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若者と女性の手で被災地復興を 主婦たちが起業家育成支援 [2013年05月27日(Mon)]

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復興の中心を担う起業家を育てるゼミの風景

「何でもっと早く避難所にボランティアとして行かしてくれなかったの?」。こんな息子の言葉が胸に突き刺さった。NPO石巻復興支援ネットワークの代表理事、兼子佳恵さんが東日本大震災の支援活動に入るきっかけともいえる一言だった。自宅も被災しながら、宮城県最大の被災地、石巻を活動の中心にして、被災地支援のためさまざまな事業を展開する兼子さんの、復興への思いを聞いた。
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活動のパートナーの兼子さんと萱場さん

兼子さんは福島県いわき市で生まれ、小学校1年生の時に石巻市に移り、現在に至っている。長男が小学校の夏休みになった当時、自分の子どものころよりも宿題が少ないと思い、田んぼの水生生物の観察や酸性雨調査、ゴミ拾いなどを一緒にやった。子どもが同じ市立大街道小学校に通うお母さんたちが賛同して、環境教育活動の輪が次第に広がる。2009年には「環境と子どもを考える会」という名称をつけ、環境教育だけでなく、子育て中のお母さんたちの相談会も運営した。

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起業家ゼミで話すつなプロの田村太郎さん

2011年3月11日の東日本大震災で、兼子さんの自宅一軒家は半壊し、2階に避難した。兼子さん宅は夫と当時高校3年の長男、中学2年の次男の4人家族で、夫と長男は無事戻ってきたが、次男はこの日は帰らなかった。翌朝、水が引かない中、物干し竿を杖にして戻ってきた次男は、避難所に行って手伝いたいと話した。心配した兼子さんはそれを許さず、少し落ち着いてきた3日後に次男は避難所に戻り、ボランティアを続けたという。

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起業家フォーラムのチラシ

知人も含め多くの人が津波にのまれた石巻の惨状の中で、「母親としての判断は間違っていなかったと思うが、人としての判断は間違いだった」と兼子さん。大震災をきっかけに設立された「被災者とNPOをつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」からの依頼で、環境と子どもを考える会のメンバーが支援活動のドライバーとして働き始め、同年12月には兼子さんを中心にNPOを立ち上げた。子どもの育成サポート、女性・若者の人材育成など5つの活動の柱があり、昨年は内閣府の復興助成で若者と女性の「やっぺす!企業支援フォアンド」という起業家育成ゼミを開催、20人の事業家育成事業を進めている。新年度も引き続き、日本財団の支援でこの起業家育成のフォローアップゼミを開催する。

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フォーラムの受講者と兼子さん(中)

大震災以来交わした名刺が2000枚を超えたという兼子さんは「一人でもしんどいという人がいたら、その声を拾い続けたい」と話している。一緒に活動をしている副代表理事の萱場祐子さんは、兼子さんについて「人とのつながりが多く、顔が広い。頑張りすぎて、自分が大変になってしまうのが心配」と気遣っている。(石井克則)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:04 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
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