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体験を漢字にすれば『優寄』(ゆうき)〜小笠原クルーズ航海記IV [2011年08月29日(Mon)]


見送りの小笠原っ子に甲板上から手を振る子どもたち

「せっちゃ〜ん、さようなら」「ありがとうー」。小笠原での2日間の滞在を終え、二見湾を去る大型客船「ふじ丸」の甲板から、別れを告げる声が何度も響いた。8月20日夕、声は湿った浜風にすぐに消されたが、別れる人…小笠原クルーズのメンバーと、送る人…地元・小笠原の小中学生12人には、いつまでも胸に残る光景だった。団体生活を通して育まれたこの絆(きずな)を、2日後の解団式ではメンバー全員が確かめあった。
南洋踊り/踊り後はこんなに仲良くなった

せっちゃんー関優菜ちゃん(小笠原小6年)ら地元の12人の子どもは19日から20日まで、内地からのメンバーと合流し、小笠原での活動を共にした。12組ある編成に1人ずつ組み込まれた。最初のあいさつはぎこちなかったが、カヌーやシュノーケル、トレッキングを通してうちとけ、19日夜のデッキディナーではマレーシアからポリネシア諸島を経て伝わったという南洋踊り(東京都無形民俗文化財)を12人が披露。アッという間に人気者になった。
そして別れのとき。小笠原の美しい習慣なのか、東京から1,000キロの距離がそうさせるのか…岸壁からだけでなく、漁船に乗って船に付き添い、港の外まで見送る。漁船と客船双方からたくさんの手が激しく振られた。「サヨナラは、組のみんなの気持ちがひとつにまとまるきっかけになった。そして旅の印象を漢字で表わすワークシップで、まとまりは強化された」。組のリーダーはこう振り返った。

大賞に選ばれた12組の面々と作品、右は提案者の山田さん

ワークシップは1人1人が旅の印象、感想などを漢字で表わし、その中から班の漢字を選出、さらに組の漢字へと進んでいくもの。最終的にクルーズを代表する大賞に選ばれたのは『優寄』(ゆうき)だった。提案者の山田奈々実さん(東京・小学6年)は“解説”する。「私が気分の悪いとき、みんないろいろ声をかけてくれた。体調を崩した友達にずっと付き添う人もいた。優しさがいっぱいあったので、『優』の字が浮かんだ。それに、みんなの考えにあった船とか絆とかは『寄』という字で表わせるので、総合して優寄。東北地方の人たちに勇気を与えるという気持ちも込めました」。

財団旗を受け取る被災地から参加の18人

東日本大震災で被災した岩手、宮城両県から今回のクルーズに18人が招待されていた。最後の夜、組ごとにメンバー1人1人のメッセージが入った「財団旗」が18人に手渡された。「忘れないでね」「心はひとつ」…。つたない文字がびっしり書き込まれていた。岩手県洋野町種市の川戸亮君(小友中3年)は「辛いことがあったらこの旗を見てがんばる」と話した。大槌町の阿部愛音さん(大槌小5年)は「勇気をもらってうれしい。大槌の海はまだがれきがあって泳げないが、その分小笠原のきれいな海で泳げた」と頬を紅潮させた。

再会を誓う握手の列は、ホールを出て廊下にまで

小笠原クルーズのフィナーレは500人握手。70人を超えるスタッフ、「ふじ丸」幹部らもまじえて、参加者全員が1人1人と握手していく。涙に濡れて冷たくなった手、固く握りしめてくる手…。500人の握手の列はホールに収まりきれず、廊下まで飛び出した。
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:25 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
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