被災児童の授業の遅れを取り戻そう〜「寺子屋くらぶ東雲」(東京)の熱い思い [2011年07月05日(Tue)]
![]() 寺子屋くらぶ東雲で授業を受ける被災児童ら 「先週のおさらい、この仰角は何度になる?」「エーと…」。2〜3人ごとに分かれたテーブルで、数学や英語の授業が行われていた。教師はボランティアの大学生ら。生徒は東日本大震災で避難してきた、小学生から高校生までの子どもたちだ。東京都江東区の児童・高齢者複合施設「グランチャ東雲」の1室で、毎水曜日の夜に見られる「寺子屋くらぶ東雲」の光景。6月最後の水曜日は10数人の生徒が、3時間にわたってノートに鉛筆を走らせた。 |
![]() ![]() 熱のこもった授業風景 被災して別の学校への転出を余議なくされた児童生徒は、2万人を超える(文部科学省の調査)。都内の小中高、幼稚園に転入した岩手、宮城、福島3県の子どもは約1200人。東北と東京のカリキュラムの違いや、避難生活の長期化などから起きる不登校などが深刻化している。このため各地で学習支援の動きが始まり、NPO法人「Learning for All」(東京・千代田区、松田悠介代表)も日本財団の支援を受けて、「寺子屋くらぶ東雲」をスタートさせた。江東区の国家公務員住宅「東雲住宅」に入居する被災家族の児童が多い。 ![]() 指導中の上野聡太さん 「高校2年の男子生徒は、震災で数学の≪数列≫の授業を受けられないまま東京の学校に転入し、試験結果がボロボロでした。福島では宿題が多いが、東京はあまり出さない。漢字のハネ、止めについても厳しく言う、言わないの違いがある」と話すのは、のべ80人の大学生教師陣のリーダー、上野聡太さん(明治大法学部4年)。2か月間を1クールとして、授業の前と後で理解度を図り、努力した結果を具体的に見せて、ほめる…。英数に限らず、どの教科でも求められれば教えるため、各科目の高校時代の参考書は手放せない。報酬はゼロ。それでも「生徒を教えることで、自分も学ぶことが多い」と。その情熱の背景には、松田代表が目指す“これまでにないモデル”の教師像が描かれている。 ![]() 松田悠介代表 松田さんは1983年千葉県生まれ、27歳。日大卒後、体育科教諭として勤務。その後ハーバード教育大学院に留学して修士号を取り、外資系企業勤務を経て昨年7月「 Learning for All」を立ち上げた。「中学の時イジメに合い、自殺も何度か考えたが、1人の教師が自分とキチンと向き合ってくれて立ち直ることができた」「教師時代、45分授業で40分間も黒板に向かったままの先輩がいた。教師にはプレゼンテーション能力などソーシャルスキルが足りない、子どもと向き合う先生を作る仕組みがないかと思案。そんな時に米国の教育NPO『Teach for America』を知り、日本でも実現したいと考えた」と、創設に至る思いを話す。 米国モデルとは…。全米の優秀な人材をまず教師として採用し、最も問題の多い学校に2年間派遣する。その経験を経た後、本来の就職先に進むのだが、7割は教師として残り、同NPOが昨年のアメリカ大学生就職人気ランキングの1位に選ばれた。松田代表はこの“日本版”を目指し、教育環境が貧しい子供らの指導に尽力。被災児童に対しても組織力を活かして活動、9月には現地での寺子屋開設を検討している。 |
