早期の就籍求め大会―フィリピン残留2世 [2007年05月21日(Mon)]
![]() 200人を超える日系人が参加 フィリピン残留2世の国籍取得をテーマにした「フィリピン日系人大会」が5月19、20の両日、フィリピン・マニラで開催された。フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC:河合弘之・代表)とフィリピン日系人会連合会(カルロス寺岡・会長)の共催で、8回目を迎えた同大会で国籍取得問題がメーンテーマに据えられるのは初めて。戦後60年を経て残留2世が老境を迎えている現状から、河合代表は「中国残留孤児のように日比両国政府が協力して(残留2世の就籍に)お墨付きを与えるようなシステムが必要」と指摘。事業を支援する日本財団の尾形武寿理事長は冒頭の挨拶で「日本の平和と繁栄は皆さんの犠牲の上に成り立っている。日本財団としても全力を尽くし支援したい」と述べた。 ![]() ![]() 力強い支援を表明した日本財団の尾形理事長 日本の繁栄は多くの犠牲者の上にある フィリピン残留2世の父親の多くは大戦中、旧日本軍に徴用され、敗戦に伴い強制収用・送還された。戦火の中で死亡した父親も多い。現地に取り残された妻子は山岳地帯に隠れ住み、日本人の父とのつながりを裏付ける資料の多くが失われた。自ら捨てた人も多かったといわれる。父親の身元が判明し戸籍に名前が記載されている2世は既に日本国籍を取得しているが、約800人は証明できるだけの資料がなく、既に死亡した人などを除く約500人が就籍による日本国籍取得に望みを託している。 昨年、19人が新たに戸籍を設け日本国籍を取得する就籍の申し立てを東京家裁に起こしているが、戦後、反日感情が強かったフィリピンで迫害を恐れ、婚姻証明書、出生証明書などの書類を破棄したり、日本人であることを隠して生きてきたこともあって、申し立て後、身元が判明した2人と死亡した1人を除き、結論(審判)は出ていない。 |
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フィリピン市内のホテルで開かれた大会には国内13支部から200人を超す日系2世らが出席。寺岡会長は「フィリピンに残留した日系人は戦後、祖国日本に捨てられ棄民とまで言われた」とした上、老境を迎えた日系2世が年々、減少している現実を指摘、「彼らが生きていうるうちに日本人と認めてもらう必要がある」と就籍の促進と早期の救済を求めた。
さらに来賓として出席したフィリピン入国管理局外国人登録部のアルメダ部長は就籍手続きで「仮に日本国籍が確認された場合も適正な手続きが取れれば土地所有などフィリピン人としての権利は保障される」と重国籍など法律問題に前向きの解釈を示した。 また大会途中に行われた記者会見で河合代表は中国残留孤児問題と同様の政府による前向きの対応を求めると共に、東京家裁で審理中の申し立てに関しては「正直言って裁判所の姿勢は“おっかなびっくり”といった感じ。近く前向きの判断が出ると期待しているが、最終的には(残留2世を日本人と認める)新しい制度を作ってもらう必要がある」と強調した。 日本財団は、PNLSC、日系人会連合会と協力し、2006年8月から戸籍回復支援事業を本格的に取り組むこととなった。3カ年で500人の戸籍回復を目指している。財団法人法律扶助協会(現・日本司法支援センター)を通じて、中国・サハリン残留孤児戸籍取得支援事業も支援し1250人の中国残留孤児の就籍による日本国籍取得も実現している。 ――― ・ ――― [就籍、柔軟な対応こそ不可欠] フィリピン残留2世の就籍の難しさは、彼らが日本人の子であることを示す状況証拠は多分に存在するものの、終戦前後の混乱で、その父親を特定し、親子関係を裏付ける資料が失われた点にある。戦後60年を経過して当時を知る人も急速に減っており、中国残留孤児のような特例法に基づく就籍といった思い切った対応が取られない限り、老境を迎えた残留2世の希望を実現するのは難しい状況にある。 日本人の父親とフィリピン女性の間に生まれた2世の戸籍は、親が日本の領事館に出生届をし、領事館から送られた資料を基に日本の戸籍に記載されるのが一般的な手続きだった。奥地に住んでいたため手続きが取られなかった人や、戦争の混乱で資料そのものが日本に届かなかったケースもあり、多くの2世の名が戸籍に記載されない事態を招く結果となった。 戸籍に記載されている可能性があるものの、肝心の父親が死亡し本籍地が分からず、確認できないケースもある。このほか2世と父親を結び付ける資料としては戦後、米軍が日系人を収容した際の「収容者名簿」、外務省・外交史料館に保存される戦前の旅券発給者名簿、現地の役場に出された婚姻届や出生届、教会での洗礼証明書などある。フィリピン日系人リーガルサポートセンターなどで手掛かりの発掘を進めているが、一部を除き紛失が目立ち、強制送還者の名簿のように厚労省が「個人情報」を理由に閲覧を認めていない資料もある。 当時は日本もフィリピンも父系主義を取っており、残留2世が国籍法上、日本人であることは間違いない。しかし、就籍を実現するには日本人の父親が特定され、その父親との親子関係が資料によって裏付けられることが必要である。現実には日本人の子であることをうがわせる資料や証言は多くあるものの、それらが一本の線でつながるところまでは進まないケースが多い。 残留2世が生まれた経過、しかも戦後半世紀近く、手付かずのまま放置されたこの問題の本質からすれば、詳細な裏付け資料を求めるのではなく、「合理的に日本人の子と推認できるだけの状況証拠があれば十分」とするような司法判断が必要ではないかー。そうでなけば中国残留孤児と同様、日比両国政府が残留2世を日本人と認めることで就籍に道を開くしかない。 中国残留孤児は両親が日本人、フィリピン残留2世は父親だけが日本人と違いはあるが、国籍法上の違いはない。しかもフィリピン残留2世が求めているのは日本人であることの証としての日本国籍であり、それに伴う子、孫の日本での就労の機会である。国家の名で行われた戦争に伴う犠牲は国の名で救済されなければならない。老いが目立つ残留2世を前にそんな思いを強くする。(M) |












