アタチュルク像、串本に到着 安住の地、6月3日に除幕式 [2010年05月28日(Fri)]
像は3月、新潟県柏崎市から東京・お台場の船の科学館に移した後、修復作業を行い2カ月間一般公開されていた。高さ4・2メートル、重さ4トンと大きく、規制で高速道を利用できないため一般道を使い、交通量の少ない夜9時から翌朝6時にかけ大型トラックで運ばれた。5月17日に船の科学館を出発、18日には三重県・四日市、19日には和歌山県・熊野で途中停車をし、20日未明、ようやく串本に到着した。
大型クレーンで吊り上げられ台座に設置される 到着後、大型クレーンで吊り上げられ、10時過ぎには樫野埼灯台前広場に用意された台座に取り付けられた。串本町は1890年にオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が沖合で遭難した際、住民総出で救助、看護に奔走し、食事・衣料を提供、遺体や遺品を収容し、日本とトルコの友好の地となっている。樫野埼灯台は乗組員が最初に救助を求めた場所として知られ、目前に遭難海域が見渡せる。町が挙げたいくつかの候補地の中から駐日トルコ大使が選んだ。 パネル写真展を見学するアタジャンルトルコ大使(右) アタチュルク像は1996年に「柏崎トルコ文化村」の開園を祝しトルコ本国から贈られたが、文化村の経営破たんなどにより所有者が変わり、行き場を失った。トルコは屈指の親日国。友好関係への悪影響を懸念した日本財団が所有者と交渉、トルコ大使館に支援を申し出て今回の移設となった。 「百年にわたるトルコと日本の友好親善」パネル写真展 会場 日本財団では移設作業と並行して5月27日から東京・赤坂の日本財団ビル1階バウルームで関連の写真30点を展示。エルトゥールル号生存者送還のためイスタンブールを訪れた巡洋艦「比叡」「金剛」の日本人将官とオスマン帝国高官が写った写真などが含まれている。展示は6月2日まで。(菅原悟志) 動画:トルコ「建国の父」アタチュルク像が和歌山県串本町へ(4:26秒)
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