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初の就籍不許可で抗告 フィリピン残留2世6人 [2009年03月27日(Fri)]


日本の歌などを披露し、就籍を訴えた記者会見の動画(1:36秒)

日本国籍の取得に向けフィリピン残留日本人2世6人が申し立てた就籍の審判が東京家裁で不許可(却下)となり、6人は3月24日、東京高裁に抗告するとともに、うち2人が急きょ来日、「父は日本人。早く日本国籍を認めてほしい」と訴えた。これまで身元未判明のフィリピン残留2世103人が東京家裁に就籍の申し立てを行い17人が認められているが、不許可決定は初めて。就籍事業を支援する日本財団笹川陽平会長は「2世は戦後60年を経てなお戦争の痛手を背負っている」と述べ、幅広い支援を訴えた。
就籍申し立てを却下されたのはフィリピン・ダバオ市に住む吉見コンスタンシア政江さん(75)、ネグロスオキシデンタル州在住の田中パセンシャサダコさん(81)ら6人。いずれも日本人の父親とフィリピン女性の子として生まれ、父系主義をとった当時の戸籍法から当然、日本国籍を持つ。しかし戦中・戦後の混乱で父親の戸籍や両親の結婚を裏付ける資料などが散逸、決定で東京家裁は「父親」が日本国籍を有していたことを裏付ける証拠がない、などとして申し立てを却下した。(写真:急きょ来日、会見に出た吉見さん)

24日夕、東京・赤坂の日本財団ビルで行われた記者会見にはフィリピンから駆けつけた吉見さんと田中さんが出席。「戦争で山の中に逃げ家族がバラバラになったが、今も漢字や数字が書ける」「大工だった父がいろんなものを作ってくれたのを記憶している」などと訴え、「愛国行進曲」など日本の歌も披露した。田中さんの関係では最近、日本人学校時代の友人が東京都内に住んでいることが判明、身元を裏付ける有力な手掛かりと期待されたが、高齢のため記憶が定かではなく、戦後60年を経た問題の深刻さが浮き彫りとなった。(写真:父の思い出を語る田中さん)

残留2世の大半は既に老境に達しており、新しい裏付け資料を発掘するのは困難な状況にある。一方で近年、フィリピン政府が当時を知る関係者の宣誓供述などを基に2世本人の出生や両親の婚姻について遅延登録手続きを進め、裁判所にも証拠として提出された。しかし決定は「採用できない」だけ述べ、中国残留孤児問題で中国政府が発行した孤児証明書のような効力は認めなかった。この点について代理人の一人青木秀茂弁護士は「東京家裁の決定はフィリピン政府の判断を信用できない、としたに等しい」と語った。(写真:日本財団での記者会見風景)(宮崎 正)


支援を訴える笹川会長
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:06 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
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