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被災地救援へ学生パワーがフル回転〜全国各地で街頭募金活動 [2011年03月25日(Fri)]

 

都内5か所で学生100人による街頭募金が行われた=新橋駅前で

発生から2週間を数えた東北地方太平洋沖地震。死者・行方不明者が2万5000人を超える被害の凄まじさに、全国から幅広い支援が寄せられている。中でも学生ら若者の動きが活発だ。日本財団には地震直後から、街頭募金のやり方、手続きなどの相談が持ち込まれ、送付を依頼された寄付金額は日々ふくれあがっている。「じっとしていられなくて」「私たちの気持ちをカタチにしたい」…。こんな思いが彼らを行動に駆り立てているようだ。
高田馬場駅前での募金活動

日本財団学生ボランティアセンター(西尾雄志代表)が呼び掛けた被災地救援のための街頭募金に首都圏の学生100人が応え、24日、新橋、高田馬場、品川、原宿、多摩センターの5か所で終日「傷ついた子供たちに温かい手を」などの声が響いた。ミドリのポンチョ姿の学生の前には、サラリーマンや母子連れらが次々と立ち止まる。高田馬場駅前では初老の人がお札を入れた後、財布の底をはたいて小銭すべてを投入する姿が見られた。

多摩センター前に立った首都大学東京2年の西堀宏隆さんは地震直後、ニュースを見てすぐに募金活動を思い立った。地元の京王電鉄南大沢駅を菅轄する警察に問い合わせると、個人には許可できないとの返事。ネットで検索中に日本財団CANPANの存在を知り、自分たちは何ができるかを相談。24日の一斉街頭募金に参加することになった。近隣の中央大や帝京大、明星大、東京薬科大、早大の友人らにも声を掛け、10数人が力を貸してくれた。
           ◇
京都・四条河原町で行われた学生の募金活動

京都・同志社大3年の井畑友里さんがツイッターで、日本財団の職員に相談を持ち込んだのは、地震発生から1日半経った13日早朝。「学生の募金活動は信頼性や確実性に欠ける。適切なやり方を教えて」。国際ワークキャンプを行っている団体「NICE」のメンバーで、仲間6人と行うという。何回かのやり取りを経て、信頼を得るため「学生NICE」を立ち上げ、日本財団のロゴを使い、使途を明確にすることなどをアドバイス。15日から3日間、1日6時間四条河原町の交差点に立ち計133万7694円を集めた。「募金活動を通して日本がいま一体となって被災地の方々の力になろうとしていることを実感しました」と井畑さん。
           ◇
日本財団に募金を寄託する就活スクラムのメンバー

23日夕、就職について考える首都圏の大学生グループ「就活スクラム」(小寺良二代表、18人)のメンバー4人が東京・赤坂の日本財団を訪れ、新宿西口の小田急百貨店前の街頭募金で集めた21万9389円を寄託した。「ひとに価値を与える行動を」と初体験の街頭募金を計画。17人が午後2時から2時間、道行く人に協力を呼びかけた。中年女性と20代の若者が1万円札を黙って入れてくれた。小さな子供が走り寄ってきて握りしめた10円玉を箱の中に…。「テレビの前でかわいそうと思うだけでなく、行動に移すことの大切さを知りました。募金した人も充足感を感じたのでは」と首都大学の古寺正樹さん(23)。日大の岡本望さん(21)は「最初は冷たくされるかと思っていたが、やってみるとみんな温かかった」と話した。
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:39 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
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