛生部、(財)笹川記念保健協力財団、(財)日中医学協会の協力によりスタート。毎年中国から100人の医学生を招聘し、1年間日本の研究機関で研修する制度で、これまでに約1900人が日本に留学した。

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◆コメント◆
 エイズに続き、新型肺炎(SARS)、鳥ウイルスなど、人類が克服すべきウイルスが介在する未知の病気が次々に出現する。こうした時代だからこそ国際協力がいかに大事であるかを痛感するのだ。医学の道に国境はないはずだ。この制度で学んだ研究者たちが、日中両国の架け橋になり、共通の難敵に挑戦し、それらを克服してほしいと思う。(I)



笹川陽平会長(中央右)と日中笹川医学研究者在日経験者連絡会メンバー
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 18:01 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
船長、子どもたちに海と船を語る 岩手県で初の開催 [2006年12月08日(Fri)]

 ベテランの船長や船長経験者が、子どもたちを相手に船長の仕事ぶりや海について、体験談を語る講演会が12月7日午後、岩手県では初めて久慈市立三崎中学校(久慈市宇部町)で開かれた。
 日本船長協会が日本財団の助成を受けて2000年から続けており、これまでに27都道府県で45回開催し、約1万400人の子どもたちが船長さんの話を聞いている。

 三崎中学校で開かれた46回目の講演には、生徒69人と保護者・学校関係者ら計約100人が集まった。講師は船長協会技術顧問の池上武男氏。山下新日本汽船に航海士として入社、ニューヨーク支店の駐在船長を4年間務めた経験がある池上氏は「子どものころから外国に行きたいという夢を持ち、そのために船員になった」、「オーストラリアからフィンランドまでの初航海が思い出に残っている」などと話し、さらに船の構造や航海についてもスライドを使って分かりやすく説明した。

マレーシア沖のマラッカ海峡で頻発している海賊被害にも話が及んだ。保護者の多くが漁業など海関係の仕事に従事しているだけに、生徒たちも池上氏の話に熱心に聞き入っていた。生徒たちや保護者から「船長になった時の気持ちは」や「船はなぜ浮かぶのか」という質問も出た。

 最後に池上氏は「夢を実現するよう体を鍛え、努力してください」と、生徒たちにエールを送った。
次回の「船長、海と船を語る」は今月19日に、福井県越前町で開催する予定。

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◆コメント◆
 今回は母校ではなかったが、船長経験者が自分の母校に行って後輩たちに話をすることもある。NHKテレビで有名人が母校で一日先生となり、後輩たちを指導する「課外授業 ようこそ先輩」という番組があり、子どもたちが目を輝かせて授業を受けるシーンが印象に残っている。人生の大先輩の話は、子どもたちに大きな夢を与えるのではないだろうか。岩手県久慈市は柔道家、故三船久蔵の出身地と知られ、山あり、海ありの自然に恵まれた土地だ。将来、この日、講演を聞いた子どもたちの何人が海とかかわる仕事をするようになるだろうか、楽しみである。(I)



船長としての体験談を語る池上武男氏(写真:久慈市立三崎中学校提供)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:47 | 海と船 | この記事のURL | コメント(3)
アジアで最後の未制圧国 〜ネパール・ハンセン病〜 [2006年12月07日(Thu)]

ネパールはアジアで唯一残るハンセン病未制圧国である。残る世界の未制圧国はネパールの他に、ブラジルタンザニアモザンビークコンゴ民主主義共和国の5カ国。

現在、ネパールのハンセン病患者数は1万人あたり1.65人まで下がっており、WHOが制圧基準とする人口1万人に1人以下になるまであと少し。2007年には制圧できる見込みである。11月末、WHOハンセン病制圧特別大使を務める日本財団の笹川陽平会長は、ネパールを訪問。病院や施設で働く医師や保健士などを激励し、彼らの声を国王、首相、保健大臣らの政治指導者に届け、彼らのハンセン病制圧活動への参加を促した。

また、同時にハンセン病に対する社会的差別と偏見をなくための活動を進めてなければならない。ハンセン病回復者は身体に障害が残るため、教育、仕事、結婚の機会を与えられず、社会から拒絶された生活を強いられている。そこで、日本財団はハンセン病回復者による組織、IDEAネパールを支援。このIDEAネパールは回復者自らが声をあげて一般社会の中で暮らしていくための活動を行っている。第三者が回復者に慈善の手を差し伸べるのではなく、回復者がその内側から外の社会に向かって働きかけることは大きな意味を持つ。今後の活動に期待したい。



ネパールで一番旧いハンセン病病院にて
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 16:35 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)