CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«車椅子 18カ国に2545台 送る会の活動、一層の広がり | Main | 学生と交流、黒糖づくりも体験 沖縄訪問の中国の学生ら»
New_facebook_blogmagazine.jpg 8f0j6k00000eugbl.jpg   ボランティア奮闘記.jpg   BLOGOSブロガー見た.jpg
Google
ブログマガジン WWW
最新記事
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新コメント
プロフィール

日本財団広報担当さんの画像
<< 2013年08月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
https://blog.canpan.info/koho/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/koho/index2_0.xml
日本初の水深図など歴史的資料 海保倉庫から多数発見 [2012年02月13日(Mon)]


関東大震災後の相模湾の状況を示した水路要報

関東大震災後の相模湾の隆起・沈降状態を示す測量資料や日本初の海図に使われた岩手県釜石港の水深図など、海洋に関する多数の歴史的資料が東京都中央区の海上保安庁海洋情報部で見つかった。財団法人日本水路協会と海洋情報部が日本財団の支援で情報部倉庫の資料を整理中に発見、これらの資料の一部は1月25日オープンした同海洋情報資料館で展示され、インターネットでも公開された。
展示された日本の海図第一号

海洋情報部は、建物の老朽化に伴い中央区築地からこのほど江東区青海に移転した。移転に当たって、日本水路協会と海洋情報部が資料の精査と電子化の共同事業を2010年度から進めていた。この結果、1万3500点をデジタルデータ化し、資料検索システムで検索できるようにした。うち190点はインターネットでも閲覧ができる。

復元された測量用一級図化機(左が熊坂さん)

資料整理を担当した水路協会の熊坂文雄調査研究部長によると、今回見つかった中で貴重な資料は@明治5年9月と10月に刊行された釜石港海図、宮古港海図の基になった日本海図の父といわれる柳楢悦らが測量したといわれる銅板の釜石港水深図(明治4年9月)と宮古港水深図(同年8月)A関東大震災後に海上保安庁が実施した相模湾の状況を示す水路要報Bペリーが1853年に測量し、米国で出版された東京湾の海図C手書きの古地図(江戸時代前期に作成された伊勢国割地図を基に描かれ、その後携帯用地図の基図に使われたものらしい)D明治24年刊行の「天図」(全天球の季節ごとの星座の位置を記入し、夜の航海に使用する)、大正8年刊行の「星図」(星や星雲などの位置、明るさなどを平面に描いたもの)―などがある。

このうち関東大震災の直後の相模湾については測量艦松江、武蔵など4隻が鉛を使った錘測という方法で調査した。最高で250メートル隆起する一方、300メートルも沈下した場所もあり、巨大地震によって同湾の水深がかなり変化した実態が赤と青の数字で記されている。ペリーの測量した東京湾の海図には横浜沖や金沢八景沖、浦賀沖に投錨したペリー艦隊の投錨地と船名が記されている。(写真左:海図の父といわれる柳楢悦の銅像)

今回開発した資料検索システムは、海洋情報部が保管している明治初期から明治20年ごろまでの海図や航空図のほか古文書などを電子化したもので、海洋情報舘に設置した2基の端末で閲覧できる。17年をかけて全国を測量した伊能忠敬の伊能図(日本地図)も検索が可能だ。熊坂さんは「眠っていた海に関する歴史的資料を公にすることができた。海に関心ある人はぜひ利用してほしい」と話している。(写真右:ペリーが測量した東京湾の海図)(石井克則)
このエントリーをはてなブックマークに追加
Posted by 日本財団 広報チーム at 09:23 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
コメントする
コメント