鈴木さんは、静岡県出身。子どもが好きという鈴木さんは、将来の夢として「保育士」(保育所や保育園で乳児から小学校就学までの幼児を保育する)を目指していた。その後児童虐待が社会問題になってきたため「母子相談員」(離婚や死別など何らかの理由で母子家庭になった人の現状を把握し、社会的自立に必要な相談や指導を行う)になりたいと思うようになり、社会福祉関係の大学に進んだ。同じサークルに愛知県半田市の
NPOふわりとかかわりを持つ先輩がいて、鈴木さんもいつしかふわりのボランティアとして自閉症の子どもたちと交流するようになる。社会福祉士の試験にも受かった鈴木さんは、卒業後ふわりに就職する。(写真:日本盲導犬訓練センターで日本財団の同僚と)
ふわりは、戸枝陽基理事長の強いリーダーシップでその後
社会福祉法人むそうに発展し、むそうグループは現在喫茶店、
ラーメン店など15事業を展開、多くの障害者が働いている。鈴木さんは戸枝さんが副代表を務めるNPO全国地域生活支援ネットワークに出向、さらに2006年8月からは日本財団にやってきた。財団では
障害者福祉や難病対策などに取り組む社会福祉法人、NPOへの助成に関する相談、審査、決済、進行管理を担当。年間で約100団体、在籍期間中で約250団体の助成にかかわった。(写真:助成先関係者との相談)
「仕事の内容は変わったが、目指す方向は近いので、財団に出向しても違和感はなかった。視野が広くなったと思う。来てよかった」と鈴木さん。思い出に残る仕事として財政が破たんした北海道
夕張市への福祉支援を担当したことを挙げる。これによって、若手の福祉関係者のネットワークができ、友人も増えた。そうした友人たちが30人も集まり、送別会を開いてくれたことを忘れることができないともいう。(写真:夕張支援で北海道を訪問)
日本財団には鈴木さんの後輩ともいえる若い職員が少なくない。後輩たちは、いつも笑顔を忘れず、ひた向きに仕事に取り組む鈴木さんに対し強い信頼感を持ったという。そうした後輩たちに対し「つらい時や仕事に対する不満を抱えることがあるかもしれない。でも、社会人としてサラリーをいただいていることをありがたいと思って、それらを克服してほしい」と、エールを送ってくれた。(石井克則)