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廃校再生で島の活性化を 東京から五島・半泊にIターンの濱口さん [2012年09月07日(Fri)]

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青い海が美しい五島列島

全国で少子高齢化、人口の一極集中化などを背景に人口の50%以上が65歳以上という限界集落が増加し、地方から活気が失われている。そんな過疎化が進む長崎県五島列島の集落に東京から移住し、廃校を使って島興しをしている人がいると聞いて、現地を訪ねた。五島市土岐町の旧土岐小半泊分校に住み、「企業組合 五島列島ファンクラブ」を運営する濱口孝さん(58)だ。日本財団の支援で構築したホームページの「五島雑学大事典」で五島列島の歴史から食べ物、観光情報まで幅広い情報を提供するなど五島を愛することでは誰にも負けないという濱口さん。島の活性化に注ぐ情熱の源泉はどこにあるのだろう。
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半泊分校と濱口さん

濱口さんが住む旧半泊分校は、五島列島最大の福江島にあり、中心部から山道に入って車で約40分の里山と海がある自然豊かな半島部分に位置している。かつて半泊地区として最盛時には18世帯、100人前後が住んでいた。現在は濱口さん夫妻を含めて5世帯、9人だけの集落になっている。企画プランナーだった濱口さんは2006年8月、初めて五島を訪問、五島福江空港で飛行機を降りた際、目に入った景色に衝撃を受けた。「高い山がなく、とてもフレンドリーだと思い、心が和んだ」というのだ。無農薬のコメ作りを支援するNPOの仕事をしていた当時、7年間で全国150カ所を回ったという濱口さんは、岩手県花巻市や遠野市、茨城県石岡市八郷のよさにひかれた。だが、福江島はそれ以上だった。500メートル以上の山はなく、海は美しい。この島に住みたいと思った。

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里山の緑に包まれた分校校舎/廊下にはたくさんの本が並ぶ

濱口さんは2008年2月には、廃校になっていた平屋建ての小さな分校を五島市から借り受け、一部改修してIターンをした。五島ファンクラブの前身である新現役の会(福江支部)&農援隊を立ち上げた濱口さんは、五島列島の活性化を目指してアイデアを練った。農業体験や環境保全活動を体験する「田園ミュージアム構想」などの活動が2009年1月には法人格の企業組合である五島ファンクラブに発展。五島へのUターン・Iターン希望者の相談、分校に宿泊した子どもたちの里山・島の暮らし体験、学生らのセミナー、研修受け入れなどの事業を手掛け、分校内にはしゃれた喫茶店もつくった。さらに東京・巣鴨には名物の五島うどんの店も出し、五島のPRを続けている。

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人気の喫茶コーナー/近くの半泊教会

「雨露をしのぐための家を探していたら、廃校が行き着いた。学校の再利用は村の活性化につながる。宿泊利用者も年々増えており、半泊ににぎやかさが戻ってきた。学校の再生だけでなく限界集落や離島の再生のために役に立ちたい」と語る濱口さん。「廃校問題は少子高齢化、過疎化現象と同列でとらえるべき社会問題だ」と強調。地方の元気さを取り戻すために、廃校再生がいかに重要であることを訴えている。(石井克則)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:18 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
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