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被災地をピストン輸送 災害ボランティアの猿倉さん [2011年03月19日(Sat)]


初めての東北道を一人でピストン輸送した猿倉正治さん

東京・赤坂の日本財団から、東北地方太平洋沖地震被災者支援の物資を積んで宮城県仙台市に向かったトラックが18日午後戻ってきた。運転を担当した札幌市のNPOホップ地域生活支援センターの職員で技術系災害ボランティアネットワーク・コーディネーターの猿倉正治さん(61)は、初めての東北道を走り、ピストン輸送で障害者施設などに物資を届けた。

猿倉さんは、提供された食料や日用品などの救援物資を届けるため、一人で17日午後3時半、3トントラックで東京を出発、東北道を利用して仙台に入った。東北道は災害支援のための緊急車両しか走行しておらず、午後11時過ぎには雪が降る仙台市内に入った。
今回の地震の後、障害者の支援活動をしている全国自立生活センターから日本財団に対し、仙台市内の2つの団体に対し救援物資を送ってほしいとの要請があり、猿倉さんは太白区富沢の「CILたすけっと」と同区西多賀の「社会福祉法人 ありのまま舎」に紙おむつや尿取りパット、自転車などを届けた。さらに小児がんの子どものための病院づくりを進めているNPOチャイルド・ケモ・ハウスからも仙台市宮城野区鶴ヶ谷の財団法人 仙台市医療センター仙台オープン病院への支援要請があったため、同センターにも救援物資を届けた。

施設側関係者は「危険な中を来ていただいてありがとうございます」と感謝し、喜んでいたという。猿倉さんはこの後、寝袋を使いコンビニの駐車場に止めたトラックの中で仮眠、18日午前9時過ぎに仙台を出発し、同日午後3時半に東京に戻った。仙台市内のコンビニはほとんどが休業しており、高速道路は地震のために段差がつき走りにくかったという。宮城、福島県では燃料の補給ができず、栃木県に入ってようやく補給することができた。「仕事で札幌と旭川を往復することがあるので、疲れていません」と猿倉さん。同日夜、家族の待つ札幌に帰った。
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:00 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
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