【人】市民がつくる世界大会 支えた唐津の医師・藤原さん [2009年08月20日(Thu)]
大会実行委員として奔走し、すっかり日焼けした藤原さん 人口13万人規模の街が世界大会を誘致するには、なかなかの覚悟が必要であろう。佐賀県唐津市民はこの夏、見事にそれをやってのけた。世界42の国と地域から289選手が参加、唐津湾で17日間にわたる熱戦を展開した「2009レーザーラジアルヨット世界選手権大会」だ。《市民がつくる》を合言葉に足掛け4年、多くの市民ボランティアが準備に奔走、大会運営を支えた。 |
市内で開業する医師・藤原雄さん(45)もその一人。唐津の各方面の団体を結集して立ち上げた大会実行委員会の、当初からの実行委員として大会の裏方に徹して来た。大会本部が置かれた佐賀県ヨットハーバーの救護所で、体調を崩した選手たちの診察に当たったのはもちろん、遠来の選手らを歓迎するため「市民交流大懇親会」を企画、若者らと一緒になって知恵と汗を絞った。(写真:ヨットハーバーの売店など、市民ボランティアが大活躍した)
生粋の唐津っ子である藤原さん自身、ヨットを楽しむ海の男だから、唐津湾がヨット競技に適していることには絶対の自信がある。しかしヨット大会の難しいところは、コースが湾の沖合いで行われるため、海岸からレースを観戦できないことだ。このため市民から「どこで大会をやっているのか分からない」といった声が上がったため、急きょ沿岸を周回するエキジビションレースを企画、多くの市民にスリリングなヨットレースを楽しんでもらった。 最も苦労したのは資金集め。大会費用は県や市の補助金だけでは到底足りず、ふるさと納税制度を活用した呼びかけや、市民からの寄付が期待された。しかし世界金融危機のあおりを受け、寄付金が思ったように集まらない。このため藤原さんたちは奔走し、大会開催ぎりぎりまで多くの業界団体にお願いして回った。この大会を機に全国に唐津をPRしようという当初の思惑は、資金不足のためにいささか消化不良になってしまった。 しかし唐津市民には「世界大会を成し遂げた」という財産が残った。それは唐津のボランティアパワーが、海外からの一流選手に「素晴らしいコンディションでレースを楽しめた」と喜んでもらえる力量を実証したことだ。街には自転車でヨットハーバーに向かう選手や、レストランで歓談する選手・家族ら、様々な肌の色のアスリートがあふれ、唐津はこの間、すっかり国際都市になった。(写真:唐津市民のもてなしを受け、遠来の選手・家族はすっかりリラックス) 市民ボランティアはレース関係からヨットハーバーの売店など、一日500人を超えた。大会期間中、延べ1万人近いボランティアが大会を支えたことになる。国際大会だから通訳は不可欠。唐津ボランティアガイドの田中丸昌子会長は、唐津市だけでなくその人脈を生かして福岡のプロ通訳者までボランティアでの協力を取り付け、89人の大通訳団を結成した。田中丸さんはヨットハーバーで終日、選手やそのコーチ・家族らに声をかけ、海外遠征の不自由さが解消できるよう心を砕いていた。(写真:体調を崩した選手を診察する藤原さん。中央は通訳の田中丸さん) 日本財団の助成で、この大会用に100艇のレーザーラジアル級ヨットが整備された。年間3000人がヨット教室を体験することが可能といわれる唐津湾は、今後これらのヨットを活用して「ヨットの唐津」の名をさらに高めて行くことだろう。すっかり日焼けした藤原さんは「唐津を元気にし、唐津の街と海を世界に認識して欲しくて大会を手伝ってきた。しかし1回の世界大会開催でそれらが成し遂げられるとは思わない。こうした活動を継続することで、社会全体を底上げする力につなげて行きたい」と語っている。【加藤春樹】 表彰式も市民ボランティアが支え、選手たちと交流を深めた |