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“あの日”の青函連絡船の数々が再び〜八甲田丸で中高生らが市民劇 [2012年10月24日(Wed)]

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市民劇のフィナーレは感動の中

修学旅行の楽しさ、物資買い出しの苦労…24年間にわたって青函連絡船「八甲田丸」に刻み込まれた人々の思い、心を紡いだ市民劇『八甲田丸の1700万人』が10月7、8の両日、今は青森港に係留されるメモリアルシップ「八甲田丸」の車両甲板で開かれた。観客は抽選で選ばれた青森市民。公募した出演者の中には、自身の役で演技する元機関長の姿も。客席から往時を思い出してすすり泣く声も聞かれ、舞台空間は見る側、演じる側の双方で“あの日の連絡船”があふれた。
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車両甲板の重厚な雰囲気の中、本番直前の打ち合わせ

NPO法人あおもりみなとクラブ(渡部正人理事長)が、日本財団の支援を得て、青森市との共催で企画した。青函連絡船の思い出を広く募り、寄せられた約30点のコメントをもとに、地元劇団「渡辺源四郎商店」主宰者の畑澤聖悟さんが脚本を作成。運航終了5カ月前の1987年10月、八甲田丸に乗り合わせた「売れない歌手」「修学旅行の一団」「担ぎ屋」ら7つのエピソードで構成されている。監督も兼ねた畑澤さんは「設定だけを考え、セリフは役者さんのそれぞれの思いに委ねた。青森市民の生活は連絡船に溶け込んでおり、練習中もホーム感が凄かった」と話す。

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畑澤聖悟さん

出演者は12歳から85歳までの総勢48人プラスX氏。一般公募15人、青森中央高校の演劇部員24人に劇団員9人が加わり、9月下旬から稽古を重ねてきた。機関長役の葛西鎌司さんは八甲田丸に5年半乗務したホンモノの元機関長。「思い出の詰まった永遠の恋人です」と話す。公募組の松村美里さんは浦町中学校3年で、「私が知っているのは停まっている八甲田丸でした。劇を通して動いている姿が想像できて楽しかった」と。その姿をハラハラして見ていた祖母は「最後の船に家族みんなで乗りました。舞台を見ていて当時を思い出し、涙が出てきて」とハンカチを握りしめた。

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入場時間前に列を作る観客たち/メモリアルシップ「八甲田丸」

昼夜2回、2日間にわたる公演は、椅子席たたみ席ともに満員。『1700万人』は現役時代の乗客数と引退後のメモリアル丸の入館者の合計。公演は終了したが、今後も折を見て再演したい、というのが出演者、観客一同の願いだという。エッ、プラス1のX氏は誰かって。開演の銅鑼(どら)をたたき、劇中では売れない歌手を瀬川瑛子と間違えてサインをねだるとっぽい男の役どころ…鹿内博・青森市長でした。「予想以上の演技で、十分に及第点です」とは畑澤監督の評。(平尾隆夫)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:15 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
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