アフリカからアジアへ “緑の戦士” 間遠さん [2010年03月26日(Fri)]
![]() 夢を語る間遠さん 新天地東南アジアへー。アフリカでの食糧技術の普及に向け笹川アフリカ協会のプログラム・オフィサーとして活躍してきた“緑の戦士”間遠登志郎さん(50)が、今度は国際熱帯農業センター(CIAT)のバンコク・オフィスに移ることになった。「農業が抱える問題はどこも同じ」。アフリカの大地を足で回って蓄積した豊富な経験を基に、4月からラオスやカンボジア、ミャンマーの農法普及・改良事業に取り組む。 |
間遠さんは大学卒業後、商社に入社。3年後、青年海外協力隊に入りガーナに赴任し、3年の任期が切れたた1989年から笹川アフリカ協会の職員としてガーナで農産物の加工プロジェクトなどに取り組んできた。以後、英国の大学への留学などを経て2002年からエチオピアで農産物の生産、加工、貯蔵技術の普及や指導員の育成などを中心とした笹川グローバル2000に携わってきた。
![]() アフリカで収穫された米 この間、緑の革命でノーベル平和賞を受賞し、尊敬してやまないボーローグ博士(09年死去)と事業の進め方をめぐって激論を交わしたこともある。3月16日には20年近くに及ぶアフリカでの取り組み、特にエチオピアでの農産物加工事業普及プロジェクトについて国際農林業協働協会で講演し、「農業生産は確実に上昇している」と指摘した上、脱穀機によるサービスで大きな利益を上げている24歳の青年の成功例などを紹介した。 その一方で「全体にはなお産業としての農業は育っていない」とも。生産力が上昇し余剰が出たとしても、これを金に変える加工技術や運送手段、さらにマーケットが未整備のためだ。エチオピアを例にとれば、首都アディスアベバから放射状に道路が地方に延びているものの、横につなぐ道路がなく、豊作地域から余剰農産物を他地域に回そうにも首都で物流がストップし凶作地域に届かない、といった問題がある。 ![]() 評判を呼ぶ脱穀機 加えて加工技術が未発達なため、購買力がある富裕層が自国農産品より外国産品の購入に走る傾向もある。そうした問題点を指摘しながらも、間遠さんは「アフリカの将来は明るい」と強調し、「アフリカの多くの国は人口の70%、80%が農業人口。文字通り農業が国の基盤であり、農業改善に取り組むことで、国づくりに参加していることが実感できる」と語った。 そんなこだわりを見せる間遠さんに一つの転機となったのが1994年に結婚した妻・永姫さんの慢性的な高山病の悪化。アディスアベバは標高2400メートル。これ以上現地での生活は難しく、本人の希望もあってCIATバンコク・オフィスへの移動となった。 ![]() 牛を使った昔ながらの脱穀 赴任を前にこのほどカンボジア、ラオスを訪れ、豊穣なメコン川流域はアフリカよりはるかに豊か、との印象が一変したとも語る。放っておいても一定の収穫が期待できる豊かさが災いしているのかもしれない。当面はラオス、カンボジア、ミャンマー3国でキャッサバの普及による小規模農家の生活安定を模索する。キャッサバは食糧、家畜飼料だけでなく近年はバイオ燃料の原料としても注目され、需要急増に伴い土壌破壊といった新たな問題も加わりテーマは広い。 一語一語、言葉を選んで慎重に話す姿は現場の実践家というより学者タイプ。「アフリカ、アジアとも村落を振興させる基盤は農業。アフリカの体験はアジアに生かせるし、アジアでの体験がアフリカに役立つことも多いはず」と広い視野で新天地に臨む決意を語る。「今後もこの道一本ですか」と質すと、「いつのまにか、この仕事を好きになっている自分に気付きました」と“こだわり”を見せた。(宮崎正) |
