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ザトウクジラの骨格掘り出す 宮崎の乙島で学習会 [2008年06月17日(Tue)]


掘り出したクジラについて説明を聞く小学生と保護者たち

宮崎県の無人島、乙島(門川町)で5月31日から2日間にわたって、埋設されていたザトウクジラの骨格を掘り出す作業が行われた。学習用資料として宮崎県立博物館で展示するためで、NPO宮崎くじら研究会(栗田壽男理事長)が日本財団の支援を受けて実施、作業終了後には地元の小学生と保護者を対象にしたクジラに関する学習会を開催した。骨格は来年3月から標本として展示される予定だ。

ザトウクジラはクジラの種類の中でも大型に入り、長くて大きな胸ビレと背中のこぶ状の隆起が特徴。歌を歌うクジラとしても知られている。今回掘り出されたクジラは、2005年2月28日、門川町沖合約8kmの枇榔(びろう)島付近で漂流しているのが見つかった。既に死んでおり、船舶航行の障害になることから門川漁港から船で約10分の無人島・乙島に埋設された。体長は8・7メートルとやや小さく、離乳した直後程度の若いクジラと推測された。外傷はなく、死因は不明だ。(写真:手作業で骨を掘り起こす)

掘り出し作業の初日は午前8時から始まり、同研究会会員、宮崎県立博物館、宮崎大学農学部の学生、門川町関係者など約25人が参加した。ポールや三角コーンなどを使って土を掘り出す範囲を決め、その後は重機と手作業で周囲を掘った。途中、海水が染み出し始めたため、海水を別の場所へ流しながら作業が進み、約2時間後、ようやく頭部が見え始めた。(写真:掘り出し作業が終わり並べられた骨格)

どぶのような悪臭が充満する中、黙々と手作業で掘り出しが続き、下顎2本と頭部を数人がかりで引っ張り出した。会員は「右下顎」などの名称を記した名札を骨に付ける。その後も重機を併用しながら肋骨、脊髄を続々と取り出し、午後3時過ぎにはほぼすべての骨格の掘り出しが終わった。今回掘り出したくじらは、一部の肉が付着していたものの骨の石灰化もなく、標本として十分使用できる状態だった。(写真:2005年に見つかったザトウクジラ(宮崎くじら研究会提供))

2日目は、午前10時から門川町の小学生、保護者約70人を集めて学習会を開き、掘り出しやクジラの骨格の説明があった。その後骨格の清掃作業を体験した。当初は臭いを嫌がっていた子供たちも泥が落ち白い骨が出てくるようになると真剣に洗い始め、清掃作業を見守った宮崎大学農学部の学生にクジラについて質問をしていた。この後、骨格はFRP製の容器に収められ、頭部は京都の専門業者が洗浄・加工を施し、その他の部位は宮崎県立博物館に運ばれ、それぞれ標本に仕上げられる。(写真:骨の清掃作業をする子ども)(中村真美子)


*動画はコチラ( 1:17秒)

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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:24 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
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