初めて白い花が咲いた 障害者たちが働く新潟のオリーブ畑 [2013年06月24日(Mon)]
初めて花が咲いたオリーブ畑に立つ橋元さん父子 オリーブ栽培で障害者の自立支援を―。こんな目的で、新潟市のNPOひなたの杜は20009年から市内の耕作放棄地を利用して、実が食用油の原料になるオリーブの栽培を続けている。その一部の木で最近、小さな白い花が咲いた。新潟の厳しい冬を越したオリーブが初めて開花したことで、ひなたの杜の橋元雄二さん(相談役)、大礎さん(代表理事)父子は、新潟でもオリーブは栽培可能と自信を深めている。 |
これがオリーブの花 ひなたの杜は新潟市内で障害者のグループホーム・ケアホーム(ひなたの家)と地域活動支援センター(オリーブ)を運営しているが、雄二さんは障害者の労賃が低いことの打開策としてオリーブ栽培を思いついた。農業大学校に通って研究を重ねた雄二さんは2009年に飯豊連峰を望む新潟市郊外の耕作放棄地(北区)を借り受け、息子の大礎さんの協力で障害者とともに埼玉から取り寄せた4年木のオリーブ200本を植え、さらにこの後九州でオリーブ栽培の普及活動をしている九州オリーブ普及協会からイタリア・トスカーナ産など100本の寄贈も受け、現在は約1万3200平米(約4000坪)の土地にオリーブの若木(4年木)750本前後が育っている。日本財団も2012年ひなたの杜のオリーブ栽培による障害者の自立支援活動を支援した。 畑の真ん中には資材置き場がある/オリーブ栽培への夢を語る2人 栽培を始めて4年。すべてが順調だったわけではない。最初にすり鉢状の底の部分のような低地に植えた埼玉産のオリーブは新潟の冬を越せずに、枯れてしまう木が出てきた。そのため不燃布を使いオリーブを包み込む作業が10月から1カ月かけてやり、雪が積もり、埋もれてしまった木のために雪払いの作業も欠かせない。こんな中、雄二さんは昨年7月、脳梗塞で倒れ、リハビリを続けながらオリーブ栽培に打ち込んでいる。 畑の後方には飯豊連峰が見える 2人によると、最初に植えた国産のオリーブよりトスカーナ産の方が樹勢も強く、成長が早いという。「接ぎ木のやり方が国内産と違い、収量を考えるのならイタリア産の方が見込める」と雄二さんは語る。オリーブ畑は上(トスカーナ産が中心)と下(埼玉産)の2枚から成っており、下の畑にはポンプもあり、障害者たちは夏になるとこの水をバケツに汲んで上の畑まで運んで水やりをするのだという。「オリーブは10年、20年と長いスパンで見ないといけないことは分かっているが、これまで花芽がつかなかったので、花が咲いたことしはやったという感じです」と、大礎さん。ことし秋には、このオリーブ畑を特別支援学校に通う子どもたちの見学会を計画しており、そのころには緑黄色の実もつけるはずだ。(石井克則) |