父の国で涙の墓参 フリピン残留日系2世・外薗キクさん [2008年07月22日(Tue)]
父親の墓前で涙するキクさん 集団で一時帰国中のフィリピン残留日系2世の1人、外薗(ほかぞの)キクさん(63)=現地名グロリア・セキニア=が16日、父親の外薗秀雄さんの出身地、鹿児島市を訪れ親族と対面するとともに、亡父の墓参りをした。キクさんは戦後60年以上を経て初の日本訪問。墓前では秀雄さんに「私がここに来るまで生きていてほしかった」と語り掛け熱い涙を流した。 正午前に到着した鹿児島空港には秀雄さんの弟で叔父に当たる正見(マサミ)さん、従兄弟の善一さんが出迎えた。正見さんが「お父さんの故郷へよくきてくれた。会いたかった」と抱きしめると、キクさんは「皆さんと会えて夢のようです」と涙をぬぐった。空港内に設けられた会見場では、詰め掛けた報道陣を前に「(反日感情により)日本人ということで当時は本当に辛い思いをした。父の国、日本に来ることができ嬉しい」と語った。(写真:空港で親族と対面するキクさん) 次いで親族約20人とともに秀雄さんが眠る市内の墓地に。墓前に花と線香を供え「本当に死んでしまったのですね」と語り掛け、涙とともに手を合わせた後、「バイバイ、パパ」と声を掛け、別れを惜しむかのように墓石を振り返った。(写真:お墓へ向かうキクさんと親族) キクさんは、戦前、鹿児島からフィリピン・ダバオに渡った秀雄さんと現地の女性との間に生まれた。秀雄さんは足が不自由で洋裁店を開いていたが、キクさんが1歳の時に終戦となり収容所に入れられ、やがて日本に強制送還され、キクさんらと生き別れになった。今年になり日本財団の支援を受けた「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC、東京)の調査で20年前に鹿児島で亡くなった秀雄さんとの親子関係が確認された。(写真:お墓参りするキクさん) 17日に64歳の誕生日を迎えることから、正見さん宅で一足早いキクさんの誕生パーティーも開かれた。手作りの地元料理や「キクさん、ようこそ、お父さんの地へ」と飾り付けられたケーキを前に、集まった親族らがハッピーバースデーの歌を贈ると「今までで一番うれしい誕生日になった。みなさんありがとう」と感謝の言葉を述べた。18日には秀雄さんゆかりの地や温泉地などを親族と回り、水入らずの1日を楽しんだ。(写真:誕生パーティー)(菅原悟志) *キクさんと親族との対面やお墓参りなどの動画はこちら(1:49秒) |