• もっと見る
« 2007年11月 | Main | 2008年01月»
New_facebook_blogmagazine.jpg 8f0j6k00000eugbl.jpg   ボランティア奮闘記.jpg   BLOGOSブロガー見た.jpg
Google
ブログマガジン WWW
最新記事
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新コメント
プロフィール

日本財団広報担当さんの画像
<< 2007年12月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
月別アーカイブ
https://blog.canpan.info/koho/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/koho/index2_0.xml
比残留日系2世を激励 早期の日本国籍取得を熱望 [2007年12月03日(Mon)]



フィリピン・ダバオ市内の様子

戦後、フィリピンに残された日系2世の日本国籍取得を支援する日本財団笹川陽平会長は11月25日、ダバオ市郊外に住む日系2世2人を訪問・激励した。日本人を父に生まれながら敗戦の混乱で日本国籍を取得できない「フィリピン残留2世」は戦後60年を経て老境を迎え、「生あるうちに日本人と認めてほしい」と訴えている。

訪問したのはダバオ市カリナン地区に住む「シナバラ ヒロコ」さん=フィリピン名フランシスカ・マラビリャス(76)=と「サカガワ トミコ」さん=同イレニア・オンゲイ(推定71)=。本人や2世を支援する「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(東京)によると、ヒロコさんは1931年、ダバオ市トリルで日本人男性とフィリピン人女性の長女として生まれた。。(写真:シナバラ ヒロコさん(左)とユスタキオさん)

7歳の時に父親が病死、母親も終戦後、子供を連れて山中を逃げ回るうち死亡し、写真など父親の身元を知る手掛かりを失った。残されたヒロコさんには父親が「バラさん」と呼ばれていた記憶しかなかったが、最近、ヒロコさんの洗礼証明書が教会で見つかり、父親の欄に「長崎出身のシナバー シナイス」の記載があることが分かった。

結婚歴はあるものの子どもはなく、3人いた弟も既に2人亡くなり、現在は近所に住む末弟のユスタキオさん(70)一家と暮らす。「日本人であることを隠すためフィリピン名を使ってきたが、父が日本人だから私も日本人とずっと思ってきた。早く日本戸籍がほしい」と言葉少なに語った。

一方、サカガワ トミコさんは1936年、5人兄弟の長女として大工をしていた日本人の父「サカガワ ミツヒロ」とバゴボ族の母の間に生まれた。ミツヒロさんは徴用で飛行場建設に従事していた戦中、米軍の爆撃で死亡。トミコさんは19歳で現地の男性と結婚し、8人の子宝に恵まれ、現在も多数の孫やひ孫に囲まれて暮らす。名前も日本語で書け、トミコさんが日本人の子であることを裏付ける知人ら複数の証言もある。。(写真:サカガワトミコさん)


父系主義を採った当時の戸籍法から2人が「日本人」であることは間違いないが、父親の戸籍の所在が未判明の現状で日本国籍を取得するのは難しい。このため新たに戸籍を作って日本国籍を取得する就籍の申し立てが進められており、10月、父親の身元が分からない2世2人が初めて東京家裁で就籍を認める審判を受けた。リーガルサポートセンターによると、トミコさん(8月申し立て)ら53人が現在、審判待ちとなっているほか、年内にさらに20人が同様の申し立てを行う予定だ。

(英文記事はコチラ
このエントリーをはてなブックマークに追加
ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:53 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
日本人社会と共生を フォーラムで意見交換 [2007年12月03日(Mon)]


会場からの質問に答える4人の講師たち

日本に住むペルー人らスペイン語圏出身者に対し、子どもの教育相談などの事業をしている特定非営利活動法人日本ペルー共生協会は、このほど日本財団の支援で“リーダーシップ コミュニティ 統合”をテーマに、「第3回教育フォーラム」を開いた。フォーラムには教育学、心理学、経済労働法、文化人類学の4人の専門家が出席、スペイン語圏からの在日外国人が日本人と共生する方法について語り合った。

日本ペルー共生協会は、2001年からスペイン語圏出身の中南米人らから様々な相談を受けており、特に日本の教育制度に関する情報提供などを行っている。教育フォーラムは2002年に始まり、今回が3回目。会場にはスペイン語圏の中南米人、日本の教育関係者ら約60人が集まった。               

フォーラムで高橋悦子副会長は、2006年度は受験に関する相談件数が最も多かったことに触れ、「日本の教育制度について子どもが通う学校からの情報がスペイン語(親の母語)で十分に提供されていないことが背景にある」と分析。「今後はスペイン語圏出身の親に対し、必要な教育情報をスペイン語で提供し、それを親子間で共有できるような支援体制を考える必要がある」と語った。(写真:日本ペルー共生協会の高橋副会長)

慶応大学の研究員で、日本財団が支援しているヤングリーダー奨学基金の奨学生でもあるマルセラ・イネス・メンデス・バスケスさんは、自身もアルゼンチン国籍でありながらメキシコに暮らしているという体験を基に「日本で既存の仕組みを変えることはなかなかできないが、何を日本社会に提供できるのかを考えなくてはいけない。変革のリーダーとなるには、自身の属しているコミュニティーについてよく知り、自国の大使館などをパートナーとして様々な権利を獲得し、それがすべての外国人コミュニティーに広がるよう努力していかなくてはならない」と指摘した。(写真:慶応大学の研究員 バスケスさん)

2006年12月末の統計によると、208万人の外国人登録者のうち、ペルー人は約5万8千人で、在日韓国・朝鮮人、中国人、ブラジル人、フィリピン人に次いで5番目と多い。他の外国人と同様、日本社会との“言語の壁”を越え、母国語が得意な親と日本語が得意な子供との間のコミュニケーション不足を克服し、町内会や学校のイベントに積極的に関わるなど、日本社会に主体的に参加するという意識を持つことが課題のようだ。(写真:会場の様子)

(英文記事はコチラ
このエントリーをはてなブックマークに追加
ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:11 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
| 次へ