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新しいカンボジア焼き目指し現地へ 大震災の被害乗り越え益子の陶芸家 [2011年05月12日(Thu)]


熱意を語る岩見さん

東日本大震災では窯業の町・栃木県益子町も登り窯などに大きな被害を受け、町では復興支援センターを立ち上げ、恒例の陶器市も例年より短縮して乗り切った。そんな中、内戦の混乱などで姿を消したカンボジアの陶器文化復活に向け技術指導に当たる地元の陶芸家・岩見晋介さん(45)が約3ヵ月の予定で近く現地に赴く。岩見さんによると、幻の陶器と呼ばれる「クメール焼き」をはじめ伝統技術はほとんど残っていないが、地元には豊富な原料と陶器にかける住民の熱意があり、今後、カンボジア、益子双方の技術を合わせた新しい焼き物の完成を目指すという。
約700人の陶芸家が活動する益子町では多くの窯のうち、全体の1割を占めるマキ窯が特に大きな被害を受け生産能力が低下したのに加え、出荷待ちの陶器の被害も大きく、春の陶器市も「災害復興がんばろう益子」のスローガンの下、例年の10日間を1週間に短縮した。期間中の訪問客は48万8千人、関係者によると、まずまずの出足という。

一方、岩見さんらがカンボジアの陶器文化の復活を目指しているのは、首都プノンペンの北西約90キロのコンポンチュナン州オルドーン・ルッセイ村。村民は約300人。古くから窯業が盛んな地域として知られ、現在も低温の野焼きによる素焼き製品が生産されている。2007年に栃木県が国際交流事業の一環として支援を開始、09年1月には窯も作られたが資金難に直面し同10月、日本財団が3ヵ年事業として支援に乗り出した。

岩見さんら益子の陶芸家4人が交代で現地に常駐し、現在、11人が指導を受ける。うち7人は女性で、残る4人はその夫や息子だ。耐火度の高い良質な白い土や上薬の成分となる長石に似た鉱物、さらに窯焼きに使う油分の多い木など窯業に必要な材料の確保に目途がつき、カンボジアの焼き物の伝統を生かした食器など商品化が可能な陶器の開発を目指している。

陶器をつくる現地メンバー

日本にない技法も残され、これに益子の技を加えた新しい焼き物を開発するのが目標で、3年計画が一段落する12年秋までには現地メンバーだけで商品として通用する焼き物が生産できるよう指導したいという。プロジェクトの現地責任者でもある山崎幸恵さんがプノンペンで経営する伝統工芸店に試作された作品が陳列され、素朴な味わいが現地に住む日本人らに好評という。

岩見さんとメンバーたち

クメール焼きはアンコールワットで知られるクメール王朝文化を代表する焼き物。動物をあしらった独特の造形や櫛目や唐草模様など高い技術で知られ、王朝が衰退期に入った13世紀ごろ技術継承が途絶えたといわれる。その後もカンボジア独特の窯業が栄えたが、1970年代のポル・ポト時代に研究資料の多くが散逸し、釉薬や原料など詳細は不明だ。

プノンペンのショップで展示・販売されている作品

岩見さんは事業開始から昨年10月まで現地で指導に当たり、今回は5月末から8月いっぱい現地に滞在する。リーダー格のウオン・パウさんら“生徒”の士気は高く、今秋には3人を日本に招き益子の技術を伝える計画も。岩見さんは「村の人たちの信頼に応えるためにも中途半端にはできない」と意欲を語っている。(了)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:21 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
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