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不思議な縁でアール・ブリュットを担当 哲学持ち続けてとエール [2011年03月25日(Fri)]


東日本大震災で、被災者支援に取り組む日本財団に、山口県周南市東京都教育委員会から出向し、研修を続けてきた2人がこの3月限りで研修を終え、職場に復帰する。その2人の思いを紹介する。

不思議な縁を感じた。アウトサイダー・アート(フランス語でアール・ブリュット)の代表的作家といわれるヘンリー・ダーガー(米国、1892−1973)の作品を見るために山口から上京した内本一洋さん(39)が、後に日本財団に出向、この分野の支援を担当することになったからだ。日本財団で2年間、民間の仕事を研修した内本さんは東京で東日本大震災という未曾有の災害を体験し、この3月限りで山口県周南市に戻り、公務員として再スタートする。
内本さんが日本財団に出向したのは2009年4月からで、公益・ボランティア支援グループ福祉チームの一員として、福祉関係の助成を担当した。その中にアール・ブリュット(既成の枠にとらわれない、生の芸術の意)に関する事業も入っていた。現代美術の鑑賞が趣味の内本さんは周南から上京し、品川の原美術館で開催されていたヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」という作品展を見たことがある。それがアール・ブリュットとの出会いだった。

出向後、配属された福祉チームでアール・ブリュットの事業を担当。滋賀県近江八幡市でボーダレス・アートミュージアムNO-MAを運営する滋賀県社会福祉事業団がパリ市立アル・サン・ピエール美術館で昨年3月から今年1月まで開催した「アール・ブリュット・ジャポネ展」も支援し、パリにも行く機会があった。「日本のこの分野の作品が海外で展示されるという試みに立ち会えたことはラッキーだった」と内本さん。出張で全国を回り、多くの人と出会ったことも財産になったという。陶芸家でアール・ブリュットに目を向けた北海道旭川市の工藤和彦さんも心に残る一人だ。

明治時代の木造建築で国の文化財に登録されている静岡県湖西市新居町の元芸者置屋・小料理店「小松楼」の改修助成も担当した。湖西市でこの事業にかかわった馬渕豪さんとも知り合い、同じ公務員としてその意欲的な姿勢が特に印象深いという。

内本さんは、出向期間が当初予定の1年から2年になったため日本財団の多くの職員と仕事をする機会があったという。特に都内の寮で一緒だった20代の若い人たちとは多くの話をし「感性が鋭く、哲学を持っている」と思った。その若者たちはいま大災害に遭遇した人たちの支援に取り組んでいる。内本さんは「5年先、10年先には日本財団の組織も変わるかもしれないが、丸くならないでいまの哲学・姿勢を持ち続けてほしい」と、若い世代にエールを送っている。(石井克則)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 10:46 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
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