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“壊滅”の故郷に絶句 風光明媚な漁港、大津波に水没 [2011年03月25日(Fri)]


廃墟と化した石巻市内

“壊滅” 故郷のあまりの惨状に、これ以上の言葉も出なかった―。東日本大地震の直撃を受けた地元の要請で3月21日、宮城県石巻市に大型の浄水プラントを届けた尾形武寿・日本財団理事長は未曽有の被害で変わり果てた同市の姿を重い口調で語った。石巻市は人口16万2800人。風光明媚な街は大津波に水没し、大地震から2週間経った25日現在、死者・行方不明者は約4700人に上っている。
尾形理事長は地元の網元の家の4男として生まれ、現在も長兄の長男が水産漁業会社を営む。従妹が行方不明となっているほか保有していた大型漁船2隻にうち1隻が陸に打ち上げられ、海岸近くにあった水産物加工用の鉄筋2階建てビルは現在も海水につかっている。

 
橋の上にはヨットも/女川町はガレキの山に

大地震による震度は6強。市内に住む次兄によると、津波は石巻湾から旧北上川河口に直線的に押し寄せたうねりに、1964年、新産業都市の指定を受け河口左手に設けられた石巻工業港に押し寄せたうねりが重なり合う形でぐんぐんと高さを増し市内に押し寄せたという。河口から2キロ近く離れた旧北上川の中瀬に架かる内海橋を濁流が楽々と超え、すべてを破壊しながらさらに上流の市役所やJR石巻駅など市の中枢も襲った。

市内には傾いた家屋や建物の間を倒壊した家材や流された車、家具が埋め尽くし足の踏み場もない。道路には赤い船体の漁船が横たわり、すぐそばには押しつぶされそうな形で白っぽい乗用車。傾いた両脇の電柱からは電線が垂れ下がり、1本は真ん中あたりで折れている。何台もの乗用車が打ち上げられた橋の上には白いヨットの姿も―。

さらに隣の女川町に足を延ばすと全体がガレキの山、“廃墟”となった街の姿が最大15メートルといわれる大津波の破壊力をまざまざと見せつけ、流された多くの車の中に日本財団のマークを付けた福祉車両も遠望された。

現地では搬送した浄水プラント「淡水化処理装置」が23日から1日最大100トンの造水を開始、生活用水として供給が始まり、水・食糧など支援物資も到着、ボランティアの現地活動も始まった。難関となりつつあるのが町中にたまった汚泥。風と共にホコリとなって舞い上がり医療や炊き出しなどあらゆる復旧活動の足かせとなっている。

亀山市長(左)を激励する尾形理事長

そんな中、理事長は22日、市役所に亀山紘市長を訪問した。これに対し就任後2年弱の亀山市長は「何から手を付けたらいいのか分からない」とあまりの惨事に疲労の色を見せながらも「(大災害でなお)生かされた者としての務めを果たさなければならない」と決意を語った。(了)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 16:17 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
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