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シャッター通りが繁華街に復活 いわきの夜明け市場・店は津波で全壊したが… [2012年12月18日(Tue)]

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復興飲食店街と書かれた夜明け市場

福島県いわき市のJRいわき駅近くに「夜明け市場」という飲食店街がある。東日本大震災と原発事故で元気のない故郷を何とかしようといわき市出身の若者が企画したプロジェクトで、スタートしてから1年を経てシャッター通りは活気ある街並みへと復活した。和食の店が津波で全壊した北郷清治さん(58)も、この街で再起を図った一人だ。夜明け市場の支援で始めた「魚菜亭」という店が人気店となり、「あきらめずに夢は追い続けるものだと思った」と、この1年を振り返っている。
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被災地復興に立ち上がった鈴木さん/親友の松本さん

同市場は、食品のPRやイベント事業を展開する会社を東京で経営しているいわき市出身の鈴木賢治さん(30)と松本丈さん(30)らが、故郷の復興を目的に設立した空き店舗を改装して企業家が飲食店を再建するための管理運営会社。プロジェクトの舞台に選んだ通りは「白銀小路」と呼ばれ、かつては40メートルの路地に30店舗が並び、人があふれ返るといわれた繁華街だった。バブル崩壊後、次第に店のネオンは消え、日本の地方に珍しくないシャッター通りになっていた。鈴木さんらは震災直後の2011年4月に同市場を設立。同年11月4日には2店舗が営業を始め、現在は10店舗にまで増え、さらに近くもう1店舗が加わる予定という。

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店を再建した北郷さん

北郷さんはいわき市久之浜出身。高校卒業後上京、和食店で6年間板前として修業、その後いわき市内のゴルフ場のレストランで約30年働き、2007年3月、久之浜に念願の自分の店を開いた。港に近く、新鮮な魚料理で評判の店になったが、大震災で自宅を兼ねた店は全壊。北郷さんは3カ月間の避難所暮らしのあと、仮設住宅で生活をしている。今後の生活設計に不安を抱えた北郷さんは商工会を通じて同市場の話を聞いて応募、500万円の公的融資を受けて昨年12月2日に新しい魚菜亭を飲食店街の一角にオープンした。魚料理が人気を集め、12人の席が満杯になり、入れないで帰る客も少なくない。北郷さんは「煮魚を食べてこの味が懐かしいと涙を流してくれた人もいた。原発ですべてが変わってしまい辛いことも多かったが、鈴木さんたちのバックアップでここまでやれることができた」と、この1年を感慨深そうに話した。

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いわき駅近くの夜明け市場の店の案内掲示

鈴木さんは、同市場の運営を松本さんらと続ける一方、ドイツの自動車メーカー、ダイムラーの寄付でグロービス経営大学院仙台校に設置された日本財団の奨学金制度で経営学を学んでいる。松本さんは鈴木さんとは小中高時代の同級生で親友だ。松本さんは、同市場の活動を振り返り「第1ステージは終わった。地元の農家と連携して地元食材をPRし、市場を観光の目玉にすることも考えている。全国のシャッター通り解消の先例にしたい」と、今後の展望を語っている。(石井克則)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:04 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
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